魏志倭人伝に登場する女王卑弥呼の正体は、自分としては記紀に登場する第十代天皇・崇神天皇であると思っているわけですが、世の中には卑弥呼の正体を別の人物に当て嵌め論考した著作物が多くあるらしい。
卑弥呼の正体について、どのような仮説が存在するのか、その概説を見ていこうと思います。手元に肝心の本が無いので、手っ取り早くネット検索で探し当てました。
○いつも助かっております
古代の卑弥呼を取り上げた書物と成立年代
まずは中国と韓国に現存する歴史書を見てみます。
書物 成立年代 卑弥呼の正体
後漢書 5世紀 大倭王・有一女子名曰卑弥呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆
晋書 7世紀 立女子為王名曰卑弥呼宣帝之平公孫氏也
隋書 7世紀 有女子名卑弥呼能以鬼道惑衆
参考
以前気づかなかったのだけど、後漢書では鬼道ではなく「鬼神道」と言ってるわけですね。
これは鬼道が道教というより、神道というものであり、神道という言葉が既に確立され、5世紀の段階では既に中国人に知れており、神道を鬼の字を用いて蔑んだ可能性もあるといえるかもしれんですね。
以上の書物共に、卑弥呼は女性であり、鬼道を用いる、つまり巫女のような役割を持ちつつ、倭の王であると書いてます。
あと注目点は晋書で、卑弥呼は公孫氏であると書かれているふうに読める箇所があるところです。ここでは考察はしませんが。
卑弥呼の正体の諸説
一方、日本の卑弥呼を研究した書籍のほうでは、次のような仮説がいくつか出ているようです。
卑弥呼の正体 書物・編者・著者
甕依姫・・・・・・古田武彦
宇那比姫・・・・・不明
以上の書物は全部手元に無く、読んだことが無いので、どんな理由で結論に至っているのかも詳しく分かりませんが
ともかく卑弥呼の正体については未だに結論が出ておらず、卑弥呼っぽく見える女性が大勢いるという事態になってるようです。
で、ここにこの度、崇神天皇卑弥呼説(崇神天皇=卑弥呼+壱与説)が加わってしまいました・・・・・。
『崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与』(多伎元達也著・日本文学館)です。
初版部数は限られており、増刷されて本が売れるかどうかは分かりませんが、どうか古代史ファン、研究者の皆様にはご一読のほどを。