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1の続き
実は「烏孫に天皇と大和民族のルーツがあるんだぞ」という研究は既にあって、著書がでております。
栗本氏の『シルクロードの経済人類学』だとか、加治木氏の『真説日本誕生・建国前夜の巨大連邦発見』にあるのでチェックしてみてください。
他に「烏孫だぞ」を主張してる作家は見付けて無いんですが、日本人の中央アジア起源説といったもの自体は、明治の昔からありました。
烏孫は中央アジアのキルギス、中国の新疆ウイグル自治区西部、天山山脈の付近にあった、騎馬民族の大国でした。中国の『漢書』『史記列伝』に記録が残ってました。彼らは紀元前の段階で地中海付近から中央アジアへ移住してきたコーカソイドで、加治木氏の著書によればギリシャ系だったとか。匈奴に服属した時代を経て、日本と交易した前漢とも交易してました。前漢人は、倭とも烏孫とも交流してたのでした。
で、Anthrocivitas.netという掲示板に、烏孫人の遺伝子を調べたものがあった。中国人が調べたみたいで、漢字で解説が入ってる。母親から子に受け継がれるミトコンドリアDNAというのを調べたものらしい。これ
左上から、
現代中国人、現代蒙古、シベリアンツングース、コリヤーク、エスキモー。
上の図にある烏孫の水色は、漢字で「白人成分」と書いてあるので、烏孫が白色人種だったのは明らからしい。
日本人は一般論としてはモンゴロイドなので、普通に見れば、烏孫と全然人種が違うわけで、寝言も大概にしろといわれてしまいそうです。日本人と烏孫人の関連をみいだすことは不可能なように見えます。
しかし烏孫の歴史を調べると、全く違った事実が見えてきます。
烏孫の王族は、最初の王・昆莫より以降、積極的に漢の王族と婚姻関係を結んでいました。4代も交配すると白人の容姿はアジア人的な容姿へと変貌していたでせう。つまり烏孫の庶民は白人の外見だったけど、烏孫の王族はアジア人的な外見に変容していたわけです。
庶民のほうでも漢人との婚姻が進んでいたのが間違いなく、現在の中央アジア人の外見が、白人とアジア人種の中間的、しいていうなら日本人にもよく見られる顔が多いというのは、烏孫の頃からの混血が継承されてきたからと見られました。
父親から受け継がれるY染色体のハプロタイプについては、烏孫のデータが見つからなかったのですが、現代日本人と、中央アジアのウズベキスタン人の男系Y染色体に含まれる「YAP+因子」というのを表したものがこれ
日本人の半数近くが、Y染色体を調べるとYAP+だとか。上図の緑色の部分。
日本と中央アジアの間の、中国・韓国付近には、日本人特有のYAPの遺伝子を持ってる人が極めて少ないらしいです。だから「日本人に遺伝子学的に最も近いのは韓国人だ」という人がいたならば、それは話半分に聞いておいたほうがよさそうです。
そして烏孫があったウズベキスタンも、YAP+の民族であるらしいです、チベットも含めて、中央アジア日本人と共通しているということで。
ところで日本のY染色体のD系、YAP因子は、一般論として「縄文人の遺伝子」と呼ばれるらしいです。中央アジア人・チベット人の、D系、YAP因子は縄文人ではないということで、低学歴なのでよくわかりませぬが、どういう経緯と経路で、一致しているのでしょうか。
3に続く
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