神話上の天帝桓因と古朝鮮の檀君王については詳しくないので、ネット検索で調べつつ、いつも通り直感で思うことをメモ。
○いつも助かっております
檀君神話
桓因・檀君神話は、13世紀の書物「三国遺事」に引用されるとのことです。
三国遺事では「三国志魏書には檀君王剣について書かれているぞ」風に書いてあるが、実際の魏志に檀君の記述はどこにも無いということです。
この「三国遺事」の檀君神話と、「桓檀古記」と呼ばれる20世紀初頭に完成をみた書物が偽書かどうかの評価はともかく。
史実と整合するのではないかと気になる記述もあるので、少し調べていくことにします。
天神・桓因━┳━□
┃
桓雄━┳━熊女
┃
檀君王剣
桓因・桓雄・檀君について、三国遺事に以下の様な話が伝わっている。
「桓因の庶子である桓雄は下界に興味を持ったので、桓因は桓雄に下界を治めるよう命じ、桓雄は太伯山(白頭山または妙香山)の神檀樹に部下3,000人と共に天下って「神市」という国を築いた。
桓雄はある熊の願いをかなえて女にし、この熊女との間に子をもうけた。
この話はどこかで見たな~と思ったのですが、これは記紀神話中の天孫降臨神話に良く似ているんです。
さらに「古語拾遺」の中で、天富命が安房国へ下り開拓する話にも良く似ています。話の骨子は次のようなものです。
「王が部下に別の土地を治めるように命じ、部下が家臣を率いて植民する」
・記紀神話
天照大神が邇邇藝命に葦原中国を治めるよう命じ、邇邇藝命が家臣を率いて高千穂の槵触峯に天下る
・古語拾遺
一つの民族が別の土地へ移住する際、国王が部下に命じることは当然であって、当たり前であると言えば、確かにそうかもしれない。
似たような神話は世界的に散見出来るのかもしれません。
例えば徐福伝説(後漢書倭伝)。
秦の始皇、方士徐福を遣わし、童男女数千を率いて海に入り、蓬莱の神仙を求めたが得られず、徐福は刑罰を恐れて秦へ還らず、この洲に留まった」という良く知られた伝説。
蓬莱とは日本列島のどこか、富士山であるとも言われるのですが。
この神話は 「王が部下に別の土地を治めるように命じ、部下が家臣を率いて植民する」形によく似ており、子供ばかり数千人を最初から連れて行ったということは、最初から移住する気満々で、帰るつもりなどなかったのですよ・・・。
つまり日本人は縄文人、弥生人(呉人、秦人、越人、韓人、夫余人、高句麗人、他)と、よく混ざり合っております。
単一民族だとかいうのは、戦時中に国民を一つにまとめるための魔法の言葉なのでした。
人間と獣が結ばれるしんわ
ところで桓雄が熊女と結ばれ、檀君が誕生したとする話もまた、どこかで聞いた話であるなと思いました。
実はこれは「モンゴル族・シベリア諸部族の起源神話」にあるのですが
「人間と獣(狼・熊)が結ばれて民族の始祖となる王が誕生した」という話は、実は極めてモンゴル族、シベリア的であるということで。
檀君神話とは、モンゴル・シベリア系の神話が伝わったものであると、個人的に考えてました。
様々な動物とヒトとの異類婚神話自体は、日本含め世界中にあるが、雑食系大型哺乳類との異類婚のメッカなると、ユーラシア北方になるようです。
モンゴルやシベリアの民族の持っている、雑食系大型哺乳類とヒトとの異類婚伝承が、何処に端を発しているか。
というと騎馬遊牧民族である、「匈奴系騎馬民族」なのではないかと思うのですが。
そうするとシベリアの部族が「人種は違うにしても、テュルク系の言語的・文化的な特徴を持っている」のは、かつて匈奴の傘下にあったからということになるんだと思います。
匈奴とは元はテュルク系または西アジアのコーカソイドに近かったのではないかと思われます。
騎馬民族の伝承自体が「先祖は西の海からやってきた」ことになってるからです。
三国遺事内の桓因に纏わる話のなかに、幾つかの地名が出てきます。
「河」の一字が出てきますが、河だけで「黄河」を示すらしいです。超大河である黄河は、河そのものが代名詞というわけでした。
同じく「洛」の一字が登場し、これは洛水(洛河)のことで、陝西省の西安の北東近辺を流れる黄河の支流です。
陝西省附近というのは、歴史的に見ると太古には西戎の土地であり、秦が治めた土地であり、その後匈奴・南匈奴の最南端に位置するなど、漢民族から見れば騎馬遊牧民族に縁のある土地となっています。
以上を踏まえると、桓因から檀君に繋がる神話とは、おそらく
「遊牧騎馬民族の記憶が、朝鮮半島に当て嵌められた」ものなのではないかと考えられるんですが。
これを証明し得る記述が三国遺事にはまだあります。
2に続く。(いつパート2を書くかは不明)
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