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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

奈良盆地の三輪山・大神神社に対応している、関東平野の三輪野山・三輪神社

三輪山 前方後円墳 地名

電子書籍上巻で触れましたが、九州、近畿、関東は、九州系地名と呼べる、同一地名の土地でした。たとえば下の図のように

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一例としては九州北部の対馬国の「馬」に対応するのが、近畿地方但馬国であり、関東地方の群馬なのであるとか。

そうすると群馬の知られざる名の由来が見えてくることになりました。

そして、福岡に、福井、福島といった「福」が対応する。

神埼郡に、神崎郡、埼玉郡の「埼(崎)」が対応する。

こうした地名の一致を調べ、電子書籍で発表していたのでした。

 

そして、

電子書籍を発表した段階では、わかってなかったのですが、日本神話に登場する「三輪山」に関して新たな発見が。

 

筑紫平野に、大三輪山、大三輪社、祭神大国主神大物主神

奈良盆地に、三輪山、大神(おおみわ)神社、祭神大物主神

 

という一致までは見つけていましたが、新たに関東地方に、三輪山大神神社に対応する、山名と神社を見つけました。

場所は千葉県西部、埼玉県との県境にある流山市。

 

ここに「三輪野山」があります。

今では三輪野山は宅地開発がされて、昔の面影を見ることはほとんどできない土地になっていました。

三輪野山は東西1.0km、南北1.3km、標高20mほどの小高い丘。最高地点は県道5号線付近の標高22m。

三輪野山の西方には江戸川の流れがあり、東方にはつくばエクスプレスの線路が通ります。北西方に北千葉浄水場と花輪城址公園。花輪城址は戦国時代にこの付近一帯を治めていた千葉氏(桓武平氏)配下の、高城氏の城郭遺構が残されている遺跡です。

南西方向に、流鉄流山線流山駅と流山市役所。

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上は現在の地図(国土地理院の地図を利用)。青く示した部分が三輪野山の丘陵。

三輪野山の北方に、茂侶(もろ)神社があり、この神社の旧称が「三輪神社」となっています。『延喜式神名帳』で下総国(しもうさのくに)葛飾郡(かつしかぐん)茂侶神社とあるとか。

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こちらは歴史的農業環境閲覧システムの古地図。明治時代初期~中期の様子。今と比べてほとんど住宅がない。茂侶神社の位置に神社マークがある。

 

なぜこの神社が奈良の大神神社に対応するかというと、ウィキペディア茂侶神社の頁に以下のように理由が書いてあります。

流山市と松戸市の茂侶神社は大物主命を主祭神としている。吉川市の三輪神社は大己貴尊(大国主)が主祭神であるが、これは両神が同神であるとされるためである。これらのことから、社名の「茂呂」は、大和国三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」のことであるとされている。三輪山の麓には、三輪山を神体山とする大神神社があり、大物主命を祀っている。

 

さらに三輪野山の頁に以下のようにあります。
地名の由来

古代に西国から移住してきた人々が江戸川方面から当地(丘陵)を眺めた時に、故郷大和国三輪山に地形が似ていたことから命名したと言われる。

出展:下総思い出百話 ふるさとの歴史を尋ねて(崙書房)

 

要するに流山の茂侶神社とは、奈良の三輪山の別名「三諸山」の名を冠し、「三諸山神社」という意味があったのです。

そして茂侶神社(三輪神社)の祭神大物主神は、奈良の大神(おおみわ)神社から分祀されたとのこと。

だからこの小高い丘の名を三輪野山といい、三輪神社(茂侶神社)といい、祭神が同一なのですよ。

 

関係無いですが、映画「もののけ姫」でしゃべる巨大オオカミ「モロの君」が登場しましたが、モロの声を担当したのは美輪さんでしたが・・・もののけ姫大物主神、モロと茂侶神社、三輪野山と美輪さん。まぁ関係ないと思いますが思いついたので。と思ったらまた思いついたんですけど、巨大イノシシの乙事主もまた大物主(事と物)の名前を意図したものとしたら。 日本神話の名前から取っていたのかということに。まあジブリのアニメに秘められた別の意図みたいなものを感じ取ってから、あまり好きじゃなくなりましたけど。( -_-).....

 

九州、近畿、関東の三ヶ所の三輪山・三輪神社を比較すると以下のようになる。

土地 三輪山  神社    祭神

千葉 三輪野山 三輪神社  大物主神

奈良 三輪山  大神神社  大物主神

福岡 大三輪山 大三輪神社 大国主神大物主神


関東地方には、他に三輪山、三輪神社のワンセットが無いことから、ここが奈良の三輪山大神神社に対応している土地と見て間違いなさそう。


創建年代は不詳ながら、近隣の三本松古墳との関係性があれば、年代は古墳時代から弥生時代末期に遡るとみられました。

流山市三輪野山の南東、鰭ケ崎塚腰に三本松古墳あり、別名、思井古墳。6世紀中葉から後半の築造、全長25メートルの前方後円墳。茂侶神社との関係は不詳。


地図で三輪野山の周の地名を捜索してみたところ、三輪野山の西方、埼玉県吉川市に「三輪野江」がありました。かつて埼玉の三輪野江付近までが三輪野山の茂侶神社(三輪神社)の境内だったのであるが、江戸川の掘削により分断され、三輪神社を分祀した名残りが、吉川市三輪野江という地名らしい。

かつての茂侶神社は、境内も社殿も、今よりずっと立派だったのではとお見受けしますが。

古代、関東ではこの三輪野山、茂侶神社(三輪神社)が、奈良の三輪山大神神社の代わりとして、蛇神・大物主神信仰の中心地となっていたであろうことは、容易に想像がつくのでした。

 

この流山の三輪野山を中心とした半径22km以内には、奈良の春日に対応する春日部、河内国に対する河内郡、葛城に対応する葛城などの地名が揃っているのでした。


関東に三輪山に対応する三輪野山があったからには、必然的に、関東平野と周辺部に「大和三山」(畝傍山、天の香具山、耳成山)に該当する山があって然るべきと思ったので、現在関東平野を鋭意をもって確認中です。

しかしちょっと茂侶神社を調べすぎて、朦朧(もーろー)としてきました。

 

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