たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

願いを叶える倭の宝「如意宝珠」は、雄略天皇が奈良で出会った一言主神だったのか

以前に仏教伝来(6世紀)よりずっと前、日本に仏教が入ってたという話をしました。今回は6世紀以前に入ってた可能性を示す、お宝について語りたいとおもいます。

 

いつもたすかります

 

 

 

隋書倭国伝の年代

 

中国の古典の1つに隋書があり、これは628年に成立したものでした。倭人伝の内容をみると西暦600年頃の様子が記されていると見られるので、古墳時代を紐解く上では重要だったりします。

この年代が分かるのは、隋書に開皇二十年という年号が登場しているからです。開皇二十年とは西暦になおすと600年になり、当時日本を統治したのは、「阿毎多利思北孤(あめのたりしひこ)」と名が記録されていました。

西暦600年に日本を統治した天皇というと、推古天皇で女帝というわけですが。ヒコ=男なわけなので、用明天皇説や、聖徳太子説もあります。「孤=みなしご」の字が使われているのは、ヒントなのかもしれません。

推古天皇の次代の舒明天皇が「息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)」だったので、阿毎多利思北孤は舒明天皇かもしれないです。舒明天皇諡号を短縮して「たらしひこ」であり、「多利思北孤」なので。

隋国の学者が、隋書成立年(628年以降)に在位した舒明天皇を選んでいるとも考えたりします。

手元には「中国正史日本伝」があり、隋書の内容はなんども熟読していました。その中でもっとも気になる記述が、如意宝珠でした。

 

 

如意宝珠とはどんな願いも叶える宝物

 

如意宝珠 - Wikipedia 吉祥天

 

今やどんな願いも叶えるといったら、ドラゴンボールかもしれないですが。古代に願いを叶えてくれるものといえば、如意宝珠のことでした。

隋書倭国伝にはと、こんな一文あります。

阿蘇山あり。その石、故なくして火起り天に接する者、俗以て異となし、因って禱祭を行う。

如意宝珠あり。その色青く、大いさ鶏卵の如く。夜は則ち光あり。いう魚の眼精なりと。

中国正史日本伝 隋書倭国伝 p70

600年当時の倭国といえば、阿蘇山がシンボルであり、如意宝珠が最高の宝だったので特筆されていました。

如意宝珠は鶏卵程度の大きさの青い玉で、夜は光を放ったということです。この如意宝珠、公式的には隋書で記されたのが最後であり、所在は不明。どこにあるんですかねえ。

 

ではこの如意宝珠を使うと、いったい何ができたのか気になります。コトバンクを見ると、いくつかの解説がありました。

如意宝珠とは - コトバンク

如意宝珠は思い通りに、数々の宝物を作り出すと言われる珠でした。あらゆる願望を叶え、物を出し、病気を癒やし、悪を除去し、水を清らかにし、災禍を防ぐとか。

サンスクリット語のチンターマニの訳とのことで、仏教世界の宝物が、当時の日本に持ち込まれていたようです。

如意輪観音馬頭観音地蔵菩薩の持ち物であるとのことですが、龍王の脳から取り出すという説があるので、ほんとにあったのか信じられない感じもします。

しかし隋書に記録があるわけで、如意宝珠は当時の倭国でも存在が知られていたようです。平安時代になると本地垂迹説が主流になって、宇迦之御魂神(うかのみたま)が手にするようになったということでした。

見た目としては、上部が山なりになった球体と日本では伝えられた一方、チベット仏教では円柱として伝承されていたようです。

 

 

如意宝珠と熊野権現

 

熊野本宮大社の牛王法印の護符。これは熊野権現のちからにより穢れをい祓うと同時に、誓約をたてて破ると神罰により死んで地獄に堕ちると信じられたので、鎌倉時代は軍事同盟にも使われたのだとか。

この牛王法印、実は如意宝珠が描かれているということで、見てみました。烏文字と言われるそうで、十種神宝(とくさのかんだから)の絵にもにてるような感じがします。

しかし、どれが如意宝珠なのか分かりませんが、おそらく真ん中下の「吉」の字が入ったものが如意宝珠だと思います。

 

 

一言主神もどんな願いも叶える神さま

 

この如意宝珠と関係して気になるのは、奈良の葛城山に鎮座している、葛城一言主神社でした。「日本書紀」を読むと、雄略天皇の時世に不思議な話が出てきます。

雄略天皇は奈良の葛城山にお出かけした時に、一言主神と出会ったわけです。

この神、「一言の願いであれば何でも叶える」として信仰が篤いのです。なんか、如意宝珠とコンセプトが同じなので、気になってしまいました。

一言主神社は創建年が不詳ですが、雄略天皇の時代を検討すると創建年が見えてきます。

雄略天皇の古墳・・・島泉丸山古墳(5世紀後半)

稲荷山古墳出土鉄剣・・471年

葛城一言主神社創建・・雄略天皇の時に現れた(5世紀後半)

雄略天皇の古墳の年代と、稲荷山古墳出土鉄剣の紀年を検討して、一言主神登場は5世紀後半だったのではないかと考えられました。

葛城一言主神の登場と神社の創建年も、おそらく5世紀後半となると見られます。

 

 

如意宝珠と一言主神の比較

 

ということで如意宝珠と一言主神社。調べていくと他にも似た要素は色々と出てきました。

それでどうも「一言主神はやっぱり如意宝珠っぽい」と感じてしまったのです。

では多方面から比較をしてみたいと思います。

 

・神性

如意宝珠・・・どんな願いも叶える

一言主神・・どんな願いも叶える

まったく同じですね。

 

・同じ

雄略天皇一行は、葛城山中で自分たちと同じ格好をした、一言主神ご一行様に出会ったわけなのですね。雄略天皇一言主神は「同じ」がキーワードです。

いっぽう如意宝珠の「如」という一字は、本来「同じ」をあらわす言葉でした。

だから雄略天皇一言主神が同じ姿なのと、整合してますね。

如とは - コトバンク

 

・名前

如意・・・如=ごとし、意=い

一言・・・言=こと、一=い

宝・・・宝→玉→主

珠・・・しゅ=主

名前から同じ要素が出てくるようでした。

如意は「ごとし・い」、一言は「い・こと」。宝=主、珠=主。とすれば、如意宝珠という文字を、一言主に置き換えている感じがします。

 

・いう

如意宝珠を「魚の眼精」と言っていることも検討してみると、

魚・・・いお

言・・・いう

古語で魚は「いお」で、言は「いう」。これで一言主であることを示すのかもしれないです。

眼精というのは、「魂(精)を見極める(眼)」意味かもしれないと考えました。

如意宝珠は、人の魂を見極めて願いを叶えている。そういった役割を翻訳して、「眼精=魂を見極める」になるというわけです。

 

・家紋

一言主神社の家紋を見ると、なんか一の上に扇です。これ「半菊に一の字」だそうで。一言主神の一と、神が人の願いを聞く=菊、ことが関係するようです。

それで如意宝珠は珠が光を放つということですが、半菊の形状が、なにか珠が光を放っているように見えるのですよね。如意宝珠に似ているから、神社ではこの家紋が選ばれたのかと。

 

・拝殿の供物

実は一言主神が如意宝珠かもしれない要素としては、一言主神社の拝殿の、供物も関係しました。

公式サイトのほうを見ると、神社の拝殿内部の写真があるんですが。その中央に、まるで如意宝珠のようなものがポンと置かれているのですよ。

一言主神社について | 葛城一言主神社より

 

これはどうみても如意宝珠?

これが如意宝珠だとしても実物ではなく当然レプリカだとは思いますが。吉祥天が左手に持つ如意宝珠と似ているような。

本殿には御神体である如意宝珠が安置されている、証拠なのかもしれないと思いました。

 

 

 

一言主神社御神体は如意宝珠?

 

今回の妄想、いかがでしたでしょうかー。如意宝珠の一言主神説。

雄略天皇の在位した5世紀後半に仏教的至宝の如意宝珠があったとすると?公式的仏教伝来の時期(6世紀中葉)より、50年以上も前に仏教が日本に入ってたことになるわけでした。

まぁ如意宝珠が一言主神であるとは、想像に過ぎないですけども。行方不明になっている如意宝珠がほんとに一言主神だとすると、興味が湧いてしまいます。

御開帳されないんですかね。チンターマニなだけに、タマには拝みたいものですよ。

 

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