たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

ユーラシア の検索結果:

ユーラシア大陸から東漸した大和民族

…てより、大和民族とはユーラシア大陸の奥地の天皇氏に始まり、天皇を中心として民族の融合と東漸、首都の東遷を繰り返し、大陸から数百年の年月をかけて徐々に日本列島へと移住した、天皇氏族と付き従う氏族の集合体であると考えてきました。 でも天皇が大陸にいたと言っても、日本の天皇氏と豪族が、渡来人だったとか外国人だったという意味ではないんです。 ヤマトという民族集合体は、元々ユーラシア大陸にあり、国と民族ごとそっくり大陸を転々と移動してきた、「移動式国家」だったと考えているのです。 です…

中国東北部・倭人に関わる重要な地名

…が出来たなら?広大なユーラシア大陸の極めて狭い範囲に、意義深い同一地名が集中している地域があったとすれば、それは偶然の一致を越えた繋がりのほうを考えてみるべきだと思います。 これまでに、ユーラシア大陸の地名の全検索を幾度か繰り返し行なってきました。全検索というのは、地図上の隅から隅まで、人口数十人のほんの小さな村、大字、小字、と言われるような極小の範囲まで、知りうる限りの全部の地名を、縦横に検索していくという途方も無い手法です。時間と余剰エネルギーがないと出来ないし、フラスト…

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿1(旧約聖書と、古事記の記述の奇妙な符合点について)2022年改訂版

…おります 日本神話とユーラシア個人的に日本神話とは、古代ユーラシア大陸各地に居住した諸国家・諸民族・諸氏部族らの神話と伝承が形を変え、日本列島の先住縄文人の伝承と混ざり合っているのであると考えていました。 それでシルクロードを通じて東西の文化交流が重ねられることで、西側の叡智はいつしか日本列島へたどり着き、聖書の記述が記紀に含まれてしまったとしても、決しておかしくはないと思ってました。 当然、それを事実であると示すためには、核心的ないくつかの納得するに十分な論拠、確証が必要不…

古代皇族の殉死と埴輪のこと。2

…から3世紀にかけて、ユーラシア大陸の西から東まで数珠つなぎに隣接し合う騎馬民族や遊牧民族同士が、互いの影響を与え合い、またときには征服や融合を繰り返しながら、その民俗文化風習の流れは徐々に緩やかに、東アジアの最果ての日本列島まで到達したんだとおもわれるのです。日本列島の数万基もある数多の古墳からは、未だに殉死の証拠となるような、大勢の遺体の埋められた古墳は見つかっていないようなので、日本書紀の殉死の記述が完全に正しいかどうかは、今後の出現期古墳の新たな調査結果にかかっています…

古代皇族の殉死と埴輪のこと。1

…きと提言したということならば、話は合いそうです。ところでこの殉死という恐ろしい風習。実は倭国独自の風習ではありませんでした。江上波夫氏の著書「騎馬民族国家」のなかに詳しいのですが、これは騎馬民族的風習で、つまり北東アジアでいうと高句麗や扶余の王が亡くなった際に行われるものだそうです。 それで、その殉死はさらに、北東アジアで始まったものでもなく、日本からユーラシア大陸を遙か西に7000kmも横断した先の、東ヨーロッパ、黒海北岸域のスキタイが起源であるということでした。2に続く。