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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

史記の三神山(蓬莱山、方丈山、瀛洲山)は日本にあるのか。富士山の名の由来は方丈山だった?

トゥルーマンショーだなぁ~と感じても、何も抵抗する術もない日々の中で、古代中国の東方の海にあったという「三神山」について、ふと想像を巡らしました。

三神山とは伝説の、蓬莱山、方丈山、瀛洲山。

中国の山東半島に蓬莱県があり、こちらが蓬莱山の地だともされています。しかし蓬莱山を含む三神山は、日本にあるという仮説もあったのです。日本が瀛洲という別名を持っているのも、日本が三神山の瀛洲山のある島だと言われてきたからですよ。

だからこそ三神山の伝説を伝える主である徐福が、「倭へ渡った」と『魏志』に書いてあるのです。だとすると三神山は、日本に実在するんだろうか、どこにあるんだろうかという疑問が湧いてきます。

ひとまずは三神山について、辞書を引いてその概要を把握します。

 

蓬莱(ホウライ)について

『学研漢和大字典』によれば「蓬」とはよもぎのことで、または「⑤蓬莱山の略。伝説で、東海の島にあるという山」。この東海とは古代中国の東方の海域、日本海、東シナ海、太平洋を含みます。

この蓬莱山という名の山、実は日本の各地に幾つか見られるんです。

滋賀県大津市の蓬莱山

新潟県村上市の蓬莱山

福島県福島市の蓬莱山

岩手県奥州市の蓬莱山

・北海道札幌市の蓬莱山

なんか良く分かりませんが、本州の滋賀県より東側に5つの蓬莱山が散在しました。蓬莱山は大量生産で、バーゲンセールされてたみたいです。数が多すぎて、どれか一つが真の蓬莱山だということも判断つきかねます。

ほかにも蓬莱島という島が、小笠原諸島、宮城、秋田、岩手にあるんです。

そして奈良県奈良市垂仁天皇陵は、古墳名を「宝来山古墳」というのですが、これも実は蓬莱山が密接に関係しています。実際のところは垂仁天皇陵ではないのですが、これについては今後出るであろう電子書籍にまとめています。

蓬莱岩、蓬莱峡、蓬莱町と、全国に蓬莱の地名が散らばってるのは、おそらく徐福渡来伝説に関係してるのかもです。日本が蓬莱山の土地であるとの伝承を踏まえて、日本各地に蓬莱の名が名付けられていったとすれば、日本は古来より秦の影響を強く受けていたのは間違いないです。

蓬莱が「よもぎ」だとすると、よもぎと黄泉(よみ、よも)は関係するかもですが。発音からしても似ていますし。何故かと言うと『出雲国風土記』で、蓬莱山のことを「常世国」と言っているからなのですね。常世国と黄泉は、いずれも出雲に関係があるとされます。そうすると出雲辺りに、蓬莱山とされる山があったのやら。

 

瀛洲(エイシュウ/ヨウシュウ)について

『学研漢和大字典』によると「瀛洲」とは「中国の伝説にある三神山の一つ。東海(渤海)中にあって仙人が住んでいると伝えられる。「海中有三神山、名曰蓬莱、方丈、瀛洲、僊人居之海中に三神山有り、名付けて、蓬莱、方丈、瀛洲と曰ふ、僊人ここに居す」『史記』新始皇」とあります。

そういえば、瀛洲山に似た名前を、日本人は知ってるではないですか。

阿蘇山。『隋書』に倭国を代表する山として登場しています。富士山ではなく九州の阿蘇山なのが重要ポイント。瀛洲(えーしゅ)阿蘇(あそ)はなんとなく似てるので、もしかするともしかします。

瀛洲が日本を表す言葉なのは、本来阿蘇山=瀛洲山のある九州こそが倭国だったことを表していると思えるのですが。

 

方丈(ホウジョウ)について

「方」というのは四角い、方角、国を表す文字。

『学研漢和大字典』で「方」を調べてみると、「⑧不老長生の術。▽秦の始皇帝漢の武帝が重用した「方術」「方士」(不老長生の方法を求めた仙人)」とありました。

「方丈」の意味には「神仙が住むという、渤海にある島。方壺」とあり。ここでいう渤海とは、漢の東方の海域全体のことで、太平洋、日本海など含んでいます。要するに渤海の島とは日本が当てはまることになっています。

この方丈山によく似た名前の山を、日本人はよく知ってるんではないですか。

富士山。・・・方丈山→ ほーじょーさん → ふーじーさん → 富士山

富士山の名は、アイヌが起源とか言われますが、実は方丈山を元にしているかもしれないんですが・・・筆者の妄想です。

しかしこの妄想は、平安時代より前には既にあったという『竹取物語』によれば、まったく外れてもいないみたいなんですよね。

帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もしなかった。 大臣や上達部を呼び「どの山が天に近いか」と尋ねると、ある人が駿河の国にあるという山だと言うのを聞き「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と詠み、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠という人を召して、それらを駿河国にある日本で一番高い山で焼くように命じた。

その由緒を謹んで受け、「士(つわもの)らを大勢連れて不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を「富士の山(士に富む山)」と名づけた

竹取物語 - Wikipediaより

 

という展開でした。では『学研漢和大字典』の記述を思い出してください。要点をまとめると

秦・漢における方丈山

・「方」は不老長生の術

・方丈山には神仙が住む

・方丈山の別名は「方壺」

 

これらを踏まえて、古来より伝えられる竹取物語の中の情報と照らし合わせますと、

竹取物語の富士山

・富士山は最も天に近い(神仙の山)

・不死の薬(不老長生)

・なぜか壺が添えられている(方壺を示唆)

 

つまり竹取物語の富士山には、方丈山の特徴が備わっていたということなのです。

富士山の名前の由来として、昔は富士山は方丈山と呼ばれていた山だったのが、いつしか富士山と訛った可能性は、まったく否定出来ないことになります。

竹取物語とは、おそらく秦の方面から伝わってきた物語と思います。かぐや姫が「月に帰る」の月とは「月氏」を示唆していて、月氏と同じ系の秦人、あるいは秦氏が伝えていた伝承が、残っていたのではと想像します。月氏の国から日本へ来たかぐや姫が、月氏の国に帰るという骨子なのではと。

そうすると富士山が方丈山と呼ばれていたのは、紀元前に徐福が東方へ渡った頃からと言えるのかもしれませんが、勿論妄想です。

 

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