たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

正確な方位を知ってた?3世紀の倭人。8

前回は纒向遺跡の方位についてでしたが、今回は現存する神社から、古代の倭人の方位概念を探っていきます。

今回の方位に関する検証を進める上で、必要不可欠な神社の資料と図解の制作をするのに、思ったよりも手間暇が掛かってしまいました。作ってみたのが以下の画像になります。社殿の画像はyahooとgoogleの地図機能を用いています。市販の地図やネットの地図は、間違いなく上部が北を示しているので今回の調査では用いやすく、そのまま切り取って貼付けることを繰り返しました。

アップロードしたところ、画像が縮小してしまったので少し見辛いかもしれません。

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「伝承上の創建年代が垂仁朝以前の神社(延喜式神名帳名神大社に限る)」

なぜ垂仁朝以前であることと、名神大社であることに拘ったかといえば、個人的に考えている魏志倭人伝の3世紀は、崇神天皇垂仁天皇のころだと思っているからです。延喜式神名帳名神大社と限定したのは、特に名神大社という格式の高さと古い由緒を兼ね備えていると思われる為です。神代の創建や欠史八代創建というのは、鵜呑みに出来ない部分もありますが、ここに上げた各神社が、とくに古い部類の由緒正しい神社であることに間違いはありません。

それで画像を見て分かる通り、各社殿の図を貼りつけた上に、水色の線を2本引いています。これは正確な南北軸に対して、それぞれの神社が「東西に何度傾いて建てられているか」を示したものです。数字は傾きを示す度数で、この数字が0に近いほど、南北軸に正確な建築物で、数字が45度に近いほど、方位を無視して建てられてます。

中には東西南北の方位に関係なく、信仰対象や先祖の土地の方角に向いている神社もあります。例として宗像大社があげられるかと思います。宗像大社の辺津宮の本殿御神座は、完全に朝鮮半島の方角を向いているのです。宗像大社は離れた三社の総称で、対馬に近い玄界灘の沖合に浮かぶ沖ノ島の奥津宮、本土に近い大島の中津宮、それに筑紫島本土の辺津宮という三社は、宗像と韓の国とを結ぶ1本のライン上に結びつけてあるようなのです。延長線の到達地点は釜山の辺りで、釜山の付近はかつて辰韓や新羅でした。日本書紀では素戔嗚尊が立ち寄った場所でもあり、宗像三神自体が天照大神素戔嗚尊の誓約の最中に産まれた子であることからも、宗像大社の起源には、三韓地域との密接な関係性があることが伺えます。

図の中で(神)とあるのは、神社に古くから伝えられるところによると、神代から神武天皇の時代に建立されたとされている神社です。弥生時代中〜後期以前かと思います。
(欠史)とあるのは2代綏靖天皇から9代開化天皇までの欠史八代と呼ばれる時代に、建立されたと伝えられる神社です。卑弥呼の時代の前、1世紀前後から2世紀中葉のことだと思われます。
(崇)(垂)とあるのは、それぞれ崇神天皇垂仁天皇の時代に建立されたと伝えられる神社です。個人的には3世紀だと思ってます。

9に続く