アメリカにあった、ミシシッピ文化と日本人の知られざる関係についてまとめた記事です。
○いつも助かっております
ミシシッピ文化とはなんぞや
ミシシッピ文化
(ミシシッピぶんか、英:Mississippian culture)は、マウンド(塚、上に住居や墳墓などを建設するために積み上げた人工の丘)を構築したインディアン文化であり、およそ800年から1500年まで、現在のアメリカ合衆国中西部、東部および南東部に広まり、地域により様々な形態をなした。その人々は持っていた技術からみてヨーロッパの銅器時代に比定される。
ミシシッピ文化の生活様式はミシシッピ川渓谷で発展し始めた。テネシー川渓谷支流の文化も当時のミシシッピ文化の性格を持って発展し始めた。ミシシッピ文化の遺跡とされる場所の年代は1539年(スペインの探検家エルナンド・デ・ソトが探検した年)以前に遡り、これらの遺跡ではヨーロッパ白人による遺物がほとんど見つかっていないので、この文化はほとんどすべてヨーロッパ白人との接触以前のものとされている。
北米大陸の東部一帯に広がってた。
以上の画像はMississippian culture Wikipediaにある。
彼らは巨大な人工丘陵を造成し、その上に神殿を建て、天の神に祈りを捧げたとか。神殿だけでなく、首長や権力者の住居は、小型の人工丘陵の上に建てられたように見える。
以下の画像はhttp://coolohio.com/horus/にある
復元されたらしき、ミシシッピ文化人の家屋。
これはどう見ても、日本の茅葺屋根の伝統建築と同系統に見える。
ミシシッピ文化の巨大マウンドは、日本の古墳に似てる。
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/tanken/Chrctr/taiken/kofun_sagasou2.html
アメリカ人はあまり知らないと思うが、日本にはこんな古墳が16万箇所もある。積石塚や方形周溝墓を合わせるともっと多くなる。
ミシシッピ文化が西暦800年から始まったと言う。するとちょうど日本では、巨大な古墳を造成した時代が終わりを迎えた頃だったのは、何か関係あるだろうか。
彼らの見た目と文化には、倭的なものが感じられる。
http://www.nps.gov/ruca/historyculture/mississippian-time-period.htm
ミシシッピ文化人は、巫覡(シャーマン)が鳥の格好をした。倭の遺跡からも同様に鳥の格好をしている、巫人の線刻画が見つかったりする。
家屋の形体やマウンドの形体を見ても、倭的なものを感じ取れる。
それとも巨大マウンドは、前2世紀から後6世紀までメキシコにあったテオティワカン文明の影響なのか。そのへんは、ワカンないと言っておこう・・・。
・・・・・・(゚д゚lll)
北米南米のインディアンには、日本と同じ遺伝子があるとのこと。
モンゴロイドが最初に北米大陸に上陸したのは、1万4000~1万2000千年前だそうです。
その後、西暦800年頃に倭の集団が、ミシシッピ川流域に移住し、少なからず影響したんだろうか、という気がしますが、真相は如何なるものだったのやら。
人気ブログランキング