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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

【前方後円墳矢印説】磐余若櫻宮を示す神功皇后陵・五社神古墳編

日本書紀』にある、神功皇后が葬られた狭城盾列陵は、奈良市山陵町の五社神古墳(ごさし)に治定されます。全長273m。4世紀末の築造。

西大寺に伝わっていた奈良時代の地図『京北班田図』に「神功皇后山陵敷地」の名が記載されており、これを元に文久三年(1863年)に五社神古墳が神功陵と治定されました。『「天皇陵」総覧』より。

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五社神古墳の中心軸を測り、そこから線を前方部方向へ伸ばすと、完璧に神功皇后の宮殿「磐余若櫻宮」に遭遇します。

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神功皇后に繋がりのある建物や土地が、中心軸上には他にありません。そのことからも、五社神古墳の前方部が磐余若櫻宮を指しているのは、神功皇后陵であることを後世に示すためと考えられます。五社神古墳は入門レベルで、他の古墳の場合には、例えば律令制時代の郡・郷名と、延喜式式内社をよく調べ、照らし合わせないとわからないものなどもありました・・・。

 このようにして原稿にまとめてます。

天皇陵の中の前方後方墳、上八角下方墳、皇族、貴人の前方後円墳、または中心軸を導き出せる古墳の中で、被葬者名が伝わっているもの60~70基程度、全て調査しました所、恐らくもう前方後円墳は被葬者に繋がる何らかの対象物を指し示す矢印の役割で、間違いがなさそうです。

あとは、死ぬ前にどこかの偉い先生に見て頂いて、感想をいただこうと思ってます。

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