たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

倭人=シャモの謎

あけおめです。

 

新年早々から鬱が始まっている・・・俺を馬鹿にしたくて仕方がない近隣の中学生等が、罵声・奇声を浴びせてきたり、組織的つきまといは酷いし、テレビは試聴するとイライラするし、「1984」のテレスクリーンが実現してるみたいで嫌だし(想像)、世の中の偉い人に虐められるし、散々な状況はあまり変わらない様子。

今年は春までに電子書籍を出す予定です。紙の本になるかは不明。

 

ところで先日アイヌの人が、日本人を「シャモ」と呼んだのがニュースになったらしい。日本人=SHAMO。

アイヌ人は、何故日本人をシャモと呼ぶのか。シシャモやシャモジは関係あるのか。

アイヌは和人をシサム(シシャモ)と呼んだ、または和人という漢字のアイヌ語読みがシサム、シャモとか言われるらしいのですが、ほんとだろうか。

つまりお魚のシシャモは、倭人の意味を持つということになるらしい・・・。

 

シャモという名を聞いて直ぐ様思ったのは、「シャム」に似てるなと。

シャム人というのは、東南アジアのタイ人(タイ族)のことですが。

で、実は倭人東南アジアのタイ人は、実は無関係じゃないです。なぜかと言うと、

『隋書』の倭国伝は正確には、何故か「俀(tai)國伝」でした。

摩訶不思議なことに、倭(wa)=俀(tai)で、倭人=俀(tai)人だったので。  

 

倭人=俀人(tai人)=シャモ人

東南アジアのタイ人=シャム人

 

これはどう見ても、倭(日本)と、東南アジアのタイとは繋がりが感じ取れるということに。 

東南アジアのタイ人というのは、嘘かホントか、元々紀元前5000年頃にはアルタイ山脈のあたりにいたとか(それでアルタイのタイでタイ人なのかは不明)。

で、紀元前1000年ころは、中国にあった古蜀の人々と同一だったということで、要するに中国の文献を読めば、東南アジアのタイ人のご先祖様が出てくる。彼らは中国の重慶の付近にムアン・パーとムアン・ギャオという拠点を持ってたとか。

その後、前3世紀頃にタイ人は南下し雲南省にたどり着きますが、ここで彼らは北方の中国人からは、南蛮とか哀牢(アイロウ)と呼ばれた。

その後、六詔、南詔、を経て、大理を建国したりさらに南下するものがあって、現在のタイに至ってるらしい。

 

で、この7世紀の雲南省にあった、東南アジアのタイ人の国「南詔」の中心地の名前が、何故か「大和城」だったのでした。大和といえば大和民族の代表的な地名なわけで、ますます倭人とタイ人の同祖論を持ち出す必要が出てきそうですが。

 

ではアイヌがなんで、倭人をシャモと呼んでたか。

恐らくアイヌは、 

倭(wa)人=俀(tai)人=シャモ(shamo)人

という認識が大昔からあり、いつしか深い意味は失われたが、惰性で倭人はシャモだと言い続けてこんにちまで続いてきたんでは。

そして邪馬台国の邪馬はジャマとも読めるので、邪馬→ジャマ→シャモと呼んだ可能性もあるのではないかと。

しかも邪馬台国の「台」っていうのがまさに、台(tai)=俀(tai)ですし。

要するに邪馬台国は「邪馬(yama→shamo)+台(tai)=俀(tai)国」だったんすね。これは偶然ではなさそう。

 

しかしそうすると、邪馬台国東南アジアのタイ人と同じなのかという疑問も出るのですが。そもそもタイ人と日本人の遺伝子が違うと言われればそれもそうなので、よくわかりませんが。

紀元前に中国大陸のどこかで、倭人(大和民族)の邪馬台国の人々と、東南アジアのタイ人の接点があったということ、だから両者は共にシャム・シャモと呼ばれた。ということかも。

雲南省には紀元前1世紀から滇王国があった。滇王は前漢から「蛇の金印」を授与された。日本の金印「漢委奴国王印」が蛇の金印だったので、同じ民族と認識されてたんすかね、だからタイ人はこの南詔で、蛇の金印の民族と融合してるんですね。それ以前にも中国大陸の何処かで、倭人の先祖の一部とタイ人は一緒だったことがあったかも。

 

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