たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジア の検索結果:

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

…てきましたし。 でも中央アジア、とくに中央アジアの烏孫の存在を匂わすヒントは、たしかに奈良盆地に残されていのですよ。 そして今回は、奈良盆地に「イシク湖」があった件について。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 大和湖(奈良湖) その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆地には巨大な湖がありました。 それは歴史的には「大和湖」とか「奈良湖」と命名されているそうです。かなりマイナーな存在。 以前に作った地図があったと思い出して、探したら2012年の記事にあっ…

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

…頃、インド北方および中央アジアの一部を領有した王。 バベルの塔では「人々が出会って建設をはじめ」、「神と出会った」んですよね。インド北方の王の名前を出すことで、舞台がユーラシア大陸の西方だったことを印象づけているようです。 具 ①そなわる・そなえる おぜんだてがそろう。⑤ともに バベルの塔は、「崩壊のお膳立てがそろった場所」なのですね。とするとバベルの塔の崩壊は、最初から決まってたんですね。 土 ①つち ⑦五行の一つ。方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓で…

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

…ところです。 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。 関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 A・中東での始まり シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国→ユダ王国(アッシリア) 概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書のアブラハム~ヨセフ~モーセ~ダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまっているんですよね。 アメ ・天皇家の先祖は「天(アメ・アマ)」であり、…

アイヌは元々大陸から流れてきたキルギス人(契骨)だった説

…指導者がいましたが、中央アジアのアルタイ山脈の名前を取ってたとすると、しっくりくるのですが。 アテルイ - Wikipedia ところで古代中国では、異民族のことは犬畜生とか鬼みたいな扱いをして蔑んでいました。それで異民族を西戎(犬)とか北狄(逃亡者)とか濊(けがれ)とか変な意味を付けていたんですよね。そのへんは日本でも受け継がれて、「東夷(東の野蛮人」)とか言ってますけど。 ・ 骨嵬と苦夷 歴史上で中国人が異民族名に「骨」を付けたのは3つでした。 1・アイヌを表す骨嵬 2・…

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

…紀~2世紀)までは、中央アジアに対応してたみたいですが。 中央アジア~西アジア諸国との対応 ・腹=トハラ トハラとはトカラ、トハリスタン。中央アジア。 ペルシア、パルチアのペル、パルも含むのか。 ・腰=月氏 月氏→かっし→こっし→こし→腰 ・臍=烏孫 烏孫→うそん→へそん→ヘソ→臍。臍は母子がつながるという意味で重要視 ・玉\(^o^)/) タリム盆地。タリムが玉。「史記列伝」か「漢書」にタリム盆地は白玉の産出地とあったと記憶。 ・ちん◯\(^o^)/ 中国読みの秦(ちん)が…

「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

…ことも事実ならば。 中央アジアに仏教が伝播したのが紀元前250年。東アジアに入ったのが西暦100年頃。 大国主神話に八大地獄が含まれるのが本当ならば、 おそらく1世紀から4世紀までの間に、元々あった大国主の神話のなかに、仏教の八大地獄が取り入れられていることになるかもですが。その理由は関連記事で。 個人的には日本神話はユーラシア神話の寄せ集めで、日本列島では4世紀以降に一緒くたにまとめられたと見ているわけなのですが。真相はどうなのか。 関連記事 ・神武天皇紀になぜか仏陀と仏教…

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

…王の東征に従軍して、中央アジアヘ向かった出来事が反映されていると見られますが。 つまり神武天皇は古代イスラエル系でありユダ王系を経ている 既存の日ユ同祖論では、天皇家はダン族だとかエフライム族だっていう考えが圧倒的に多いのですが。俺的にも以前はエフライム族なんじゃないかということで、こんな記事書いてましたが。 ・日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも こうしてウガヤフキアエズの名前からは、ユダ王朝の系譜が取り出せたということは…

日本列島雛形論は4種類あると発想できたわけですが

…東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・酒船石は「サカ匈奴石」な証拠 こういう感じで。 3・「古代イスラエル・ユダ連合王国の形」を、ユーラシア大陸中央部の烏孫、扶余、日本列島の九州、出雲、機内、関東、北海道の一部、に投影している。 (電子書籍で九州系地名と呼んでいるものも実は同じか) 日本の根幹には日ユ同祖論がある、という話は以前からありました。 しかしじつは、「日本の地域の形状自体が、古代イスラエルユダ連合王国の形で表されていた」という発想です…

なぜ日本語のデブ系語彙がヨーロッパ語と共通するのか

…を2回繰り返すのは、中央アジアの呼び方に似ていますよ。やはり中央アジア系の人がもたらした名残が、シシにはあるのでは。 「家畜」をグーグル翻訳 ・フランス語 bétail betaが含まれる ・ブルガリア語 добитък(dobitŭk)bituが含まれる ・マケドニア語 добиток(dobitok)bitoが含まれる 日本語のbutaに近い呼び名が、欧州では家畜という意味だったのですよ。これは弥生時代には本来家畜という意味で入ってきたブタが、いつしか豚という特定の動物を…

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

…ます おなじ 今回は中央アジアに日本と同じ地形・地名があるっていう変なことをテーマにします。 そういえば、ココ数日のブログの閲覧者数。 先月から500前後で、ずっとなだらかな訪問者数でした。ほそぼそ続けていたんですが、16日はブログのカウンターで1000超え、ブログ管理画面のカウンターで2000超えた。3日連続で1000超えということにもなり、なにか熊本地震の発生と時を同じくしているような・・・。 こんなに増えたのは初めてだったんで、感動したんですよね。人気ブログからすると1…

神武天皇の倭国では山椒を知っていて、卑弥呼の倭国は山椒を知らず・・・

…用いられているので、中央アジアでも昔から広まっていたのかもしれない。 山椒についての日本最古の記録は、「古事記」「日本書紀」と「魏志」にみることができるんではないだろ~か。 「日本書紀」の山椒 長髄彦との二度目の戦いで、金鵄が舞い降りて長髄彦軍を幻惑し力を削いだので、天皇軍は勢いづいた、そのときの来目歌とよばれる歌があって、 「ミツミツシ、クメノコラガ、カキモトニ、ウヱシハジカミ、クチビヒク、ワレハワスレズ、ウチテシヤマム。 天皇の御稜威を負った来目部の軍勢のその家の垣の元に…

日本語の大陸起源 事物と言葉の歴史的経緯から探ってみる

…は歴史的な出来事で、中央アジアにギリシャ人の国「インド・グリーク朝」があったんです。 インド・グリーク朝 - Wikipedia 彼らが弥生時代後期以降に、東アジア人種との混血をしながら日本まで向かい、いつしかブスの「b」が外れてウス、ウシといっていたものが日本語の中で定着したということは、考えられるわけなのですよ。おそらく烏孫を経由して倭に入ってると考えてるのですが。 これはたぶん日本語の顔面系ネガティブな意味である「ブス」の由来がギリシャ語の牛=ブスなんじゃないかという発…

神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか。

…、西海(地中海)から中央アジアへ移住し、窮地を狼に救われ発展した物語なのですよ。 おそらく烏孫も同様に、地中海から中央アジアへ至っているんですよ。「西から東へ」という烏孫の人々の移動ルートがここで明確に存在するんですよ。 日本の古代天皇家が烏孫に関係してるなら、日本神話のなかに「狼を先祖」とする話しがあってしかるべきことになるわけなんですが。 しかも神武天皇と昆莫の同一性を指摘するなら、神武天皇の先祖は狼という話があるはずだが、それは無い? と思っていたら、関係する話しがあっ…

倭と中央アジアに確認できる長脛と安日

…日と全く同じ名前は、中央アジアにも存在していました。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 倭の安日彦 安日彦(あびひこ)は中世日本神話に伝わる伝説の人物の一人。安日王とも。 鎌倉~室町期成立の『曽我物語』に蝦夷の祖を流罪にされた鬼王安日とする伝承が記載されている。長髄彦の兄とされ、彼と共に青森県の弘前に逃れたとも、単独で津軽地方に流されたとも伝わる。ただし古事記や日本書紀に安日彦の名は乗っていない。 ちなみに文献学的には、長髄彦の兄とする記録よりも、「安日…

神武東征は紀元前666年に出発し紀元前660年に完了したことになってるのは何故か

…に「塩土翁(塩椎神)=シオの土地の爺さん」がいて、「日本列島はユーラシアの雛形」になってることや、古代の日向国と大和国の地形からも見えてくるわけなのですが。 倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 つまり想像すると、神武天皇の日本列島東征=大陸東征だったと。 神武天皇は畿内まで向かったが、関東までは達していないんです。このことは、 神武天皇は古代イスラエルから中央アジアまで向かったが、東アジアまでは到達してないことを意味してるのですよ。 過去記事を参照。 人気ブログランキング

倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 

…かると思いますが。 中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について - たっちゃんの古代史とか 神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは (9)すると線刻画の、右下のくねくねも気になりますね。 これ、インダス川とジェラム川の流れに似てます。ここはアレクサンドロス大王が通過したところです。 大王様が通ったところの地形なんですね。おもしろくなってきました。 (10)自分なりに現時点での結論を出すと、こんな感じ。 カスピ海の形がほぼ完璧に…

八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった?

…神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる この記事も参考。地中海地方の天皇と大和民族は、まず烏孫に拠点をつくり、その後に倭国へ拠点を移動してるような気がしてます。烏孫の論文はちょっとづつ進んでます。 神武東征中に神武天皇をたすけた金鵄は、東欧のハンガリー建国神話にも登場してます。ハンガリーの場合には八咫烏と金鵄をくっつけたような、turulという光り輝く鳥(鵄、または鷹)が、アルバート王を導いた。 カラスというのは、元は中東方面の言葉…

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

…も助かっております 中央アジア人 先日書いた記事 魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった これも関係してましたけど。 ・塞曹掾士張政・・・中央アジアのサカ(塞)担当官 ・太守劉夏・・・中央アジア烏孫の王・昆莫の奥さんが前漢の劉氏 ・難升米・・・烏孫の王・難兜靡に似てる 難升米 nan-sho-mai 難兜靡 nan -tou-mi ・都市牛利・・・タジキスタンの都市、塔什庫爾干(タジュクルガン)の音写 塔-什-庫-爾(ru) 都-市-牛-利 ・伊声耆・・・キルギスの…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 

…東は東アジア 近畿は中央アジア 九州は中東 って書いてたら、教諭がわざとらしく「ゲッハッハ!」と大咳を浴びせてきた・・・。 つまりユーラシアが日本に対応する、日本雛形論でいうと、 日向国(九州) ━━━━━━大和国(畿内)━━━総国(関東) 古代イスラエル(中東)━━中央アジア━━━━━扶桑(日本) こういうことになるので。 具体的に言うと、大和国(奈良)に対応するのは中央アジアのどこか? となったら過去記事で書いてましたが。 大和国に対応するのは「烏孫」です。 これとか 関…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった。その1

…東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 みたいなことが関係してると思うのですが・・・。 不思議なのは飛騨と甲斐の関係 世界中に上空から見て分かる「地上絵」があるらしいです。 これは古代から「ナスカの地上絵」だとか、ブラジルの「アクレの地上絵」だとか。最近みた動画によると、南アフリカに「フェルヌークパンの地上絵」とかあるらしいです。 地上絵 - Wikipedia Verneukpan - Wikipedia, the free encycloped…

台・堆・俀・タイ・帯から分かる倭の起源の一端

…でした。元々タイ族は中央アジア~中国にいたんですね。滇王国の滇とはタイの音写で、「タイ王国」なんすかね。 そういえば、よく世界各地の領土問題で「元は住んでいたから我々の土地だ」という理屈が出ますが、タイ族にもあてはめてみたらどうなっちゃいますかね。 大 で、アルタイ山脈の漢字表記が「阿勒泰」というので「泰」とは「タイ族」が元になってるのかと。 ちなみに先ほどのリンクによると、「タイ」の意味は「大」だそうで、「タイ族=大族」という説があるとか。これはあやしい。 つまり倭国=俀国…

中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について

中央アジアの紀元前2世紀、烏孫の王である昆莫。実は昆莫の本名が「イワレビコ」という名前で、「漢書」「史記列伝」に記録されていたとしたらどうしますか。 もしそんなことがあったら、神武天皇の諡号「イワレビコ」なので、昆莫と神武天皇が同一人物か、かなり関係していると見ざるを得なくなります。 ○いつも助かっております 断言法 ・・・「絶対にこうである」「私の意見こそ正解である」というのが「断言法」ですが。 デジタル大辞泉の解説 だん‐げん【断言】 [名](スル)確信をもってきっぱりと…

関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論

…のは誰か?ヒントはここ。 魏志倭人伝に登場する倭人の出身は中央アジアだった - たっちゃんの古代史とか 弥生時代後期の倭人(大和民族)に含まれた、大陸の諸民族(弥生人)。4世紀の秦氏よりずっと以前から倭人の中枢に入り込んでた。 ここまで一致していると、「じゃあ中央アジアより西は日本のどこに対応しているの?」というのも気になるところですが、既に大体分かっていますので(自分の中では)。そのあたりも死ぬ前に洗いざらい白状して、寝耳に水な状態が続いてまいります。 人気ブログランキング

任那国の蘇那曷叱智、新羅王、崇神天皇、扶余王の同時代の王名は関連付けられている

…登場する倭人の出身は中央アジアだった 須佐之男の佐之を入れ替えると、須蘇那男。 蘇那・・・佐野尊。神武天皇。佐野曷叱智。 そういえば「新撰姓氏録」に神武天皇の兄「稲飯命」は新羅王の祖であると書いてますね。稲飯命 - Wikipedia あ。蘇の古訓に「イヌエ」とあるのはイネのことか。倭というのも女が粟を持った形。 そういえば、崇神天皇は「御間城入彦五十瓊殖」で、「御間城=任那」「五十瓊殖=イニエ(イニウェ)」。で蘇那曷叱智は「任那」の「蘇(イニエ)」なので。 御間城(任那)入…

古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか

…東のE系から分岐して中央アジアに来てるとか。 あるいは、5万年前に中東→チベットという移動があった後、3000~2000年前にも中東→チベットという民族の移動があって、区別がついてないということかも。 それで神話やら遊牧民やら国名やらが似通っていることの説明がつくんですけど。 中央アジアの羌・烏孫・月氏はメソポタミアから来ている 羌は遊牧民なのでしたが、すぐちかくには烏孫と月氏がありました。 羌は青海、月氏は当初は祁連山脈の北に、烏孫は最初は敦煌の南あたりでした。図で表すとこ…

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

…佐之男/すさのお)は中央アジアで伝承されてたんではないか・・・。と思わせる神話がウイグル族にのこされていました。 それは何故かといえば大和民族の中枢に入った人々が、中央アジア出身だったからなのですが。そもそも素戔嗚命とはsusanowoで、s usan no wo「烏孫の王」な気がするのは気のせいかどうか。 日本国内に実在した素戔嗚命と、習合(合体)してるんだと思いますけど。 日本神話は、おおまかに言うと「日本列島の出来事・神話」と「ユーラシア大陸などの出来事・神話」が合わさ…

後漢景帝の孫である「江都王劉建」は日本書紀の「事代主神」だったか

…。 日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ - たっちゃんの古代史とか めでたしめでたし。 つまり、 江都公主劉細君=冨登多多良伊須須岐比売(比売多多良伊須気余理比売) なんですけどね。想像ですが、ここまで、いいですかね・・・。 冨登多多良伊須須岐比売の父親は、「日本書紀」によると事代主神(ことしろぬしかみ)となってるんですが。「古事記」だと「大物主神の化身である丹塗矢」みたいになってるので意味不明で変なのですが。 事代主 - Wikipedi…

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

…ないかと。 ちなみに中央アジアに実際に3世紀頃、トルギッシュという国がありましたが、説明するまでもなくテュルク系遊牧騎馬民族の国でしたが。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (3)烏孫と天皇は、二代目意向の名前も一致する これはこちらの記事で既に紹介しました。 第2代綏靖天皇と、烏孫の軍須靡の名が似すぎている件 - たっちゃんの古代史とか ということだったのですが、記事から内容をコピペすると、 第2代天皇は綏靖天皇。 諱(本名)は「日本書紀…

神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは

…と、日本の大乗仏教は中央アジアを経てから日本へ入り込んでるのがわかるんですが。中央アジアの烏孫にはネストリウス派キリスト教(景教)が、1世紀の時点で入ってました。中央アジアの西域では、1世紀の段階で景教と仏教と融合を果たしてる筈ですね。 ところで神武天皇は実在なら、いつの人だったかですが。紀元前7世紀から西暦4世紀まで諸説あるんですよ。 前回の記事で、崇神天皇、垂仁天皇が3世紀ということは朝鮮半島の王の年代で表されることは解説したんですが。 垂仁天皇の時代が3世紀末~4世紀前…

日本列島からメソポタミアへ縄文人の移住はあったかを確かめる方法

…により伝来 玉ねぎ 中央アジア原産、江戸時代に伝来 トマト 南米アンデス山脈原産、1660年代頃に伝来 ブロッコリー地中海地方原産、幕末に伝来 茄子 インド東部原産、平安時代に伝来 にら 中国北部・モンゴル・シベリア原産、弥生時代に伝来 人参 アフガニスタン原産、16世紀に伝来 ねぎ 中国西部・中央アジア原産、弥生時代に伝来? 白菜 中国原産、江戸時代以前に伝来 ピーマン 南米原産?、明治初期に伝来 小麦 中央アジア・イラン原産、弥生時代中期に伝来 レタス 西アジア・地中海地…