たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

武家の春日部氏と古墳の謎あれこれ

春日部は謎に満ちている・・・いい加減にして欲しい謎まであるのですけど。

あ、お前が言うな、という嘲りの声が・・・。

では、春日部の秘密をほんの少し。

 

埼玉県の春日部という地名、実は、近畿地方にもあるのですね。 

・埼玉県春日部市

兵庫県丹波市春日部

京都府亀岡市曽我部町春日部

京都府八幡市八幡春日部

 

というふうに近畿地方に、春日部という地名が幾つか集中していました。

まぁ、このワケは、鎌倉時代以前に遡るのですけど。 

鎌倉時代、春日部には春日部氏という武家がありました。

ウィキペディア春日部氏を見ると詳しくあるので引用(青文字が引用)。

 

「春日部氏(かすかべし)は、日本の氏族の一つ。紀姓春日部氏は、かつて現在の埼玉県春日部市周辺を拠点とした武家鎌倉幕府の御家人。春日部市の市名の由来となった。

また古代の部民としての春日部氏は安閑天皇の皇后である春日山田皇女の生活の資用に当てられた料地等の管理に携わった人々を言い、この皇后の名に因むとする説がある」

安閑天皇というと継体天皇の後なので、だいたい6世紀前半から半ばの在位。

春日部は、鎌倉時代に春日部、江戸時代に粕壁となり、現在はまた春日部に回帰したことになる。春日部は、ぐるっと回って同じ所に戻ってきたのだ・・・。続きを見ますと、

「春日部氏には、武蔵国の春日部氏、陸奥国会津)の春日部氏、伊勢国の春日部氏と3つの系統がある。どれも血縁的に繋がりがある。また、血縁関係は不明だが、これとは別に赤松氏の分家が春日部氏を名乗っている。」

昔は春日部氏は各地にいたとか。

・紀姓春日部氏 (武蔵国)
会津春日部氏 (陸奥国)
・伊勢春日部氏 (伊勢国)
・赤松春日部氏 (丹波国)

 

紀姓春日部氏

「春日部氏が最初に資料に登場するのは、吾妻鏡の文治3年(1187年)の武蔵国武士について書かれた項で、夜須行宗の壇ノ浦での軍事行動を鎌倉幕府に証言するため、春日部兵衛尉という人物が幕府に出頭したと記されている」

12世紀に登場したとのこと。その後どうしたんだろう。

 

「戦国時代末期になると岩槻太田氏に仕え、さらに後北条氏が進出してくると、その支配下に置かれ、徐々に立場は弱くなっていった。北条方についた春日部氏は豊臣政権に小田原征伐で領地を没収され、各地に離散していった」 

春日部氏は、豊臣秀吉にやられちゃったらしい。

しかし春日部氏の子孫は各地にいるとか。


「現在でも春日部氏の子孫が会津若松市福島県)や春日部市鶴ヶ島市(共に埼玉県)に居住していることが判明している。日本水彩連盟創設者の一人春日部たすくもその一人」

 

埼玉県、兵庫県京都府の春日部という地名は、鎌倉時代の春日部氏の名が残ったということでせう。或いは春日部市の春日部の場合は、6世紀の春日山田皇女の名前が由来かもしれないということで。

春日部で最も大きな神社、春日部八幡神社は、春日部重行が鶴岡八幡宮を勧請して創建されたということです。

 

ところで、春日部には内牧塚内古墳群がある。

「建造年代は6世紀から7世紀中ごろ。かつては円墳・前方後円墳ら14基点在していたが、現存するものは7基かそれ以下となっている。ほとんどが私有地内にある」

 

以前は運動のためとインスピレーションを得るためと、自宅にいるのが嫌なために、このへんを散策することもあったんですが。怪しい者だと思われていたかもしれませんが。まぁどこに行っても同じでしたが・・・。

この古墳群が造られたのは6世紀から7世紀中頃。ということは、春日山田皇女の部民が奈良から春日部に移ってきた時代と一致しているということに。

つまり内牧塚内古墳群の被葬者は、奈良からやってきた春日山田皇女の部民の家族ということになりそうな気がするわけですが。

全国に古墳は星の数ほどあるといっても、被葬者を特定できるものは少なかったりするので。もしこの仮説が当たってるなら、内牧塚内古墳群は全国的にも珍しい、「被葬者の特定できる古墳群」となり、価値が高まることになるのですけど、はたして・・・。

 

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