たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

烏孫 の検索結果:

南九州に旧約聖書的な記録が見つかるのは何故か

当初「古語拾遺」に烏孫の情報が入ってることを書こうとしたら、なぜか「翰苑」にまつわる日ユ同祖論のほうが気になってきました。そこでそっちを優先して記事にすることにしました。 ○いつも助かっております 地図の痕跡 以前に日向国や出雲国が、古代イスラエル・ユダ連合王国の形をしてるということ述べていましたが。 こんなのとか。 こんなのとか。 ちなみに個人的にイスラエルとかユダヤ人の宗教や思想を信仰信奉みたいなことしてるわけではなく、あくまでも興味があるから調べているだけですので悪しか…

天照大神にはテュルク系の「雌狼伝説」の一面が含まれていた可能性をさらに探ってみる

…で、「阿史那の先祖は烏孫」と言ってるから、烏孫→アセナ→阿史那という流れになってると見られ。 んで、突厥の先祖である雌狼アセナが、天照大神と同一の存在だと仮定してみると、 突厥・突厥の先祖の雌狼 天照大神と神武天皇 ・狼(おほかみ) 大神(おほかみ) ・雌 女神 ・西から東へ向かった 西の瑞籬宮から東の斎宮(伊勢)へ移った ・男児は雌狼に救われた 神武天皇は天照大神に救われた(東征中) ・雌狼は洞窟へ入った 天照大神は天の岩屋(洞窟)へ入った ・雌狼は洞窟から出た 天照大神は…

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

…弓月宇陀(uda) 烏孫(wuson/uzun)宇治(uzi) 烏孫(uzun)宇智(uzi) 烏孫丹敷(tajiki) タジキスタン牟婁(muro) ムルガブ(murgab)大阪(osaka) サカ堺(sakai) サカ淡路(ahaji) エフタル(eftal) 中国新疆ウイグル自治区からキルギス方面にかけての、天山山脈を中心とする地方との比較になってます。 新疆のイッセドネスというのは民族名で、サカ系の民族という。かつてのアラル海の北方のカザフステップに居住した説があるの…

神武天皇の倭国では山椒を知っていて、卑弥呼の倭国は山椒を知らず・・・

…武天皇は大陸に居た、烏孫の昆莫と同一人物だったと仮定して話を進めてるのですが。それを補足する材料ひとつ。 ○いつも助かっております 神武天皇と卑弥呼は共に「実在した」 という通説に基づくと、どちらも同じ日本列島の倭国にいて、まったく同じ文化を享受し連綿と受け継いでたんですけど。 しかしなんか、一筋縄ではいかないようなおかしなところがあり。なにがおかしいかは、日本の山椒のことを調べると分かってくるんですけど。 画像はwikipedia-山椒を参照、なんつって・・・。 山椒 サン…

日本語の大陸起源 事物と言葉の歴史的経緯から探ってみる

…なのですよ。おそらく烏孫を経由して倭に入ってると考えてるのですが。 これはたぶん日本語の顔面系ネガティブな意味である「ブス」の由来がギリシャ語の牛=ブスなんじゃないかという発想にも繋げられることなんですが。ブサイクのことをブスというのは、古代には本来「牛みたいな顔」を意味してたんではないかと。 これは頭が悪いことを「馬鹿」といって馬と鹿を持ち出してることからも説明が付くわけなので。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドイツ語、ポーランド語、ス…

神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか。

…う話があり。 例えば烏孫の昆靡(王)である昆莫の伝説に以下のようなものがあり。 昆莫 匈奴の西境にある小国の王であった難兜靡の子として生まれる。 匈奴によって父が殺されると、幼い昆莫は野原に棄てられた。しかし、昆莫の上空で鳥が肉をくわえて飛びまわり、狼がやってきて乳を飲ませたので、不思議がった単于(ぜんう:匈奴の君主号)は神だと思い、収容して育てることにした。 昆莫 - Wikipedia この伝説は烏孫に限ったものではなくて、騎馬民族に共通してるとか。 突厥 突厥の先祖は平…

倭と中央アジアに確認できる長脛と安日

…dia 中央アジアの烏孫の安日 小昆弥の烏就屠が死ぬと、子の拊離が即位したが、弟の日弐に殺される。日弐は逃亡し、康居に依った。漢の遣使者は拊離の子の安日を立てて小昆弥とした。安日は貴人の姑莫匿ら3人に日弐の一味に紛れさせ、これを刺殺させた。 後に安日は降民に殺され、漢はその弟の末振将を小昆弥とした。 烏孫 - Wikipedia この2名の安日は、日本と中央アジアで記録されていた、完全な別人と見られるんです。同じ名前、同じ漢字を使っているのは、個人的にはなにか意味深に感じたり…

当ブログの人気記事ランキングの調査

…) 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 2014-03-21 HB0、F14、G0 (6) 美豆良(みずら)の謎から解く日本人のルーツ 2013-05-13 HB0、F8、G1 (7) 極論だけど日本の神様の起源はエジプトの神にあると思った件 2015-01-30 HB0、F0、G8 (8) 豊城入彦が最初に向かった場所 2012-03-18 HB0、F6、G1 (9) 太陽にまとわりつく謎の巨大暗黒惑星について最新情報 2015-07-30 HB1、F3、G2 …

倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 

…すが。 中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか 神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは (9)すると線刻画の、右下のくねくねも気になりますね。 これ、インダス川とジェラム川の流れに似てます。ここはアレクサンドロス大王が通過したところです。 大王様が通ったところの地形なんですね。おもしろくなってきました。 (10)自分なりに現時点での結論を出すと、こんな感じ。 カスピ海の形がほぼ完璧に再現されてい…

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

…すが。 神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる この記事も参考。地中海地方の天皇と大和民族は、まず烏孫に拠点をつくり、その後に倭国へ拠点を移動してるような気がしてます。烏孫の論文はちょっとづつ進んでます。 神武東征中に神武天皇をたすけた金鵄は、東欧のハンガリー建国神話にも登場してます。ハンガリーの場合には八咫烏と金鵄をくっつけたような、turulという光り輝く鳥(鵄、または鷹)が、アルバート王を導いた。 カラスというのは、元は中東方…

出雲国の日ユ同祖論を境界線で解いてみた

…いうことになる。 ・烏孫を経由してきているので烏孫情報も入ってる 従来の日ユ同祖論では輪郭がはっきり見えなかったので、否定される傾向が強かったわけなのですが。境界線を日ユ同祖論の証拠としたら、はっきり輪郭が見えてくるわけなんです。 従来の日本史解釈の本流「日本の歴史はほとんど日本国内」という考え方は、今後も徐々に否定していきますので。 俺みたいな最底辺ゴミクズがこれを発見してすみませんが・・・。 参考 ・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった。その1 ・日本の境界線は適当…

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

…劉夏・・・中央アジア烏孫の王・昆莫の奥さんが前漢の劉氏 ・難升米・・・烏孫の王・難兜靡に似てる 難升米 nan-sho-mai 難兜靡 nan -tou-mi ・都市牛利・・・タジキスタンの都市、塔什庫爾干(タジュクルガン)の音写 塔-什-庫-爾(ru) 都-市-牛-利 ・伊声耆・・・キルギスのイシク湖(Issyk Kul)の音写 伊声耆 i-sei-ki イシク I-ssy-k ・載斯烏越・・・中央アジアの車師国の音写となにか 載斯 sai-shi 車師 sha-shi ひ…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 

…和国に対応するのは「烏孫」です。 これとか 関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 これとか 神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる つまり日本雛形論に神武東征をあてはめると、「神武天皇のゴール地点は中央アジアだった」ことがわかってくるでないですか。神武天皇って、中央アジアまでしか行ってないんじゃないですかね? イスラエル→ウスラエル という想像膨らませてきましたが。 神武東征の後、中央アジアか…

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

…騎馬民族だった匈奴、烏孫、突厥などは、みんな狼を先祖としていましたね。 その狼はどこから来たか? 突厥の神話では「西の海からやってきた」って言っているので、地中海・黒海地方にいた民族が、東へ向かった、それが匈奴の祖先ってことなんですよ。 更に付け加えると、飛騨に入っているのは、匈奴の単于を輩出する「攣鞮氏」ですよ。何故かと言うと。 【攣】レン①ひく。 【鞮】テイ①平らな皮革。 攣(ひ)鞮(だ) ですね? ところで御嶽山(おんたけさん)ですが、これは匈奴のあと突厥が本拠を置いた…

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

…ジアの紀元前2世紀、烏孫の王である昆莫。実は昆莫の本名が「イワレビコ」という名前で、「漢書」「史記列伝」に記録されていたとしたらどうしますか。 もしそんなことがあったら、神武天皇の諡号「イワレビコ」なので、昆莫と神武天皇が同一人物か、かなり関係していると見ざるを得なくなります。 ○いつも助かっております 断言法 ・・・「絶対にこうである」「私の意見こそ正解である」というのが「断言法」ですが。 デジタル大辞泉の解説 だん‐げん【断言】 [名](スル)確信をもってきっぱりと言いき…

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

…氏→かっち→かわち 烏孫ーーー宇陀郡・宇治郡・和泉国 usun→uzun→uda・uzi・izumi サカーーー大阪(烏瑳箇) 大サカという感じ タジクーー丹敷(たじき)戸畔 丹敷は日本書紀では「にしき」だが キルギスー紀伊国 タリムーー鳥見(とりみ)山 タクラマカンーー高倉下 イッセドネスー伊勢 天山山脈の東 トハリーー針間国 堅昆ーーー剣根 堅昆は烏孫の北東の国、剣根(けんこん) アフガンーーー淡路 af-gan=af-gi イシクーー磯城郡・石切 カブールーーカブ…

古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか

…。 中央アジアの羌・烏孫・月氏はメソポタミアから来ている 羌は遊牧民なのでしたが、すぐちかくには烏孫と月氏がありました。 羌は青海、月氏は当初は祁連山脈の北に、烏孫は最初は敦煌の南あたりでした。図で表すとこう。 googlemap使用 この三者が同じ祁連山脈の周辺に固まっていたのは、三者とも元々はメソポタミア地方にいた同郷だったからといことで間違ってなさそうな気がします。 ということで、ここに述べた内容は、チベットがtabalを起源とするという想像を前提とした話ですので。チベ…

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

…san no wo「烏孫の王」な気がするのは気のせいかどうか。 日本国内に実在した素戔嗚命と、習合(合体)してるんだと思いますけど。 日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさっているのが正体なわけで。 「など」には欧州、エジプト、環太平洋」も含まれますが。 ○いつも助かっております では中央アジアの素戔嗚命の伝承をちょっと 素戔嗚命といえば「八岐大蛇」退治の神話が一番知られたもの。 天照大神に悪さをして、地に落ちた素…

明治維新と明治天皇についての異説で思ったこと

… (まあもっと遡ると烏孫なのですが。) 木戸孝允ら維新を成し遂げた維新志士らは、古代の日本の天皇は扶余からきてるのだから、本来の扶余に戻さなければ本来の日本ではないのだと、そういう結論だったんではないかと。それで維新志士らは、O室寅之祐が満州からきてる扶余王族の末裔であるということを知っていたので、彼を担ぎあげたのであると。 ということはつまり、 一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ 天地ノ公道とは「古代の扶余の末裔としての天皇家」 の復活であったとゆうこと。 じつは今の…

酒船石は「サカ匈奴石」な証拠

…用方法としては、この酒船石を大陸の雛形として機能させてたわけで、水を流して先祖の土地に水に乗せた思いを届かせて、供養したんでせう。水は世界に繋がってるわけなので。それでこそ、飛鳥の土地で天皇と大和民族による、古代イランのゾロアスター教の盂蘭盆会が行われた意味を成しているように思われました。 で、飛鳥の酒船石遺跡には亀形石造物と湧水施設っていうのもあるのですが、これも同じことなんですよね。亀形石造物と湧水施設のほうが、実は烏孫に深く関係してました。 続く。 人気ブログランキング

後漢景帝の孫である「江都王劉建」は日本書紀の「事代主神」だったか

…皇陛下は、前漢皇帝と烏孫昆靡の末裔だったんではないか?」と考えている、引き篭もり系のいじめられてる歴史研究者です、こんばんは。 そして後漢の景帝の孫である江都王劉建とは、「日本書紀」に登場する「事代主神」であること。 このことは、日本の文献の名前を見ても、はっきり現れてると、想像の中です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まず江都公主って誰?てことですが、 後漢の第6代皇帝である景帝、景帝の息子江都易王劉非、劉非の息子江都王劉建、劉建の娘…

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

…神武天皇と、キルギス烏孫の不思議な話です。 しかし、何も出来ないゴミクズ鼻○と言われた時代を経て、その頃からずっと弛まず溜めてきた研究成果をさらけ出している今。成果の正否は、いまだ不明。 一体何か報われるんだろうか、という疑問は尽きませんね。ゴールは何なのだろうかって、思うわけですけどね。無慈悲にバカにしてくる人々にも、無料公開し続けて、輪をかけてバカにされるという理不尽が続いてるみたいですそういえば、もうそろそろだっていう話も聞きますよね・・・。 ○いつも助かっております …

神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは

…ですが。中央アジアの烏孫にはネストリウス派キリスト教(景教)が、1世紀の時点で入ってました。中央アジアの西域では、1世紀の段階で景教と仏教と融合を果たしてる筈ですね。 ところで神武天皇は実在なら、いつの人だったかですが。紀元前7世紀から西暦4世紀まで諸説あるんですよ。 前回の記事で、崇神天皇、垂仁天皇が3世紀ということは朝鮮半島の王の年代で表されることは解説したんですが。 垂仁天皇の時代が3世紀末~4世紀前半だったことを証明する方法 邪馬台国の女王壱与(台与)が崇神天皇である…

第2代綏靖天皇と、烏孫の軍須靡の名が似すぎている件

このブログでは、烏孫の昆莫王朝は、日本で伝承された神武皇朝だったと妄想で述べています。これは第2代綏靖天皇と、烏孫の王の名前を比較すると、ワタクシの妄想がかなり補強されてきますので注目です(。 闇の組織参加者により評判を落とされるのですが、できる努力はしていきますのでー。 ○いつも助かっております 第2代天皇は綏靖天皇 諱(本名)は「日本書紀」によると「神渟名川耳」っていうのですよ。 「古事記」では「神沼河耳」で、「かんぬなかわみみ」、「かむぬなかはみみ」。 この名前、烏孫の…

神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる

…神武東征はほんとは「烏孫王の中央アジア東征だった」を人物名や地名から検証してみます。「記紀の出来事は日本で起きた」と考えて、そこから出ない人は、変な人もいるものだと、見ておいてください。 ○いつも助かっております 堅昆と剣根 「日本書紀」では、神武東征が完了した頃、「剣根(つるぎね)」っていう変な名前の人が出てくるんです。 「神武東征はほんとは烏孫王の中央アジア東征だった説」で解釈すると、これは「剣根(ケンコン)」と読みます。剣根という漢字を当ててはいますが。 中央アジア史を…

魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった

…担当する地方官です。烏孫の王、昆莫の奥さんが劉細君であるのと、劉夏さんは倭へ派遣されているのは、関係していると見るべきかもしれませんよ。 つまり劉細君の劉氏は、太守劉夏の劉氏と同じなのであると。劉氏は前漢の皇帝の子孫なわけで、これは有り得る話です。 烏孫と倭の統治者が共に天皇家なのだったら、劉細君の親類である劉氏が倭の担当になっておかしくないですよね。 そもそも劉細君の劉氏は、江都という土地に本拠があって、ここは現在で言うところの上海に近い、江蘇省揚州市です。倭に近い場所でし…

中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇

…きるんです。 一方で烏孫の王、昆莫です。 昆莫は漢字の上古音で(Kuen-Mo)ですが、漢音だと昆莫(Kon-Bak)で、神武天皇と全く同じになることに気づきま専科。 神武 │ Jin │ Mu │神武 │ Kan │ Mu │神武 │ Kan │ Bu │ 昆莫 │Kuen│ Mo │昆莫 │Kon │Bak │ 一致していますよね。 神武は淡海三船によって、意図的に昆莫の名に合わせられているというわけなのです。え?疑わしいですか。。 では神武天皇と昆莫の皇后の名前が、仮に…

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

…大和国(奈良県)が、烏孫に当てはめられている」と仮定すると、烏孫に対応する大和の石神神宮に布都御魂剣、大陸の関東に対応する日本列島の関東の鹿島神宮に布都御魂剣、2か所に置かれて繋がりを示してるということになるのです。 想像なんですけども「布都(fu-tu)」というのは本来、烏孫と高句麗を結びつける「匈奴(fun-t」のことなのではないかと。 孝元天皇の先代の孝霊天皇が太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)の名を持っているだけに、孝元天皇の御子に匈奴の名(布都)がついて…

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 1

…の国家で族長のような役割だったかもしれませんが、最終的に日本に到達して天皇となっているので、移動中の世継ぎも天皇に数えられているんだと思われます。 ここまでは天皇家は「北から南」という移動経路でしたが、古代天皇諡号の情報は、これに留まりません。記紀では基本的には「西から東」であることが指摘されているんではないかと考えました。彼ら天皇家の移動集団が、東夷諸国を自在に移動できたのは、東夷の王族も天皇家も、共に烏孫の昆莫の子孫だったからと考えるのですが。 続く 人気ブログランキング

日本の別名からもわかる「日本の前衛国家は烏孫」

…、最近このブログでは烏孫が日本の起源であり、神武天皇は烏孫にいた、という話を頻繁にしてますが、これは本来電子書籍か出版社からの出版という形にする予定でした。でも当面の間は実現しそうにないのでブログで書き溜め、烏孫起源ホームページ(仮)にまとめようと思ってるところです。 これは多分いまの自分にとって、必要なことなのですよ。なんか巨大な何かに急かされているという気さえする。 ○いつも助かっております 天皇と大和民族が烏孫から来ているとする仮説 仮説としては1990年代の、加治木義…