たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

日本書紀

高天原三神は太陽神だった2

自分が大嫌い。俺なんか、早く消滅すればいいのに。そんな風に思い続けて、十何年も経過したことか。欠点や失敗や病気の症状のことでいじめられ、悪口を言われたり、からかわれることは、いつものことで、自分のせいである場合は、生きててすいませんと思い…

景行天皇と日本武尊は4世紀の人物であるし、日本書紀には4世紀のお馬さんが登場しました1

学校に通ってた時期からは、最早20年程の歳月が流れました。その頃に「日本列島が大陸の騎馬民族に征服された」という、当時としては歴史学会でも信じ難いとされ、未だに信じ難いと拒絶反応を見せる人が多い、江上氏の提唱した仮説「騎馬民族征服王朝説」…

高天原三神は太陽神だった1 (2022年改訂版)

2012年に入ってから、太陽の活動に様々な異変が起きているそうです。専門外なので(そもそも低学歴なので、古代史以外の専門知識に疎い・・・)それら太陽の異常について詳しくは述べませんけれど、注意深く情報を漁っているところです。 ○いつも助かっ…

日本神話の三貴子と、中東の神々との類似2 2022年改訂版

パルミラ遺跡から分かってきた、日本の神様とのとても深い関連です。パート1の続き。 ○いつも助かっております パルミラ遺跡 世界4大文明の一つであるメソポタミア文明の栄えた中東のシリアに、ユネスコの世界文化遺産に登録されている、パルミラ遺跡があり…

豊城入彦が最初に向かった場所

日本書紀の中で崇神天皇は、息子である兄・豊城入彦命(豊城命)と、弟・活目入彦五十狭芽命(活目命)に勅(みことのり)して、どちらを跡継ぎにしようかと思案した様子が書かれています。結局2人が見た夢の内容で占う「夢解き」をして、将来の役目を決す…

崇神紀の「始めての船舶」の謎。

日本書紀の変な記述について。崇神天皇の時代に、「始めて船が造られた」という、奇妙な記事があります。 何処らへんが奇妙なのかはあとで解説するとして、いつもの通り該当箇所を、宇治谷孟氏編訳の「日本書紀・全現代語訳」から引用していきます。日本書紀…

崇神天皇の120歳が「短命」の謎2(曖昧に終わる)

最近ヒシヒシと感じてることですが、自分にとっては最早、得意な手品の種を必死に隠す必然性と意味など、とっくに無くなってるに近いんです。どういう意味かは、分かる人には分かる筈なので説明しませんけど。そういうことで、この人なんでこんなに必死なの…

崇神天皇の120歳が「短命」の謎1

日本書紀と古事記の翻訳本を、一日に2度3度と手に取るので、おそらく年間で読む回数は膨大になってると思いますが、それでも良くわからないことはわからないままです。今回はその分からなかった話のなかから、ある程度わかってきた「崇神天皇が短命だった…

遣魏使は日本書紀に記録されたかどうか。3

五十猛神(いたけるのかみ)の別名が、有功の神(いさおしのかみ)である所で、ひとつの仮説が浮かびました。魏志のなかで、正始四年(243年)に魏へ向かった伊声耆(いせき)は、日本書紀の五十猛神のと同一人物なのではないかとの仮説です。少し伊声耆と五十猛…

遣魏使は日本書紀に記録されたかどうか。1

魏志倭人伝には、朝鮮半島にあった魏の帯方郡へ、何度も派遣された使節「遣魏使」のことが書かれてます。魏志倭人伝から、倭国の遣魏使の記述を抜き出してみます。 1・景初二年(238年)難升米、都市牛利、等 2・正始四年(243年)伊声耆、掖邪狗、等計…

遣魏使は日本書紀に記録されたかどうか。2

魏志倭人伝に記される遣魏使は、単純に説明すると、「倭国(日本列島)→朝鮮半島(魏の帯方郡)→倭国(日本列島)」という経路を辿っているのですけど、これとよく似た経路をたどった神が、日本書紀の神代に登場していました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)と息子の…