たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

古事記。序文の謎。2

古事記の過去の回顧部分は、要するに「古事記のあらすじ」のようなものだと思います。日本神話の中で、極めて重要で、特徴的な箇所を短い文章でまとめているようです。
以下に古事記の序文の中の、過去の回顧部分を抜き出してみました。

1 天地の開闢
2 高天原の三神の登場
3 伊邪那岐と伊邪那美の誕生
4 黄泉の国と禊、日神(天照大神)と月神(月読尊)の誕生
5 先皇の恩恵
6 天照大神の天岩屋と須佐之男との誓約
7 天忍穂耳命からの天孫の継承について
8 須佐之男による八岐大蛇退治
9 大国主の国譲り
10 邇邇芸命の高千穂天降り
11 初代神武天皇の東征
12 十代崇神天皇について
13 十六代仁徳天皇について
14 十三代成務天皇について
15 十九代允恭天皇について

5番目は、古事記成立年代の天皇である天武天皇と、それ以前の先祖からの恩恵を述べており、7番目の天忍穂耳命の箇所と、14番目の成務天皇の箇所は、順序的には古事記本文の記述に沿わないものの、ほぼ古事記の特に重要な出来事や人物を序文の中に抜き出しているように見えます。
序文だけ見れば、日本神話の大まかな流れを知ることができるということですが、この中の人皇の部分、11番目の神武天皇以降に問題点を見出しました。

よく知られている通り、神武天皇は日向国の高千穂の宮から東征し、大和国(奈良)の橿原宮で即位したことになっています。しかし十三代の成務天皇の功績として、「境を定め国を開き、近淡海に治めたまふ」とあって、太安万侶は、初めて境を定め国を開いた天皇は成務天皇かのように書いていました。ちなみに近淡海とは近江国で、現在の滋賀県のことです。

序文の過去の回顧部分は、特に日本人の「最初の出来事」を取り上げているようにも見えます。境を定め国を開いたのが成務天皇という記述については、成務記の本文で、「成務天皇は国々の境界を定め、全国に県主を配置した」という業績と一致するのですが、近淡海の宮のことに言及しているのには、何らかの別の意図が隠されているふうに思うのです。

ただ単純に、近淡海宮を建てただけという意味なのでしょうか。日本神話の重要な記述ばかりが選出され、並んでいる序文の中で、それではあまりに重みに乏しいと思ってしまったわけです。新しい土地へ赴き宮を建てたというだけなら、初期の諸天皇は皆そうであるのに、なぜ成務天皇だけが序文で、宮の造営を特筆されたのか。

これはもしかすると、「最初に畿内に宮を建てたのは十三代成務天皇」という意味合いが込められているかもしれません。しかしこれだと、最初に畿内を開拓したのが神武天皇という、神話の定説が覆ってしまいます。

さらにこの解釈を推し進めると、序文の中の允恭天皇についての記述「姓を正し氏を選み遠飛鳥に勒したまふ」の部分で、わざわざ遠飛鳥、つまり奈良盆地に言及しているのは、「最初に奈良に宮を開いたのは十九代允恭天皇」だという解釈を、太安万侶は持っていたからなのかもしれません。最初に奈良に宮殿を築いたのは神武天皇の筈であるのに、これはどうしてなのか。

これらの解釈によって、神武天皇の大和東征はどういう位置づけになるのかと、疑問に思ってしまいました。やはり欠史八代とされる、九代開化天皇までの天皇は、実在性に乏しいという考えに至るのは当然なのかとも思いますが、個人的には別の考えを持っているので、これについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。

また、崇神天皇についての記述はこのようになっています。
「夢に覚りて神祗(あまつかみくにつかみ)を敬いたまふ。所以に賢后と称す」

崇神天皇の和風諡号は、古事記では「御真木入日子印恵命」、日本書紀では「御間城入彦五十瓊殖尊」とあって、双方ともヒコ(日子・彦)が付いていて、このヒコは男性の意味があるのですが、どうしてなのか序文では「后(きさき)」の字が当てられていました。
これは指摘している方もいると思うので、最初に気づいたわけではないかと思いますが、興味深い点であると思います。
一説には崇神天皇魏志倭人伝に記された倭国の女王・卑弥呼のことであるとの解釈も成り立つとされていますが、果たして真相はどうなのか。崇神天皇の和風諡号には他にも秘密があるのですが、それもまたそのうちに。

さらに掘り進めていくと、初代から20代安康天皇までの、初期の諸天皇の宮殿の場所は、記紀に記された宮殿の位置とは、実はかなり大きく違っているのではないかという仮説にたどり着いたのですが、それもまたまた今度書いてみたいと思います。