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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

日本書紀の天皇の時代に見られる超常現象

天皇 日本書紀

体のあちこちが痛いことがあり、近ごろは電子書籍の執筆は滞り、論文は少しづつ進み、お仕事は減らすといった具合ですが。

ブログを書き溜めてるのは、ブログ記事をまとめると、原稿のアイデアが浮かぶということもあるからなので。

それにしても、世界でも身近な日常でも、変なことばかり続いてませんかね。変なことが起きて、気づく人と気づかない人がいるみたいですが・・・。

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ホントか嘘か、昔から超常現象はあったみたいです。

「神代」では、天界から神が降りるふうな記述があるように超常現象だらけなのですが、神代以降の天皇の時代でも、そういった傾向があるので不思議です。

日本書紀」には地震・洪水・落雷などの災厄と同様に、多く見かけることが出来ますが、妙な出来事なだけに「そんなことあるわけないで症」と一蹴してしまうこともできますれども。

たとえば「日本書紀(下)全現代語訳」の天皇の時代を見てみると、以下のようにいろいろあります。

 

欽明天皇

十四年夏五月一日(あるいは七日か)

河内国から、「泉郡の茅渟の海中から、仏教の楽の音がします。響きは雷の音のようで、日輪のように美しく照り輝いています」と知らせてきた。

これを天皇が取らせると楠木であり、楠木で仏像二体を造らせ、それが吉野寺にあるとか。

 

推古天皇

二十年十二月二日

皇太子(聖徳太子)は使いを出して、飢えていた者を見させられた。使いが帰ってきて、「飢えていた者はもう死んでいました」といった。皇太子は大いに悲しまれた。そしてその場所に埋葬し、塚を築かれた。数日後、皇太子は近習の者に語って、「先日道に倒れていた飢えた人は、普通の人間ではあるまい。きっと聖者だろう」といって使いをやって見させられた。使者が帰ってきて言うのに、「墓の所に行って見ましたら、墓は動いておりませんでしたが、あけて見ると、屍は無くなっておりました。ただ衣服だけがたたんで棺の上にありました」といった。

キリストの復活の伝説を取り入れたか、という。景教が入ってきた影響。

 

二十六年

河辺臣えお安芸国に遣わして船を造らせた。山にはいって船の材を探した。たいへん良い材があったので切ろうとした。そのときある人が、「雷神の宿る木です。切ってはなりません」といった。河辺臣は、「雷神とはいってもどうして天皇の命に抗することができようか」といって、多くの幣帛(みてぐら)を捧げて、人夫を使って切らせた。すると大雨となり落雷した。

 

二十七年夏四月四日

近江国から、「蒲生川に何か不思議なものが浮かび、形は人のようにも見えます」と言ってきた。

 

二十七年秋七月

摂津国のある漁父が、堀江に網をはっていた。何かの物が網にかかった。その形は赤子のようでもあり、魚でも人間でもなく、何とも名づけられなかった。

 

三十五年春二月

陸奥国で狢(ムジナ)が人に化けて、歌をうたった。

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(この絵は ムジナ - Wikipedia 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「狢」より)

ムジナというのはアナグマハクビシンだというが古来は妖怪の類をいったとか。

 

舒明天皇

九年春二月二十三日

大きな星が東から西へ流れ、雷に似た大きな音がした。人々は「流れ星の音である」といい、あるいはまた「地雷(つちのいかづち)である」といった。

僧旻(そうみん)は「流れ星ではない。これは天狗(あまつきつね)である。その吠える声が雷に似ているだけだ」といった。 

 

十二年二月七日

星が月の中に入った。(凶事とされる)

 

皇極天皇

二年十一月一日

(山背大兄は)ついに子弟妃妾(うからみめ)と諸々に自決してなくなられた。おりから大空に五色の幡や絹笠が現われ、さまざまな舞楽と共に空に照り輝き寺の上に垂れかかった。仰ぎみた多くの人々が嘆き、入鹿に指し示した。するとその幡・絹笠は、黒い雲に変った。

幡というのは仏教で用いられたパターカーのことだそう。

幡 - Wikipedia

絹笠というのは百済から入ってきた唐傘のことで、和傘ともいう。

傘 - Wikipedia

 空中に四角形や円形の物体が浮かんでたんだろうか・・・。

 

四年春一月

岡の峯続き、あるいは河辺、あるいは宮寺の間に、遥かに見えるものがあり、猿のうめくような音を聞いた。ある時は十ばかり、ある時は二十ばかり、行ってみると、物は見えなくて、なお鳴きうそぶく音が聞こえた。しかしその姿を見ることは出来なかった。

──古い本に、この年、京を難波に移し、板蓋宮が廃墟となる兆しであるとした。人々は、「これは伊勢の大神のお使いである」といった。

これは蜃気楼だという。

 

斉明天皇

元年夏五月一日

大空に竜に乗った者が現われ、顔かたちは唐の人に似ていた。油を塗った青い絹で作られた笠をつけ、葛城山の方から、生駒山の方角に空を馳せて隠れた。正午頃に住吉の松嶺の上から、西に向かって馳せ去った。

 

七年五月九日

天皇は朝倉橘広庭宮にお移りになった。このとき朝倉社の木を切り払って、この宮を造られたので、雷神が怒って御殿をこわした。また宮殿内に鬼火が現れた。このため大舎人や近侍の人々に、病んで死ぬ者が多かった。

宮殿内の鬼火とは霊魂なんだろうか。この頃からヒュ~ドロロな感じである。

 

秋七年八月一日

皇太子(中大兄)は天皇の喪をつとめ、帰って磐瀬宮につかれた。この宵、朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた。人々は皆怪しんだ。

 鬼というのは蝦夷か粛慎のような異民族かとも。

 

天智天皇

十年十二月十七日

讃岐国の山田郡の人の家に、四本足のひよこが生まれた。また宮中の大炊寮に、八つの鼎(釜)があり、それがひとりでに鳴った。ある時は一つ鳴り、ある時は二つ、ある時は三つ一緒に鳴った。またある時は八つ共一緒に鳴った。

 

 あと月食や彗星の記録もかなりあるようです。こうした点に注目しても面白く、すらすら読めます。

引用文献 「 日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)」宇治谷孟。はオススメ。

 

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