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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

倭迩迩日百襲姫の謎。1

倭迩迩日百襲姫が卑弥呼であるという説は、すでに幾人かの研究者によって書籍化されています。
先日(2012年2月某日)、ネット通販で購入した、高城修三氏の著書「日出ずる国の古代史─その三大難問を解く」の中でもこの説が触れられております。本の中では、卑弥呼=倭迩迩日百襲姫は、笠井新也氏の提唱との紹介が成されていますので、追記しておきます。
あえてこのことに関連する推論をかきたいとおもいます。

日本書紀では倭迩迩日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ)、古事記では夜麻登登母々曽毗売命(ヤマトトトモモソビメ)。日本書紀ではトトヒモモソ、古事記ではトトモモソということで、「日」があるかないかの若干の違いがあります。

古事記によれば、モモソヒメは孝霊天皇の后・意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)との御子となってます。日本書紀では母親の阿礼比売の名は倭国香媛で、別名が書かれています。

このモモソヒメ、古事記をくまなく読んでも、孝霊天皇の記述に名前だけしか登場していません。モモソヒメいついての具体的な話は、日本書紀にのみ登場しています。

日本書紀で最初にこの名が登場するのは孝霊天皇倭国香媛との御子であるという記述部分ですが、次に登場するのは十代崇神天皇の記述のなかです。日本書紀の人皇の時代は第三巻からの初代神武天皇から始まっていますが、神武天皇以降の2代から9代までの天皇には事績がほとんどなく、ただ延々と子孫の系譜だけが並んでいます。古事記のほうも同じで、この2代から9代までが欠史八代で、初代から含めて考古学的な証明も実際の陵墓もはっきりしていない、実在の怪しい天皇と言われています。
倭迩迩日百襲姫は、まさにその欠史八代のなかから生まれた人ということで、存在自体が不確かともいわれます。

日本書紀崇神紀には、この人物について、巫女あるいは預言者としての事績が、殊の外詳しく登場していました。

2回目に登場するのが、崇神天皇7年のこと。しばしば災害に合うので、天皇は神浅芽原(かむあさじがはら)で八百万の神々を招いて占いました。そのときモモソヒメに神懸かりして「吾を祀れば国は平らぐ」と神の言葉が発せられました。この神は大物主と名乗りました。

3回目に登場するのが、大物主を祀った後も効果がなくて、倭迩速神浅芽原目妙姫(ヤマトトハヤカムアサジガハラマクワシヒメ)が、他の2人の者と同時に同じ夢の内容を語る場面です。「大田田根子命を大物主を祀る祀主とし、市磯長尾市を大国魂神を祀る祀主とすればかならず平らぐ」という夢の内容で、これが実行されました。

ここで登場する倭迩速神浅芽原目妙姫は、モモソヒメのことです。2回目の登場の際にモモソヒメが神浅芽原にいました。倭迩速神浅芽原目妙姫がこの地名を冠していること、夢のお告げを伝える預言者としての役割を担っていることから、モモソヒメとの同一性が伺えます。

4回目に登場するのが武埴安彦とその妻吾田媛が謀反を企てていることを予知し、速やかに備えたほうがいいと提言した場面。武埴安彦は殺されて反乱は沈められました。

5回目の登場は、モモソヒメが大物主神と結婚し、直後に死ぬという場面で、次のような話です。

─昼は来ずに夜にだけやってくる大物主の姿を見たいから朝まで留まってほしいとせがむモモソヒメ。大物主は櫛箱に入っているから驚かないように言う。夜が明けて櫛箱の中を見ると、小蛇が入っていたので、驚いて声を上げてしまい、恥じた大物主は御諸山(三輪山)へと引っ込んでしまう。モモソヒメは悔いて座り込んだ際に箸で陰部を突いて死ぬ。大市に葬られ、箸墓と呼んだ。その墓は昼は人が造り、夜は神が造った─

これらの限られた短い話の中に、倭迩迩日百襲姫の正体を知る上で重要なヒントが隠されていました。

2に続く。