ひどい目にあってばかりの俺が妄想で言いたい放題のブログ。
○いつも助かっております
・ひとまず熊本地震のこと
熊本地震 発生日時2016年4月16日
座標(気象庁発表)北緯32.7、東経130.8
以下のことは2ちゃんの自分専用スレにも書いてるのですが、今回の熊本地震で気になったこと。
c・明治時代の熊本地震が変だった
d・東経130度だった
aについて。
いくつかのブログで、「この地点は陸上自衛隊基地(陸上自衛隊高遊原分屯地)の直下だった!」という話があったのだけど、
こことか
熊本県 自衛隊高遊原分屯地と入力したら、緯度32.8経度130.8と出て震源地とピタリ一致! - 紙幣の不思議2
グーグルマップで調べると、ぜんぜん自衛隊基地じゃない場所じゃないかという疑惑が・・・。
(1)・陸上自衛隊高遊原分屯地
32°49'56.4"N 130°51'10.4"E
(2)・気象庁発表の熊本地震(震度7)の震源地
北緯32.7、東経130.8(気象庁報道発表資料・平成28年4月14日21時26分頃の熊本県熊本地方の地震について)
(3)・ウィキペディアの気象庁発表という熊本地震(震度7)の震源地
32°45'12.0"N 130°45'42.0"E(ウィキペディア熊本地震)
(4)・ウィキペディアの米国地質調査所発表という熊本地震(震度7)の震源地
北緯32.782度 東経130.726度(ウィキペディア熊本地震)
この4地点について調べてみた。すると
(1)・陸上自衛隊高遊原分屯地
32°49'56.4"N 130°51'10.4"E付近
熊本空港に隣接してる陸上自衛隊高遊佐駐屯地。
(2)・気象庁発表の熊本地震(震度7)の震源地
北緯32.7、東経130.8
これは少し南にずれてるみたいだが、自衛隊基地からは遠い。
(3)・ウィキペディアの気象庁発表という熊本地震(震度7)の震源地
32°45'12.0"N 130°45'42.0"E(ウィキペディア熊本地震)
やっぱり空港の自衛隊基地からかなり離れた、熊本市街地南方の田んぼの中になってる。
(4)・ウィキペディアの米国地質調査所発表という熊本地震(震度7)の震源地
北緯32.782度 東経130.726度(ウィキペディア熊本地震)
これも自衛隊高遊佐駐屯地からはかなり離れてる。
え~とたぶん、気象庁発表の北緯32.7、東経130.8は十進法になっており、北緯何度何分何秒という表現と違ってるんですよね。
それにしてもこんなにズレてるのは酷くないかなと。3つの震源地のどれも陸上自衛隊高遊佐駐屯地と合致してない件・・・。
今回の地震の震源地は、陸上自衛隊高遊佐駐屯地の直下ではなかったんじゃないかと。
そうすると間違った情報のブログが多数出てしまったということですが、熊本県 自衛隊高遊原分屯地と入力したら、緯度32.8経度130.8と出て震源地とピタリ一致! - 紙幣の不思議2
このブログで紹介されてるGeocoding(住所やランドマーク名から経度、緯度を検索します。世界測地系(WGS84)対応。 ここに情報を入力すると、なんで自衛隊基地を指してるのかは奇妙なことなんだが・・・どれが正しいのだろう?
c・明治時代の熊本地震が変だったことについて。
まず唐突に私的な話になるのですが。最初の震度7の地震は4月14日に発生しました。震源地は益城町で、4にある通り東経130度でした。実は4月13日に、お米を10キロ注文してたんです。そこ、シキっていうお店だったんですよね。それで翌日にマシキ町で大地震だったので、あっ・・・ということで。
cについては、1889年(明治22年)の熊本地震のことですけど。
熊本地震 (1889年) - Wikipedia これ、おかしいんですよね。
発生時刻が「23時45分」で、2345って続くものなのか~という。それで明治時代に人工地震って起こせたのか?という疑問が出てきたんです。まあ偶然に23:45に起きたということでもいいわけなので。
それから1889年の熊本地震では、庶民の記録が残ってたのですね。
『防災くまもと資料 恐怖におののいた明治22年の大地震』によると、五野保萬(ごのやすま)は、日記で次のように記している。
7月28日。夜大地震の事。さて、夜11時30分に地震起こり、一時は家も倒れる如く揺れ出し、実に稀なる大地震にて恐怖甚だし。
こっちの記録の場合、熊本地震は11時30分になってる。
つまり東経130で1130に起きたことになる。ここでも130が。
・国会議事堂と明治生命館
いまの国会議事堂が竣工したのは1936年(昭和11)のことだったとか。で、国会議事堂計画は明治時代から始まっていたようなのだが、明治から昭和初期にかけては仮議事堂が、いまの経済産業省の敷地にあったとか。日比谷公園の南西のあたり。
仮議事堂は何度か建てなおされたようなのだが、建物の正面玄関の方角は、道に沿って南西を向いていたり、南東を向いていたりということだった。これは1920年代以前の古地図をネット検索してわかったことなんすけど。
それで1936年竣工のいまの国会議事堂の向きというのは、東北東を向いている用な感じだとおもうのですが。それまでの仮議事堂の方角とは違っていて、強いて言うなら、ちょうど東京駅方面に向いて建ってるみたいな。
何故これが気になったのかというと、国会議事堂の真正面を辿って行くと、国の重要文化財である明治生命館がどーんと建っていることに気づいたからなんです。
さらに辿って行くと東京証券取引所にたどり着くのでした。そして国会議事堂の反対側には何が有るのかなと思って辿って行くと、山王日枝神社の本殿をかすめていました。さらに辿ってみると国立代々木競技場、そしてNHK放送センターのNHKホールということになってた。
なにかこのラインは、各業界の象徴的な建物を、辿ってるように見えないだろうかね。レイラインというやつで、西から順番に、
ー放送ースポーツー神社ー政治ー経済ー株式市場ーという各界の拠点を結びつけてたわけだったんですよ。まあ俺の妄想なんですけど。
で、最も気になったのは明治生命館です。この建物は当初は三菱の本社機能がはいる建物として、1934年に竣工したんですね。
現国会議事堂は1920年に着工、明治生命館は1928年に建設計画決定ということだったので、国会議事堂が先で、明治生命館が後だったのかと。
国会議事堂の正面が明治生命館の方向を向いてることや、明治生命館が今の位置にあったということ、これらは偶然の産物にすぎないようにも見えるわけなんですけど。
ところが調べてみると、明治生命館は「明治」というだけあって、じつは明治時代の1895年に竣工した、初期の明治生命館(三菱2号館)が建ってたわけなんでした。
つまり明治生命館が先にあって、国会議事堂が後に完成したことになったんですが。
それにしても太平洋戦争後に明治生命館は「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)」が接収し、マッカーサー元帥により「アメリカ極東軍事司令部」が置かれたという出来事は、なにかどことなく運命的なものなんじゃないかなっていう感じがするわけですが。
国会議事堂の真正面にGHQ
だなんて。なにか戦後に連合国軍の軍門に下った日本という国家が、GHQとアメリカに掌握されちゃってるみたいに、見るからにそう見える構図じゃないですか。
「まるで最初からアメリカが国会議事堂の真正面に来ることが決まってたみたいな位置関係だなあ~っ」と。
これがもしかすると、明治時代からのシナリオ通りだったりして・・・っていう気がしないでもないということで。ということは、起きた戦争も含めて。国会議事堂の天辺はピラミッドだし、三菱は明治時代からフリーメイソンだし、気になることはいろいろとあり。
それとも国会議事堂が真正面に向いているから、GHQは明治生命館を選んだのだろ~か?
全ては偶然じゃなかったかも
これは偶然じゃないのかも、「運命的」か「人為的」であるかも、と感じる理由は、建物に秘められた数字にあったんですよね。
東京スカイツリーの高さが634メートルなのは武蔵国(東京の旧国名)にあやかっているからなんですが、「ムサシ=634」という語呂合わせを元にしてるみたいなこと。6+3+4は足すと「13」になることからイルミ関係なんだなーと見れるわけなんですけど。
語呂合わせで決まった証拠
「東京スカイツリー®の最高高さを634mに決定しました。」東武鉄道株式会社
東武タワースカイツリー株式会社
http://www.tokyo-skytreetown.jp/pressroom/pdf/2009101602.pdf
フリーメイソンだのイルミでは、建物を建てると意味を込めるのは、ふつーのことなんですよね。数字の暗号でアナグラムだとか語呂合わせのような。
ということで「国会議事堂や明治生命館は、太平洋戦争の集結とGHQの入居ありきで、それらの出来事を予言している建物」だったとして、なにもおかしくない気がする。世界がオカルト思想でおかしかったのは古代エジプトの頃からだ。
太平洋戦争
・開始 1939年9月1日 第二次大戦の開始(ドイツがポーランドに侵攻)
・参戦 1940年9月27日 三国同盟(日本の参戦)
・象徴 1941年12月7日 真珠湾攻撃
・崩壊 1945年8月6日 午前8時15分 広島に原爆
・崩壊 1945年8月9日 午前11時02分 長崎に原爆
・終戦 1945年(昭和20年)
9月2日とする国 アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシア
9月3日とする国 ソビエト連邦、中華民国(台湾)、中華人民共和国
8月15日とする国 日本、韓国、北朝鮮
つまり終戦に関係する数字は、1945、9.2、9.3、8.15と覚えてほしい。
・着工1930年9月12日 1930912という7桁の数字に終戦日の9、3、9、2が含まれる
・建築面積1,172.877坪 m² 真珠湾攻撃の1941127と奇妙に符合する
・延床面積9,584.149坪 m² アメリカが長崎に原爆を落とした194589が全て含まれ、数字を入れ替えているだけだ。4が重複してるだけ
う~む、着工の15年後の未来にアメリカが入る建物は、日本とアメリカの戦争の記念日とよく合致するではないか。偶然と言っていい。しかし出来杉君。
国会議事堂
着工1920年(大正9年)1月30日 終戦日9.2、そして何故か1月30日
結論として
結論1「明治生命館は、未来に太平洋戦争が始まり、終結直後にアメリカが占拠することを最初から分かっていて、だからこそ指定された年月日を建物情報に含めている」
結論2「国会議事堂の正面に明治生命館が配置してあるのは、完成した1930年代の時点で、1940年代の第二次大戦とGHQの関わりをすべて想定し、情報を込めているからだ」
というトンでもない陰謀が考えられたんですよね。この考え方の場合は、第二次大戦は最初から最後までシナリオ通りだった可能性が浮かんでくるわけなんですけど。もちろん日本は負ける役目で決まってた。
あるいは他の考え方もできる。
・全くの偶然
・運命的なもの
・未来人が明治生命館建設に携わり、将来の歴史的出来事を建物に込めた
・・・・・・
国会のピラミッドと吉野家。
まぁここに書いてるのは、機密文書を元にしてるわけじゃなくて、単なる個人的な妄想ですから、小説程度に考えて気にしないで良いですけどね。
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