日本の元号、それはミステリー。
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○いつも助かっております
元号について
この元号ですが、いまみたいに「天皇一代にひとつ」となっているのは明治時代以降のことでした。江戸時代以前の元号は、「1人の天皇に複数」ということも通常のことだったようです。
たとえば江戸時代最後の天皇だった孝明天皇の頃、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応と6つもの元号が使われていたりしますね。
何か大きな出来事が起きるたび、1人の天皇の時代に、元号は幾度も変更されていたということ。
だからぶっちゃけ天皇陛下が「明日から元号変えますよ」 なんて言って変えることは、本来の古来よりの元号の性格からすれば、あっても許されることなんですが。いまは慣例的に、一代に一つで決まってるとか。
でも天皇陛下が上皇になると、事実上で「一代で元号複数」になるわけですが。という意味では革命みたいな感じですよね。
明治時代以降の元号
ここからは、あくまでも個人的な妄想なので、本気で捉えてもらっても困りますが、自由自在に東西南北へ受け流したり、ビフィズス菌と一緒におなかに吸収しても結構です。
この元号ですが、明治時代以前と以降では、どうも毛色が違っている、そんなふうな感じを受けてしまいました。
それは単純に言えば、明治時代以降は「キリスト教的ななにか」を含んでいるような気がしてならないのですよね。
・平成
平成とは1989年から使われてる元号。「平らに成る」という意味が込められていて、平和を願った元号だとか。世間的にはそんなふうに言われてるだろう。
でも世間に悪意をぶつけられ計画的にいじめられ過ぎて、ひねくれ過ぎた俺の妄想によれば、、これだけという訳には行かなかった。
ツイッターのメモ
というふうに妄想してみたんですが。
平成=HEI SEI
これを逆にすると
成平=IES IEH
IES(イエス)IEH(ヤー(神)
というふうに、イエス・キリストと神の名前が呼ばれているのだった。なんでだろう。偶然なのだろうか。ほかも見てみよう。
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・昭和
昭和というのは1926年から使われてる。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。
「和やかに照らす(明るくする)」という意味が込められていて、要するに仲良しこよし感がいっぱいだ。世間的には昭和時代の人なら知ってるかもしれない。
でも世間から寄ってたかってフルボッコにされてきた俺としては、普通に解釈することは不可能だった。
昭和 SHOUWA
逆さまにしても別に何も出てこないが、
昭を分解すると=日召
日召 HISHO →ISH O イーシュ王(イエス王)
という風にナザレの王イエスの名が入っているのだった。古代には場所によってはイーシェと呼ばれたらしい。
日召和なら、「日本のメシワ(召和)」でメシアっぽい。
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・大正
大正というのは1912年から使われた元号。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。
単純にいえば「大いに正す」ことを意味していて正義感たっぷりですだ。世間的にはそれでいいのかもしれない。
だけど人々の悪意と鬱憤の全てを受け止めすぎて普通の発想じゃおさまらなくなった俺としては、他の意味を探るしか無かったですだ・・・。
大正 TAISHO
これを分解してみると、
TA ISH OH ザ・イーシュ・王
というふうにこれもイエスの名前が入ってるのだった。
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・明治
明治は1868年から使われた元号。
『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。
「明るく治める」という意味でポジティブシンキングが感じられる。世間的にはこれ以上の意味は不要なのかもしれない。
しかしネガティブを積み重ねてきた俺としては、ポジティブだけではいられなかったんだ。
明治 MEIJI
逆さまにすると
治明 IJIEM イジェム
Jは「エ(イェ)音」と解釈するとイエイエムで「イエ」が入っている。
明治時代以前、日本語の濁音は省略して表記することは通常だった。
たとえば春日部は「かすかへ」、「越谷は「こしかや」みたいな感じ。
すると明治は「めいし」なのであり、
治明 イシェム イシェ
MEISI MEIISI ISI(イーシ)
ということで、どうしてもイエスが入っているのだった。
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1989年の改元時の最終候補から見る
ちなみにこの解釈が俺の中で正解であることを示す要素としては、1989年の「平成元号の次点」となっていた最終候補名を見ても明らかなことでした。
・修文
当時の新元号の候補だった二文字。
修文 SHU BUN
修 SHU⇔UHS ウーシュ
これだと良く分からないが
亻(ニンベン)+修(SHU)
なので「イSHU」となってイーシュ(イエス)の名前が含まれていた。
・正化
当時の新元号の候補だった二文字。
正化 SEI KA
化正 AK IES
IES=イエスがそのまんま入っていた。
このほか知られざる候補
・文思
文思 BUN SHI
逆にして思文 IHS NUB
ISH=イーシュ
・天章
天章 TEN SHO
OHSでオーシュだとよくわからないが、
天章 AME AKIRA
とすると キリストのKIRが含まれている
・光昭
光昭 KOSHO
日召とするなら、召=メシアの「メシ」が含まれるのであった。
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こんな記事があった。
「新元号」を予言研究家が徹底予想! 「最有力12パターン」を公開、「●成」で決まりか!?
なんか未来人だとか専門家によると、「成」は入るとか言ってる。すると
・◯成
成 SEI IES
「セイ イエス・・・」
もうひとつ
・安始
新元号は、安始になる可能性が根強いとか。なぜかは知らないけど、そういう意向がどこから出てるのか。
安始 ANSHI IHSNA
IHS。イース。やはりそういうことだった。
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これが偶然かどうか確かめる
これが偶然じゃないことは、以下の調査でも分かるかもしれない。
イエスはYes、Yeshua、IisusというふうにSを基礎の音とするので、S(さ行のシ・ス)がとりあえず入っていることが重要っぽい。だから歴代元号にどれだけSが入っているか、その割合などを調べてみた。
さしすせその全てを調べてみた。するとこうなった。明らかに近代の明治・大正・昭和・平成の時代は、Sの割合が高い。大正・昭和・平成はSが3連続で入っているのだが、日本の長い歴史で元号に3連続Sが入ったのはこの時代だけだった。2連続すら珍しいことだった。
だから明治時代以降にイエスっぽい名を組み込んだことは、偶然じゃないのかもしれない。すると何のためにこれを入れたのか?という疑問が出てくるんですが。これの理由は、2ちゃんねるのオカルト板で見つかりますが、「日本での救世主の再臨」とかなんとかに関係していそうです。北斗の拳。
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日本の偉い人はキリスト教を含むブレンド宗教だから元号もキリスト教的なものになってる
なぜ明治時代以降の元号が、こんなことになってるのか。イエス・キリストを含んでいるのか。その答えを求めてみたいです。これも俺の妄想なんですが。
まず事実を前提とすると、日本人がいろんな宗教をブレンドしてる民族なことは、誰でも知っていますよ。
「日本国民は事実上ブレンド宗教を受け入れている状態」なのですよ。
・花祭り(釈迦誕生祭)、お盆、灯篭流し、葬式などは仏教の行事。
・お盆はもともと盂蘭盆会、火祭りなどはゾロアスター教の行事。
・初詣、七五三、ひな祭り、お神輿祭りは神道の行事。
・バレンタインデー、ハロウィン、クリスマスなどはキリスト教の行事。
これは多数の宗教を受け入れているアメリカ人とも違いますよね。アメリカには中国人やインド人が多いにしても、中国やインドの行事を国を上げてやるなんてことないですし。
なぜ日本はこうなったかというと、それは「日本の上層部がブレンド宗教だから」、その意向と意思が国民にも反映された結果なのでしょう。
ただでさえ古墳時代の昔から、長い間神道と仏教がブレンドされてきた日本ですが。
これに加えて蘇民将来、祇園祭、ほか日本の祭りは、ユダヤ教の祭りが含まれるんじゃないかっていう仮説が、まことしやかに囁かれていたり。
ということで、偉い人は人生の根幹にも、政治的なものの中にも、キリスト教やユダヤ教をブレンドして取り入れているんじゃないかという疑問は、世間からも汲み取ることができたりします。
庶民の行事にやたらキリスト教の行事が多くなったり、アニメではキリスト教やユダヤ教的な、「ヨハネの黙示録」や「生命の樹」を題材にしたものが頻繁に出てきたりということなんですかね。エヴァンナントカみたいなのが。
日本は宗教の自由の国ですが、多くの政治家が、キリスト教系の信仰を持っているのではないかという話は、よくネットで目にしますね。
そして明治維新を起こした維新志士といわれる人たち。この人達は当時のキリスト教の戦争屋の欧米人に、動かされていたんではないかと言われています。実際のところキリシタンみたいな、維新志士もいたんですよね。
明治維新後には、日本の社会全体が一気に西洋文明化してしまったたので、頷ける話ではありますね。
国会議事堂はピラミッド型だし。フリーメイソン的なものが日本の頂点にあるということは、誰でも想像がつくことですし。
だからこそ、明治時代以降の元号にキリスト教的なものを含めているのは、必然的なのではないかと。救世主がどうこうという話も含めて。
全ては単なる偶然かもしれない。妄想を広げる参考にしてください。
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