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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

高天原三神は太陽神だった1

 2012年に入ってから、太陽の活動に様々な異変が起きているそうです。専門外なので(そもそも低学歴なので、古代史以外の専門知識に疎い・・・)それら太陽の異常について詳しくは述べませんけれど、注意深く情報を漁っているところです。

 

 その太陽と言えば、地球上に生命体が生存する上で欠かせない、太陽光と温暖な気候を齎すということで、太陽が無ければ地球生命の99%は存在し得ず、従って人類に恩恵を齎す太陽を世界中で崇めて信仰対象とするのも、必然的だったというところです。

 記紀の中では、高天原という神様の住まう場所と世界を統治する存在が、天照大神という太陽神です。日本の神道では太陽神である天照大神が事実上の最高の神様とされ、太陽といえば天照大神であり、日本国の国旗である日の丸の赤い丸は、太陽のシンボル化であると同時に、天照大神を象徴するものだとされています。日本書紀で太陽神は「大日孁貴(オオヒルメノムチ)の名で登場し、これは天照大神の別名であるという注釈があります。

 ついでに日の丸についてあまり詳しく無かったので、ちょっと調べてみました。日本の国旗は外国とは異質で、国旗の支柱にも意味を持たせているらしいのです。支柱の最上部にくっついている金色の丸い部分、これは神武天皇の東征の際に天皇軍を導いたとされる金鶏を象徴してるらしい(一説には八咫烏であるとも)。そして日の丸の旗の支柱は、通常白黒に彩られているのですが、これは神武天皇の弓を意味するのだとか。日本の国土を最初に治めたとされる天皇・神武こと神日本磐余彦尊と、その祖神であり、高天原の神の頂点に君臨する天照大神を象徴しているのが、旗竿を含む日の丸の複合的な意匠であるということでした。

 

 で、本題にある「高天原三神は太陽神だった」との文言については、様々な本を調べてもそのような解釈は無かったです。高天原の三神と言えば、記紀を読んだことがある人であれば、すぐに名前が出てくると思いますが、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒのことです。古事記日本書紀では、呼称と位置づけが若干異なってますので、この三柱の神々については少し説明が必要であると思われます。

 古事記高天原三神は「原初の神」であるのに、日本書紀は国常立・国狭槌・豊斟渟(とよくむぬ)・可美葦牙彦舅(ウマシアシカビヒコジ)の神らに遅れて登場してきます。

 用いられる漢字を書いてみても、かなり違います。次のようになってます。

 

高天原の三神

古事記     日本書紀   読み仮名
天之御中主神  天御中主尊 あめのみなかぬし
高御産巣日神  高皇産霊  たかみむすひ
神産巣日神   神皇産霊  かみむすひ

 

 古事記での尊称は「神」で日本書紀のほうでは「尊(みこと)」です。尊とは「特に尊い」神に用いられます。

 

 記紀神話は天地開闢から始まるのですが、一説によれば記紀双方の初期の「造化三神」「訳天つ神(ことあまつかみ)」「神世七代」などと呼ばれる神々は、この天地開闢を神格化した存在であるとされてるのです。重力により太陽系に渦巻状ガス雲が出来、恒星太陽が出来、宇宙に漂う岩石が寄り集まって惑星地球が生成され、やがて生物を育む大地と大気が出来上がったという地球規模での歴史を、古代人が先祖から聞き及んでいた結果の産物なのでしょうかね。世界中の神話の天地開闢とは、地球創成の歴史を表しているとも言われるのです。

 古代人が地球の生成過程を想像力で生み出し、神話として残しているのであれば、極めてオーパーツ的であるとも言えますが。それとも超古代には先進的な別の文明が存在しており、その文明の人々が神として栄えた時代に宇宙を観測し地球の歴史を調査した時の記録が、世界中で神話として残されたんですかね。

 

 そのへんはともかく、それで日本の神様の出現について、個人的に疑問に思ってた部分があります。

日本書紀」の中で、最初の生命の芽生えは、一説には神世七代の角樴尊(つのくい)・活樴尊(いくくい)という、神の誕生で表される可能性があるという点です。この二柱の神を構成する漢字を解釈すると次のようになります。

 角という字は「角ぐむ」と言われるように、これは植物が発芽する際の言葉であるのです。「樴(くい)」は地面に突き刺さった棒であるので、植物が地面から芽生えてくる様子を表しています。「活(いく)」は、まさに生命が生きるという意味であるので、角樴尊・活樴尊のニ柱が生命体を表している点に、疑いの余地はないというところです。これらの神は「古事記」のほうでは角杙(つのくひ)・妹活杙(いもいくくひ)と書かれており、用いられた漢字が違うだけで全く同一の神様です。(この部分は石川氏の「古事記に隠された聖書の暗号」という本にもありますので参考に)

 ちなみに「妹(いも)」というのは、じゃがいもやさつまいも等の芋のことではなくて、妻という意味です。古代の日本人は妻を妹と呼んだのです。関係ないかもしれませんが、このあたりは「旧約聖書」でアブラハムの妻サラを始めとし、妻が妹であると呼ばれていることと、奇妙に似ていますね。

 次に登場する神である、面足(おもだる)・惶根(かしこね)(古事記では於母陀流・妹阿夜訶志古泥)についての解釈は様々に存在するのですが、個人的な解釈として「面(顔)を地面に垂れる」「シコネ=四股根=4つ脚)」という解釈を導くことが出来、これは地上の主要な動物たちの誕生を表していると判断してみたわけです。

 伊弉諾・伊弉冉(伊邪那岐・伊邪那美)の二柱は、その次に誕生する、人間の男女の誕生を表す神様です。

 これらの神々で植物の誕生、四つ脚の動物の誕生、二足歩行のヒトの誕生といった、地球生成後に地上に満ちた、植物と動物の進化の過程が濃縮されている可能性があると思うんです。

 でもこれは定説ではないので、そう信じるかどうかは人それぞれの感性に委ねられるところです。

 

 生命が誕生し生きるために欠かせない要素が太陽光です。太陽がなければ地球は宇宙の気温と同等の、寒い惑星でしかなく、植物も光合成をすることが出来ず、従って原始的な植物自体、生命を維持し増殖をすることが不可能に近いことはなんとなく理解できます。

 宇宙の気温を調べてみると、マイナス270度という数字が出てきます。太陽のような熱を発する恒星から遠くはなれた場所の平均的な気温です。もしもの話で、明日にでも太陽が消えてしまったとすれば、活火山、温泉、海底の熱水鉱床など地球自体の活動に伴う限定的な発熱箇所を除けば、地球上の気温は想像を絶する極寒のレベルに下がり、生物がほぼ絶滅する可能性が高いってことです。

 動物の原始的な動物の姿は、海中を漂うミミズのような単純構造の生き物だったらしいです。それが長い年月をかけて魚類となり、両生類となり、爬虫類となり、哺乳類となり、現時点で地上を闊歩する動物と人間まで進化した、これが進化論のごく単純なモデルです。そして生命体は太陽光を浴びなければ、生存も、複雑な進化も出来ないに等しかったということのようです。

 そもそも太陽の熱があってこそ、地上の水は熱され、蒸発し上空に登り、微粒子に水素が付いて雲が出来、雨が降るわけなので、太陽がなかったら地球は氷と砂漠に覆われた、暗闇と極寒の星になってますが。

 このように本来であれば、「太陽が誕生した後に、生命が生まれる」順番が確立しているわけなのです。生命を司る神々、角杙・妹活杙・於母陀流・妹阿夜訶志古泥・伊邪那岐・伊邪那美が誕生するには「太陽が必要だった」筈なのです。

 

 ところが記紀神話は、「生命が誕生した後に、太陽が登場する」という矛盾をはらんでいた」のです。

 

 そりゃ~神話だから、神話は創作物語だから、矛盾だらけだよと言われてしまえばそれまでです。残念でした。めでたしめでたし。 

 しかし記紀の神話では、太陽神天照が天の岩屋に引き篭もると、地上世界は暗闇に閉ざされ災いが起きたと書かれてるのです。この記述を元にすると、記紀神話で生命体は、太陽の存在しない暗闇の中で生まれたことになってしまうのです。最大の矛盾点が出てきてしまいました。漆黒の闇の中では、生命体は育まれないことは勿論古代人は知っていただろうし、原初の生命も生まれないに違いないと知っていた筈だからです。

 そこで、やはり角杙神等生命を表す神々以前にも、太陽神は存在したのではないかと考えてみるのです。古事記天地開闢を例にして、原初の神々の名を列挙してみます。

 

2に続く。