たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。2

まず古代の中国人の、倭国と方位に関する古代文献の記述を抜き出します。
倭国についての記述は「中国正史日本伝(1)」石原道博編訳から、日本書紀の記述は「全現代語訳 日本書紀宇治谷孟訳から、それぞれ引用させて頂きました。

中国正史日本伝から(カッコ内は補足)

三国志魏志』巻三〇東夷伝・倭人(『魏志倭人伝)

1・倭人は帯方の東南大海の中にあり
2・郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国(三韓・とくに馬韓)を歴て乍は南し乍は  東し
3・その北岸(当時の倭国領地の最北端)狗邪韓国に至る
4・(対馬国の人は)船に乗りて南北に市糴す
5・また南一海(瀚海)を渡る千里余、一大国(壱岐島)に至る
6・(一大国の人は)南北に市糴す
7・(末盧国から)東南陸行五百里、伊都国に至る
8・(伊都国から)東南奴国に至る百里
9・(奴国から)東行不弥国に至る百里
10・(不弥国から)南、投馬国に至る、水行二十日
11・(投馬国から)南、邪馬壱国(邪馬台国)に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月
12・女王国より以北、その戸数・道里は得て略載すべきも、その余の旁国は遠絶にして得て詳かにすべからず
13・その南(女王国の境界にある奴国の南方)に狗奴国あり、男子を王となす
14・その道里を計るに、当に会稽(中国浙江省・江蘇省)の東冶(福建省)の東にあるべし
15・女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ
16・女王国の東、海を渡る千里余、また国あり、皆倭種なり
17・(女王国の東に)また侏儒国あり、その南にあり
18・女王を去る四千里。また裸国・黒歯国あり。またその東南にあり

後漢書』巻一一五東夷伝・倭(『後漢書』倭伝)

1・倭は韓(三韓・とくに馬韓)の東南大海の中にあり
2・楽浪郡徴はその国(邪馬台国)を去る万二千里、その西北界狗邪韓国(倭国領地の最北端)を去ること七千里
3・その地、大較(概ね)会稽の東冶の東にあり
4・倭の奴国、奉貢朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり
5・会稽の海外に東鯷人あり、分れて二十余国と偽る。また、夷洲(台湾)および澶洲(済州島)あり

『宋書』巻九夷蛮伝・倭国(『宋書』倭国伝)

1・倭国は高麗(高句麗)の東南大海の中にあり
2・順帝(477-478年)の昇明二年(478年)、(倭王武・応神天皇仁徳天皇が)使を遣わして表をたてまつる。いわく、「(一部省略)─東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国─(以下略)」

『隋書』巻八一東夷伝・倭国(『隋書』倭国伝)

1・倭国は百済・新羅の東南にあり
2・その国境は東西五月行、南北三月行にして、各々海に至る
3・その地勢は東高くして西下り、邪摩堆に都す
4・会稽の東冶の東にあり
5・大業三年(607年)、その王多利思比孤、使を遣わして朝貢す。従者いわく、「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。(以下略)」
6・その国書にいわく、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云云」と。
7・(文林郎裴清が倭国へ)百済を度り、行きて竹島(絶景島?)に至り、南に[身冉]羅国(済州島)を望み、都斯麻国(対馬)を経、はるかに大海の中にあり
8・また東して一支国に至り
9・(竹斯(筑紫)国から)東して秦王国に至る
10・竹斯国より以東は、皆な倭に附属す
11・(倭人・大礼哥多毗いわく)「我聞く、海西に大隋礼儀の国ありと(以下略)」


東西南北を含む記述を全部抜き出しました。思ったより多かったですが、ここから古代中国人の、極東地域の方位感覚が少しわかってきました。

3に続く