たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

中国の歴史書に記された日本の神様2

 

 前回のパート1で、「旧唐書」のことは書いてましたが、「新唐書」の存在を忘れていましたので、その点も含めて続きを述べたいと思います。

 「隋書」は、唐の時代(七世紀前半)に、魏徴なる人物によって纏められたものだそうです。

 「旧唐書は」晋の時代、劉昫という人により十世紀前半に編纂されたものです。(昫=ク・キョウ)

 「新唐書」は11世紀半ば、宋祁という人により編纂されたらしいです。(祁=ギ)

 「隋書」には、大変分かりづらいのですが、日本の神が朧気に記録されており、「旧唐書」のほうでは厳密に言えば神の名ではないが、神の名に関わる重要な情報が書かれており、それは「隋書」「新唐書」と内容が被るものです。「新唐書」には明確に、日本の神様が記録されています。それらの内容を抜き出していきます。

 

 「隋書」には次のような一文があります。

「開皇二十年(600年)、倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比孤阿輩雞弥と号す」

 似た記述が「旧唐書」にもあります。

「その王、姓は阿毎氏なり・・・」

 さらに「新唐書」にも似た記述があります。

「その王、姓は阿毎氏・・・」

 日本書紀古事記共に、天皇の実際の姓が「天(阿毎)であるなどとは書かれていないので、この点は確認不可能なのですが。古代日本政府の使者は、天皇は天御中主尊天照大神といった天つ神の頭文字「天(あめ・あま)」という神の名を受け継いでいるとの認識を持っており、それを事実として中国に伝え、古代中国人が阿毎と音写したからこそ、中国史書に阿毎が刻まれることになったという印象です。

 ちなみに多利思比孤とは、私見では同時代の天皇である舒明天皇の和風諡号「息長足日広額尊(おきながたらしひひろぬかのみこと」の「足日広(たらしひひろ)」を「足彦(たらしひこ)」と要約・簡略化したものだと思います。

 同時代に「足(たらし)」の付く天皇が外に2名おり、異説も存在していますが、その2名の天皇はいずれも間違いなく女帝であることから、男帝である舒明天皇であると断定したのです。

 阿輩雞弥は、古代の天皇の呼称だった「大王(おほきみ)」のことで間違いないようです。でも藤堂さんの学研漢和大字典によると、中古音(隋・唐音)で阿は(a)であるし、輩は(puai/パィ)だろうし、雞は(kei)で弥は(mie)で、これを繋げるとa-puai-kei-mie、アパィケィミィという風に一見してタイ語風になり、「大(おほ)」をアパィと音写するとか、奇妙な点もあるのですが・・・でも「what's time is it now?」が「掘った芋いじるな」に聞こえた偉人も過去にいたらしいので、大王=おほきみをアパィケィミィとタイ語風にリスニングした中国人がいたと納得しておくことも、風流だと思います。

 

 また、「隋書」には次の一文もあります。

倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす・・・」

 天と日が兄弟のように書かれてます。日というのは太陽神、天照大神のことで無難な解釈として成り立ちます。とすると天とは、最初の天の名を冠する神・天御中主尊のように思われます。

 原初の神天御中主の「天」と、太陽神天照大神を「日」として表し、最も重要な二柱を取り上げているように見えます。だとすると、外国の史書で初めて日本の神に言及された書物は「隋書」ということになると思われますが、どうですかね。

 

 そして「新唐書」には次のような一文があります。

「最初の主を天御中主と号す。彦に至るまで凡そ三十二世・・・」

 ここにある天御中主尊と彦瀲(彦波瀲武鵜葺草葺不合尊)が、記・紀における神の名であることは言うまでもないところです。

 中国史書の中で、日本の神様の名前が、史上始めて明確に登場する書物、それが「新唐書」となります。

 

 ところで中国史書には初代の天御中主尊から鵜葺草葺不合尊までの神は「筑紫城に居る」と書かれているのですね。筑紫というのは九州の北部、現在の福岡県一帯のことですが、昔は九州全体を筑紫洲(島)と呼んでましたので、九州全体を指し示す言葉でもあります。

 古事記の内容を見ると、日子穂々出見命(火火出見尊)は580年間日向の高千穂宮にいましたが、これは天孫降臨の後からの年数に当たります。天孫降臨以前の地名を調べてみると、神代の時代の舞台は出雲の地名が非常に多く、中国史書で「日本の神様は最初からずっと筑紫にいた」という情報とは食い違いを見せることになってるのです。

 ちなみに日本書紀・神代・上巻に登場する日本列島の地名は次の通りです。

・九州10地点

・出雲9地点

・四国3地点

・近畿4地点

 西日本の九州と出雲を中心とした土地が、神代の舞台だったことが明らかとなります。(この集計結果は適当なもので、詳細に分析すれば、数字に若干の違いが出るかもしれませんけども)

 この点については、また別の機会に書くこともあろうかと思います。

おわり。