たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

アイヌ民族の研究に横ヤリ入れ。

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 北海道-wikipediaより

 

近年になりアイヌ民族が、日本の先住民とか言われてますけど。

沖縄人も、先住民なんだだとか主張して国連も同調してるらしいです。

「沖縄の人々を先住民族と認めるように」 国連が勧告 政府「アイヌ以外に存在しない」

 

とか言ってますけど、最新の研究によれば、沖縄人というのは、「日本本土の大和民族から別れて南西に向かった人」が多くを占めるのだそうで。以前は沖縄は東南アジア系だなんて言われてましたが、違ったらしいです。

すると国連の沖縄人は先住民という認識って、どこから来てるんだろ~か。

沖縄の人々、ルーツは「日本由来」 南方系説を否定 | 沖縄タイムス+プラス ニュース |

 

実は、倭人=日本人自体が、2000年以上前から在住している、先住民と言える民族なのですが・・・。

倭人は大陸系の人種を数多く吸収して成り立ってきたとは言っても。倭人とは、倭の島々に住む、縄文系と渡来人と呼ばれる弥生人を総称したものなので。

 

まだ倭の人口が30万人以下だった弥生時代の頃、「後漢書」の「秦からの移住者数千人」といった記録は有名ですね。 

ぶっちゃけ弥生時代古墳時代における渡来人の割合は、全国の遺跡の状況からみても、弥生時代後期には日本列島総人口の60%~80%を占めたと計算されるくらいだけど、

こうした数字は、「ヤマト王権天皇縄文人派」の人たちは直視しないのだろうか。

弥生時代の渡来人の規模

 

話は戻って、なんで沖縄人が先住民と言っておいて、沖縄人の大元である日本人=倭人(縄文系入ってる)は先住民じゃないんだろう。まあ国連は、変な話に首を突っ込んでましまったようです。

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前置きはこのへんにして、本題に。

 

 

北海道の先住民らしきアイヌですが。近年のアイヌ民族は何か怪しいですね。アイヌじゃない人がアイヌ民族に入り込んで、アイヌの民族衣装を着て商売してるとかいう話も・・・。

 

そのアイヌ人やのアイヌ住む地域には、別名がいろいろありました。いろいろ探してみると、 

・毛人(もうじん)関東あたりにいたアイヌの呼称。弥生時代

・日高見(ひだかみ)北海道、東北地方の総称。古墳時代

・東夷(とうい)景行天皇が関東のアイヌをこうよんだ。古墳時代

蝦夷(えみし)景行天皇アイヌをこう呼んだ。古墳時代

・俘囚(ふしゅう)北海道東北の反大和王権勢力から帰属した者。奈良時代

・流鬼(りゅうき)樺太島にいた北方アイヌ奈良時代

・後方羊蹄(しりべし)北海道の呼称。奈良時代

蝦夷ヶ島(えみしがしま)北海道、樺太、千島列島の総称。平安以降

・骨嵬(くぎ)大陸の元朝による呼び名。13世紀

・苦夷(くゐ)上に同じ。15世紀

アイヌ アイヌ自身が呼んだ「人間」を意味する。江戸時代以降から

・北州 江戸時代

・十州島 江戸時代

・北海道 明治時代~

 

ここで気になる名前

・流鬼

・流鬼

・後方羊蹄

蝦夷

・骨嵬

・苦夷

ここにアイヌの正体が隠されてるんではと。

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ところで、昔のアイヌ蝦夷)は、大和朝廷からフルボッコにされる扱いでした。景行天皇はこんなことを言ってます。

「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」

「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」

日本書紀 上 全現代語訳」より

 

これ、大陸の前漢後漢が、敵対してる遊牧騎馬民族匈奴に対して、景行天皇とそっくりなことを言ってるんです。

それで、東日本の蝦夷には、匈奴という遊牧民族が含まれるという解釈をしてる記事だったので、一度読んでみてください。

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

 

 

・後方羊蹄 

後方羊蹄っておかしい。何故かと言うと「古代の日本列島には羊がいなかった」のに、なぜか羊さんの登場。

関東には群馬(羊と馬)、羊太夫なんて人もいましたが。

でも倭人は、大陸に羊がいることは分かっていたのですよ。だから、倭人アイヌが元々「羊を扱う遊牧民」だと認識していたからこそ、羊蹄の名前を付けたんではないかと。

つまりやっぱりアイヌは元々、海を超えてきた大陸の遊牧民族出身なんじゃないかとい疑惑が、ここでも出てきました。

 

そういえば、アテルイなんていうアイヌの指導者がいましたが、中央アジアアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。

アテルイ - Wikipedia

 

ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。

 

 ・ 骨嵬と苦夷

 

 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。

1・アイヌを表す骨嵬

2・キルギス人を表す契骨(5世紀)

3・回鶻ウイグル新疆ウイグル自治区トルキスタン

つまり中国人は、同じ特徴を持つ民族に、同じ字を使っていたのでは。そうするとアイヌキルギスウイグルとにているという認識だったんでは。

 

 この頃のキルギスバイカル湖のあたりにあって、5世紀以前は堅昆の名前を持っていました。

別名には堅昆(けんこん)、居勿(きょぶつ)、結骨(けつこつ)、紇骨(こつこつ)、紇扢斯(こつこつし)、黠戛斯(かつかつし),戛戛斯(かつかつし)、吉利吉思、乞力吉思、乞兒吉思、乞里吉思で、大部分がキルギズ、キルギズという発音。

堅昆 - Wikipedia

 

キルギス人の特徴を見てみよう。

結婚・葬式

結婚は新郎側が羊と馬を新婦側に収めて嫁を招く。富裕者ではその数が100〜1,000にもなる。(遊牧民

文字・言語

古代には「丁零の雑種」とされ、イェニセイ川流域に『イェニセイ碑文』を残し、『新唐書』回鶻伝下に「その文字言語は回鶻(ウイグル)と正に同じ。」とあることから、文字は突厥文字を使用し、言語はテュルク系の言語を話していたことがわかる。また『元史』地理六では「その言語は畏吾兒(ウイグル)と同じ」とある。

人種

新唐書』回鶻伝下に「人は皆背が高く、赤い髪、析面、緑の瞳をしており、黒髮は不祥とした。黒瞳の者は必ず李陵の苗裔であるという」とあることから、黠戛斯人は西方系の人種(コーカソイド)であり、東方系(モンゴロイド)ではなかったことがわかる。中には黒髪・黒瞳の人種(モンゴロイド)もいたが、これはかつて匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔だとされていた。また、敦煌出土の『ペリオ・チベット語文書1283番』の中でも、キルギス族は「目は水晶の瞳、赤い髪」と記されている。

キルギス人はトゥルク系でコーカソイドということだから、地中海のあたりから来ているらしい。キルギスという名前はたぶんトルコのキリキア、イスラエルのクルクらへんの関連を伺えるのですが・・・。

 

ところで、「アイヌキルギス人が同じなわけないだろう?」

と考えるかもしれませんが。苦夷の「苦」は「くるしい」なのですよ。

あと、アイヌ人は自分たちの住民や部族のことを「クル」と言ってたのが関係してるんようです。キルギスと同じ言語というウイグルを加えて比較すると、

・キルぎす

・ウイグル

・クルしい(苦夷=アイヌ

・クルアイヌの部族)

 

さらにキルギスの漢字には契約の「契」が使われていますが。この契は「ケイ」で、アイヌの古名(クイ、カイ)と同系じゃないですか。

契骨(ケイ骨) キルギス

苦夷(クイ)アイヌ

蝦夷(カイ)アイヌ

  

最後のトドメにキルギス族とアイヌ民族の 民族衣装を比較。

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アイヌのいろんな模様。唐草模様、迷路みたいな模様が特徴的。模様の入ってない衣服もあり。頭に布を巻いたり帽子をかぶることもあるとか。

アイヌ - Wikipedia

つぎにキルギス人の民族衣装。

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柯爾克孜族 より

アイヌにそっくりな模様があり。

キルギスにはいくつかの部族で構成されていたので、おそらく部族ごとに固有の模様があったんでしょう。同じ模様がキルギスアイヌに保存されていたのは、きっとこの模様がとても大切だったから。 

 

アイヌ民族の正体についての結論

これよりアイヌ民族の正体について、想像を膨らませます。

 

日本人の男系Y染色体遺伝子はD型というのが大きな部分を占めるそうです。通説ではこれが縄文人の遺伝子だとされます。

縄文人は、キルギス人がいたバイカル湖付近を、拠点にした時代があったそうです。

そうすると、堅昆・契骨のキルギス人にも、縄文人の遺伝子が、もしかしたら含まれるのかも。

彼らキルギス人の本隊は、地中海方面からやってきた、トュルク系言語のコーカソイド人種でした。

しかし、キルギスのなかには黒髪・黒眼の人々もいました。彼らが弥生時代後期以降に東へ旅立ち、日本列島に入って、それが後にアイヌと呼ばれます。

だから、アイヌには、1万年前からいる日本列島の縄文人の末裔、それに加えてキルギス(堅昆・契骨)からのの分派が入っていました。

詳しく言えば、アイヌとは「キルギスの中に入り込んだ、匈奴によって右賢王に封じられた漢の降将李陵の後裔で黒髪・黒瞳の人種」の末裔が、混ざっているということなのかもです。

アイヌは元々、匈奴の後裔だった者も含まれる部族なので、景行天皇が「日本書紀」でアイヌ蝦夷の特徴を匈奴そっくりに語ってるのは、まったくおかしくないことになるんですよ。キルギス人とは別に、匈奴人自体も日本に入りこんだかもしれません。

そうすると、アイヌの祖先がキルギスから草原と海を超えて、樺太や北海道に入ったのは、おそらく弥生時代後期~古墳時代の頃までのことなのではないかと。

だから実は、日本のY染色体のD型には、1万年以上前からの縄文系D型と、弥生時代以降にキルギス烏孫を含む中央アジアから入ったD型の、2種類がありました。両者は大きな時代差を経て日本列島で融合している、といっても同じD型なので、現時点で区別がついてないのかもしれないのでした。そんなことあるだろうか。

 

なんてい う、アイヌの古名から導かれた、俺の想像ですけれど。

 

 
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