たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

フィリピンの耶摩提(やまと)

日本列島から南西に2000キロほども離れた、フィリピン諸島北部最大の島・ルソン島には、古代に倭人が住んでいたかもしれないという、妙な話です。

中国の古地図に「四海華夷総図」があります。描かれたのは1532年なのですが、日本列島を見ると、日本國(本州)と、倭(九州)というふうに、日本と倭が別れた地図となってます。
旧唐書』の「東夷伝倭国日本伝」には、「──日本国は倭国の別種なり──倭国自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本となす──あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたりと──」(中国正史日本伝・石原道博編訳より)とあるので、この「四海華夷総図」に描かれた日本國と倭の情報源が、10世紀前半の「旧唐書」に由来することは明らかなように思います。旧唐書の記述が事実なら、倭と日本が合併した時期は、九州と本州に共に前方後円墳が出現する時期と重なって、古墳時代前期のことだと思われます。

古地図では、日本の南に大琉球(沖縄)と小琉球(台湾)があって、その南西にある大きな島は、地理的な位置を現代地図と照らし合わせてみると、フィリピンのルソン島なのではないかと考えます。
その南には小人国があり、これはフィリピン諸島の島のうちの大きなミンダナオ島か、その南のボルネオ島でしょうか。

古地図のルソン島には、漢字で地名が記入されています。左から順に「[霍山]昆」、「法[石頁]師地(抵)」(いずれも正確ではない)、「耶摩提」のように書かれています。

「[霍山]昆」は、霍(カク)と山を合わせたような字に、昆(コン)のような字を並べて、なんと読むのか不明です。「法[石頁]師地(抵)」はブトゥアン王国と関係するのかもしれないです。中世のフィリピンには、呂宋国(ルソン国)、摩逸国(マイツ国、マレー人の国の意味か、マニラの意味か)とか、麻里魯(マリロで、マニラのことか)のような国もあったようですが、いずれも合致していません。

右端に「耶摩提」がありました。耶摩提は大和(ヤマト)とか、邪馬台国ヤマタイ)に良くにてます。ヤマテイと読むのかもしれません。これが大和や邪馬台と同源の地名で、倭人が住んでいたのではないかと想像できます。

鎌倉幕府の頃(14〜15世紀)に倭寇東南アジアへ進出していったことや、16世紀からの朱印船貿易による東南アジア一帯での日本人町形成により、「四海華夷総図」に記録された耶摩提(ヤマト)が誕生していたとも考えられます。

しかし日本列島が「旧唐書」の10世紀以前の地理的情報を元にして、倭と日本に別れているとことを前提とすると、ルソン島の耶摩提(ヤマト)も、10世紀以前の情報を元にしている可能性のほうが信憑性がありそうです。
もし10世紀以前のルソン島に、ヤマト人がいたとするなら、日本国が大和と名乗っていた大和朝廷期に、日本列島から離れてルソン島へと、生活圏を拡大した、大和の人々がいたということになりますけれど、どうなのでしょう。


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