近頃は自分は無力なんだと、思い知らされるばかり。俺の人生は何やかんや言っても、嘲笑と見世物と貧乏の連鎖から、自力で抜け出すこともできない。戦争の空襲で死んだひとも、無力を実感してたかもしれんですね。
もうアホみたいな人生なので、できるだけ他人に囚われず、好きな表現をすることにしてる。その一環がこのブログだったりします。
今回の奇妙な話は、別に誰かに聞いたわけじゃないんですけど。まぁ気づいたことです。
○いつも助かっております
爆心地予定だった相生橋
そういえば、広島でエノラ・ゲイからの原爆、リトルボーイが炸裂した8月6日の記念日は、毎年毎年ニュースでやるのが当たり前らしいです。
しかし俺の場合、当事者じゃないもんだから、深く興味が持てなかったりしました。普段ならネットニュースで、ちらりと見ておしまい。
しかし原爆について、新たに興味が湧く話を目にしました。それはエノラゲイから投下された、爆弾の爆心地について。
日時は1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒だったとか。
これ、なんか奇妙だなと思ってたのは、8月6日8時15分17秒てのは、分秒の左右の数字をたすと、8 6 8 6 8になるっていうのもあるのですが。
広島の原爆の爆心地は、長い間、原爆ドームあたりとしか知らなかったです。
近頃になって詳しく調べると、相生橋を狙ってたとか、書いてありました。ウィキペディアに。
それが風で流れて、東方の島病院の上空で爆発したとか、書いてありました。
相生橋(あいおいばし)
広島県広島市中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に架かる、相生通りと広島電鉄が通る併用橋。全国的にも珍しいT字型の橋である。
(中略)
橋名の由来は、2つの橋が「相合う」ことから
(中略)
明治初期に最初に架けられ、昭和初期から現在の形になる。広島市への原子爆弾投下の際には目標点とされた。被爆当日、この橋付近に居た人々がほぼ即死状態で大勢亡くなっており、元安川下流側で毎年8月6日夜に犠牲者を弔う灯篭流しが行われている。
天の安河というのを、知ってるだろうか。天照大神が岩戸にこもり世界が暗闇に閉ざされた時、八十万の神々が招集されて、天照大神をどう外に出すかを相談した場所。
それが高天原の天の安川だったとか。
思えば相生橋の名の由来が「相合う」で、天の安川と似た元安川に架けられた。
世界大戦という暗闇の中で、最高神である天照大神が隠れてしまった。女神を岩戸からどう出すか・・・その答えが広島の原爆を、高天原の安川の橋に落とすことだったのかと・・・そんなことがあるのかと考えたりしました。
なぜなら、日の丸の赤い玉は天照大神で、何故か原爆も赤い玉で表されていたので・・・。
次元を超越した繋がりが発生してしまったようで。
真の爆心地だった島病院
島病院(しまびょういん)
広島県広島市中区大手町にある医院のかつての名称。1990年代に島外科になり、2009年8月以降島外科内科、2017年4月以降は島内科医院になっている。1945年8月6日に投下された原子爆弾の爆心地で知られる。
(中略)
開院・被爆前
島病院は、1933年8月31日、広島市細工町29-2(現中区大手町1丁目5-25)に外科病院として開院した。壁1m以上の頑丈なレンガ造りの2階建て、正面玄関両脇の円柱と丸窓を特徴とするモダンなデザインの病院であった。初代院長(被爆時の院長)は島薫(1897年 - 1977年)である。
原爆が落ちた当時、島病院の院長だけは別の場所にいて助かったという逸話が有名らしいです。偶然ってこわい。
そういえば、シーマって、スペイン語で頂上や完成という意味らしいですね。島病院上空で炸裂したことと、なんか意味が繋がっているような・・・・。
何しろ原爆が広島と長崎に投下されたことを受けて、終戦に繋がったと語られているのだから。
原爆によって第二次世界大戦は完成した、それが起きたのがシーマ病院だった、というのはなんとも奇妙すぎる運命的な話です。想像ですけど。
しかも当時の院長の名前が。島薫という方。島薫・・・トークンと読んでしまいましたが、トークンと言えば
tokenとは
主な意味
しるし、象徴、証拠、記念品、形見、証拠品、(地下鉄・バス料金などに用いられる)代用貨幣、トークン、(商品との)引替券
別に面白おかしくする意図は無いですけれど。
俺の場合もそうであるように、人生っていうのは、往々にして何かしら他者や物事と絶妙な繋がりが出てきたり、何らかの役割を誰かにまかされていたり、というのがあるので。
島薫さんがトークンと読めて、エノラゲイが投下した原爆の爆心地となったから、しるし、象徴、記念品、証拠品・・・まさに当時の島病院は、トークンなのだなと。
まさに第二次世界大戦の完成に相応しい場所だったのかもしれないなと、思ってしまうではないですか。これは偶然なのかと。
しかも、島病院の当時の住所が、
広島市細工町29-2
らしいですね。
細工って、英語で言うと、
work 作業, 仕事, 作品, 業務, 労働, 細工
trick 細工, 仕掛け, 策略, 手口, からくり, 芸当
craftsmanship 細工
tactics 戦術, 作戦, 戦略, 策略, 駆け引き, 細工
トリック(仕掛け、策略、からくり)とか、タクティクス(戦術、戦略、駆け引き)とか、出てくるではないですか。
あとは、細工町の「29-2」ですよね。
2というのは、アルファベットになおすと、Bだから
原爆落ちた爆心地 29-2(29-B
と言うわけなので。
これはなんか、とにかくすごい計画的か、偶然の神の仕掛けが入ってるだろうなと・・・。
間違ったほうに誘導され、治されず教えられず、失敗し続け、何でも濡れ衣着せられつつ、馬鹿にされ続け、追い出された俺の人生同様に。
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そんな人生もあってか、こうして封印された歴史の真相を想像するのが特技です。お金にならないですけども。しかし何故か想像しただけなのに、当たってることもあるかもしれない。
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お願い申し上げ増。
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