たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

皇居とこの街の○○が同じ経度上にある謎

母親は、死の1ヶ月前まで、生きる気力に満ちていた。自分の好きなことをして過ごすのだと言ってた。それが、あっという間に死んでしまった。急性肝炎が劇症肝炎になり、どうしようもなかった。人は明日どうなるか分からないと、改めて痛感した。俺も来年には死んでるかもしれない。そう思うと、つまらぬ人生を送ってきた、罵詈雑言を浴びせられるマトとして機能してきた俺としても、やるべきことを出来る範囲で、やっておかねば、いけないのではないかと改めて思ったのだが、本日もかったるいではないか・・・。 

 

○いつも助かっております

 

 

街に横たわるへんな謎

 

筆者が居住している某市には、知られざる謎が多いです。

畏れ多くも、落ち武者風情の筆者が、その一つを取り上げてみる。

 

これは2006年には既に気づいていて、某掲示板に書いたことがあります。

書き込んだBBS(ここの137番目。今のIPとは異なる)

 

その謎とは、

東京の皇居の宮殿と、某市役所の位置は、なぜか同経度上に置かれているというものです。

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皇居の宮殿も、某市役所も、東経139度45分8秒前後の付近にあるのだ。

しってましたか。気づいてる人はいたかもしれませんが(2006年にチラッとつぶやいたので)。

32キロメートルも離れていて、この一致精度を見ると、この場所に建てたのは計画的であると言えます。

これは一体何を意味するのだろう。

 

他にも皇居の宮殿と同じ緯度・経度上に、地方行政の中心が置かれているケースがあるかと思って調べた。すると、以下の結果を導くことができた。

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皇居の宮殿と同じ、東経139度45分8秒付近の上にあるのは、日本列島上で、某春日部市役所のほか、某文京区役所だけだった。

ちなみに東京ドームや桜田門の警視庁も、同じ東経上にあった。

 

また、皇居は北緯35度40分57秒前後の位置にある。この北緯と同じ地方自治体の役所はあるのかと思い調査したところ、日本列島内では某三鷹市役所と某国立市役所の2ヶ所が確認できた。

ちなみに都内の同じ北緯に、日本最大の新興宗教団体の本部があったが、なんか関係あるんだろか・・・。

 

 正確な緯度と経度を知るには、このサイトが使い勝手が良いです。

Googleマップで緯度・経度を求める

 

春日部市役所の他の、文京区役所、三鷹市役所、国立市役所は、たまたま皇居と同じ緯度・経度に建てられたのかもしれない。

しかし某春日部市役所の場合には、明確に「皇居の宮殿と同じ東経上に建てた」ことが明らかに見えました。何故なのか、それは市の歴史を見ると理解できました。

春日部市の概要をまとめたPDFがありまして、このファイルの中腹に「市の年表」があります。旧石器時代からの市の歴史を知ることができます。

これを見ると春日部の名の由来が、春日山田皇女に由来するか、豪族の春日部氏に由来しそうですが、以前ブログにまとめたことがありました。

 武家の春日部氏と古墳の謎あれこれを参照してください。

 

 

では核心の話へ

 

1960年、皇居の宮殿(新宮殿)の建設が始まったとか。ウィキペディア「皇居」参照。完成は1968年。

 

年表の話に戻ります。

昭和40年(1965年)から土地区画整理事業の話が出てくる

この街を東西に縦貫する国道16号は、建設制定が1887年だとか。

1966年、家の近くで岩槻~春日部区間の工事を施工とか。

1967年、国道16号が開通したらしい。同じ年、こんな出来事があった。

 

昭和42年(1967)10月 天皇・皇后両陛下ご臨席のもと、国体女子ソフトボール大会が大沼運動公園グランドで開催される

 

昭和天皇が観覧されたとかいうらしい。

さらに関連して、この街には、以下のような出来事が。

 

昭和45年(1970)1月 新庁舎建設工事が着工される

 

つまり謎の市役所の位置が決定したのは1970年以前ということになる。皇居の宮殿の建設中だったかもしれない。筆者が誕生する7年前だ。

さらに、

 

昭和46年(1971) 1月 新市庁舎完成、業務の統合と窓口の一本化が図られ、行政需要に万全が期される

 

ついに完成した。1971年、筆者が生まれる6年前のこと。おめでとうございます。そしてこんな出来事もあった。

昭和51年(1976) 4月 人権モデル地区の指定を受ける

この街は人権モデル地区だったのか。てっきり人権侵害優先地区だと思ってた・・・。

そして、

 

昭和52年(1977)7月 皇太子殿下がご来庁になり区画整理事業状況を視察される

 

当時の皇太子殿下、今の今上天皇陛下が視察なさったとか。

その後、年表には無いが、最近では、

2010年 5月 皇太子殿下が首都圏外郭放水路を視察

ということもありました。

 

ここまでの青で示した文字列を、今一度、見なおしていただきたいと思います。

 

要するに、某春日部市役所と皇居の宮殿が同じ経度上にあるのは、

「某春日部市役所建設は、天皇家の肝入りの計画だった」

かもしれないという知られざる真相が見えて来ましたが・・・・。

 

真相は、1968年の皇居の宮殿の完成に合わせて、皇居宮殿の北方の、某春日部市で、同経度上に市役所を建設しようという話が出たのでせう。

 

宮殿完成の記念的な意味を込めて、建設したのであろうと。表向きの理由としては、そのように考えられました。

建物の形を見ても、どう見ても皇居めざした矢印みたいな意図があるようにも思われますし。某市役所の色使い「青緑色」を見ても、皇居の神殿と同じだし、市民にいつかは知ってほしいという意図が見えますが。まあそうした観点からすると、この情報は決してタブーではなかったでせう。

ちなみに、この1977年はボクチンの誕生年でしたが、なにか・・・。

  

ともかくこうして某市役所の建物と、天皇家の関係が見えてきますたが・・・。

春日部市の謎については、冒頭にある通り、2006年には分かっていたのですが、その後発表する機会を逸してど忘れしてましたが。

他の市役所等の位置については、今日になって調べたところでした。

 

しかし、話はこれだけに留まらないのです。

つづく。

 

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