今年もあと2ヶ月です。個人的には変化の年でした。2012年は、一部ではアセンション(次元上昇)の年だなんて言われてますけど、自分自身には当て嵌まったかもしれません(え・・・)。でも未だに生活力と生命力は不足しています。出版した本が人々に求められるようにならなければ、自立も出来ない状況ですので、作家としての足がかりを達成したと言っても、立場が偉くなったわけじゃないです。
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そして根幹へ
この続きです。前置きが長かった。
未確認、言い換えれば未発見の紀年法。「そんなもんあるか。」そう思われたかもしれんですが、ありました。
これが成立した時代は8世紀半ば、恐らく聖武天皇の時代の末年頃なのではないかと思います(この点はよくわからない)。
淡海三船(おうみのみふね)という人が居ました。
この人は奈良時代後期の文人で、当時のあらゆる書物を読破したらしいです。
恐らく30代の頃に、歴代天皇に漢風諡号を一括で名づけました。神武天皇、崇神天皇、応神天皇とかいうのが漢風諡号です。
この淡海さんは、おじさんになってから、時の天皇に歯向かったりして、色々と問題を起こしたヤンチャな人だったらしい。
で、はっきり言ってしまうと、今回の「古代天皇在位年代を示す未確認の紀年法」の正体は、「諡号」です。
諡号が年代を表すと言って、馬鹿かと思われるかもしれませんが、本当です(馬鹿なのも事実です)。「日本書紀」が成立した僅か40年ほど後に、この「漢風諡号」が登場しました。
諡号紀年法を密かに暗号として編み出し、歴代天皇の時代がいつだったか知ることが出来る紀年法化したのは、淡海三船です。
淡海三船の死後、かなり後の時代まで、この諡号紀年法は受け継がれていったようですが、私の調べによると、中世に入る頃には用いられ無くなったようです。
今まで全く気付かれなかったか、古代人も知ってて黙ってたがために、歴史の闇に葬られていたのですが。何の因果か21世紀に入って、数年前に僕チンが気付くことになりました。
では、「諡号紀年法」がどんなものか概要を説明するんですけど、これが日本史にとって重要な役割を持てるかどうかを判断して頂いて、意見を貰いたいと思います。
解くための要素
この「諡号紀年法説」、または「諡号年代記説」を解くための大きな要素は、
(3)・中国歴代皇帝の諡号
の3つの要素でした。
中国の人もまさか、日本の歴代天皇と中国の歴代皇帝の間に、こんな関わりがあるとは思ってもいないでしょうね。
他にも幾つか当てはまる要素はあるのですが、今回は割愛(本になるとすれば、ブログに真相を全部書いちゃったら、完成する本がつまらなくなるではないですか)。
天武天皇から
この天武天皇と同じ時代に、中国・唐の皇帝、女帝がいました。「則天武后」です。
では則天武后の在位年を書き添えてみます。
歴代 第四十代
在位年代 673~686年
在位年代 690~705年
両者はほぼ、同じ時代に生きてたことが分かります。そして「天武」という諡号で完全に一致しているではないですか?
諡号紀年法では、「天武天皇と名付けられた理由は、同じ時代に則天武后がいたからだ」と考えられます。
こうして、天皇が何時の時代にいたかが、分かってしまうんです。
歴代 第二十九代
在位年代 539~571年
皇帝諡号 「世祖明帝」
国 北周
在位年代 557~560年
こちらも、同時代に生きた天皇と皇帝です。「明」の字が一致しているではないですか。
淡海三船は両者が同時代の人物と知っており、明の字を合わせておいたと見られます。
歴代 第二十代
在位年代 462~477年
諡号 「南安隠王」
国 北魏
在位年代 452年
南安隠王は、北朝北魏の鮮卑拓跋氏により建てられた征服王朝の王。皇帝としては認められず「王」なのですが。同じ頃に在位年があり、「安」の字で一致しました。
歴代 第十三代
推定在位 4世紀中~前半
皇帝諡号 「成帝」
国 東晋
推定在位 325~342年
同じ年代で、「成」の字で一致させているわけです。
歴代 第十四代
推定在位 4世紀後半
国 東晋
在位年代 361~365年
同じ4世紀で、「哀」の字で一致しています。
こんな偶然あるだろうか?
皇帝の諡号に用いられた漢字と、淡海三船が名付けた漢風諡号の漢字に、完全な一致を見ることができるというわけでした。
これより以前、欠史八代でも、
孝昭皇帝に孝昭天皇 紀元前84-紀元前76年
孝安皇帝に孝安天皇 西暦106-125年
孝霊皇帝に孝霊天皇 西暦168-189年
といった諡号が重なっているので、淡海三船は「欠史八代天皇は前漢~後漢の時代に在位した」と認識していたと思われるのですね。
中国皇帝の在位年代を見れば、それが欠史八代天皇の在位年代に近いということが言えるでしょう。
実はこれについては、「崇神天皇が卑弥呼と同一人物」であると考えていくと、年代的にも無理がなくなってくると考えられてしまうのです。
というわけで、触りだけ書きました。
このことに関係して、もっと凄い事実も発見しましたが、今回は書きません。
実在性の不確かな神武天皇の諡号から江戸時代の天皇の追号に至るまで、全てを中国皇帝と照らしあわせ、全体像を掴むことができています。
あとはどなたかにお墨付きを貰えれば確信が持てるんですけど。
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