たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

ユーラシア の検索結果:

卑弥呼・壱与は徐福の血筋だと漢字で表されてるらしい

…で。 とすると最初に紹介した、 ・しゃもじの女王卑弥呼 ・崇神天皇に封印された卑弥呼のアナグラム ・<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説) 同じようにして解いている、このへんの仮説も、あんまり無視できないと思いますが。 ちなみに、以上は「天皇家と大和民族の大陸起源説」というかんじで、ぶっ飛んだ仮説に含まれたごく一部という感じはしています。 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ このへんに詳しいです。 人気ブログランキング

そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

…事ですが、戌は「滅び」がコンセプトな動物でしたので、人間の死、霊魂、冥界に関係するのは明らかでした。 あとは「日本書紀」で日本武尊が白犬(狼)に導かれる話もありましたが、あれも霊魂を導く話であるようですね。あのあと日本武尊は死へ向かって行く展開だったわけなので。 こうしてエジプト→ユーラシア→日本の犬は、全て死者・霊魂・冥界に繋がることがわかるのでした。犬はかわいいだけじゃなかったのです。 戌年とは、「アヌビス年」と言い換えてもおかしくない感じがします。 人気ブログランキング

「地球空洞説・地球内天体説」と一致する日本書紀の「地球から太陽神が生まれた」神話

…日本人はエジプトからユーラシア大陸にかけての民族・文化・信仰を融合したから、神様も同じようにして習合して、こうなってるわけなのですが。 前置きが長くなりましたが、ここからが本題になっちゃったりするわけです。 日本の太陽神は地球内部から宇宙空間に露出した 凄く変なことが書いてあるもんだと、10年前は思ってたのですが。近年盛り上がってる(?)地球空洞説や地球内天体の話と完全に整合してしまってると分かって、こりゃ無視できないと思いました。 「日本書紀」の太陽神、大日孁貴(おおひるめ…

神武天皇が派遣した天富命、始皇帝の下から旅立った徐福は奇妙な一致を見せる

…るんではないかと。 歌舞伎や浄瑠璃などの伝統芸能で昔の演目を繰り返すこと、天皇の即位の儀である大嘗祭では古代の儀式を再現すること、そうしたものに近いのではないかと。 もう一つ加えるなら、個人的には、ユーラシア大陸と日本列島の雛形論が、天富命の話にも入り込んでいるのではないかと考えてしまいます。 関連記事 ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます 人気ブログランキング

倭と邪馬台国はキリストと12使徒の名が伝わった最果ての国だったのか

…・・・・・・・・ というわけでキリストの使徒、マタイ、フィリポ、トマス、シモンまでは、偶然ではなく、事実として含まれる気がしました。倭にはあらゆる宗教と思想と文化が混ぜ込まれていることを考えると、あっておかしくなさそう。 関連記事 ・南九州に旧約聖書的な記録が見つかるのは何故か ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・旧約聖書の登場人物をあらわす漢字と日本語 ・(日ユ同祖論)倭と伊蘇国に秘められた日ユ同祖論 人気ブログランキング

福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

…途中の靫(ゆき)は、ユーラシア大陸の途中の中継地点、国を起こしたのか、とどまったのかということです。弓矢や点々が、国に満ちた人の数を表しているでしょうね。 全ての人や動物が、右方向を向いているということは、左のエジプトが「西」であり、右の船着き場の到着地が「東」で、船着き場は倭の筑紫(福岡)の珍敷塚古墳のあたりなことを、意味していると読み取れますね。 前回は 鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 で、壁画のイクトゥスから古代天皇家…

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

…の豪族集団が、広大なユーラシア大陸を、西の端から東の端へ渡って移住してきたのであるというこの仮説は、このブログで当初からのテーマのひとつになってきました。 梶山古墳の壁画によっても、この仮設は証明されることです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ では壁画に何が書いてあるか、意味を解きたい欲求がスゴイですが、この梶山古墳の彩色壁画の解釈は、すでに5年前くらいに出していました。 △について ・卑弥呼を象徴する数字と三角形から導かれる「女王卑弥呼は天皇だった」 この記事で…

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

ユーラシア大陸諸民族が想像以上に、大きく倭へ影響を与えていると言っても、なかなか俄には信じられなかったりしますね。日本人は子供の頃から日本文化は日本固有で日本独自で唯一無二だと思い込まされてきましたし。 でも中央アジア、とくに中央アジアの烏孫の存在を匂わすヒントは、たしかに奈良盆地に残されていのですよ。 そして今回は、奈良盆地に「イシク湖」があった件について。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 大和湖(奈良湖) その昔、弥生時代の後期末期の頃まで、奈良盆…

侏儒(土蜘蛛)国から分かる卑弥呼の邪馬台国の場所

…の舞台は、個人的にはユーラシア大陸での天皇家の祖先の出来事と、日本列島での卑弥呼軍の東征をあわせているんだろうな、と考えますけど。それはさておき。 ここから重要なのは、この2つの書物の侏儒を結びつけたり、いろんな想起できるものを全部呼び出してみるということ。 ・神武天皇の出発地は九州の日向である ・卑弥呼(ひみこ)の名は日向(ひむか)ににている hi-m-k ・日向とは九州全域を指す名だった(肥前・肥後の元の名は健日向豊久士比泥別) ・女王国の本拠地は邪馬台国である ・神武天…

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

…を出すことで、舞台がユーラシア大陸の西方だったことを印象づけているようです。 具 ①そなわる・そなえる おぜんだてがそろう。⑤ともに バベルの塔は、「崩壊のお膳立てがそろった場所」なのですね。とするとバベルの塔の崩壊は、最初から決まってたんですね。 土 ①つち ⑦五行の一つ。方角では中央、色では黄色、時では夏の土用、味では甘、内臓では肝に当てる。⑧星の名、土星。⑩土盛りをして土地の神をまつったもの。⑪はかる[解字]土を盛った姿を描いた象形文字。 バベルの塔は中央に位置し、黄色…

神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます

…が弥生時代後期の頃、ユーラシア大陸東部のあたりにあった国。 沃沮 - Wikipedia 住人は扶余の別種だったとか。つまり言語も風習も扶余だったんですね。 沃沮は「肥沃を邪魔する」という意味になっていたり、なんか日本語の汚い意味の言葉が入っていたりしますが。 ちなみに扶余語と倭語が似てる件はこちら。 日本語は夫余語か 沃沮は元々は、「夫祖」といって、日本の異名である「扶桑」とそっくりだったんですよ。2つの理由があって、日本と扶余・沃沮は、無関係ではないですね。 これはともか…

古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ

…日本列島というのは、ユーラシア大陸の雛形であることを念頭に置きたいところです。 これは中央アジアまでの地図ですが、九州が中東に対応していました。 関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 A・中東での始まり シュメール→カナン(イスラエル)→エジプト→カナン→イスラエル王国→ユダ王国(アッシリア) 概ね、天皇家はこういう変遷を辿っているとかんがえられます。ちょうど旧約聖書のアブラハム~ヨセフ~モーセ~ダビデ~歴代ユダ王の経路に当てはまってい…

なぜ足は「あし」と言う?から思い付いた「人体用語」の起源2

…(倭)の間の胴体は、ユーラシア古代国家のどこなのかと。ヒントになったのは、北東アジア。 ・・・・・・・・・・・・・・・○いつも助かっております 結論から述べると「人体名称大陸古代国家説」 「人体名称大陸古代国家説」 倭人は自らのルーツを、人体の部位名として刻み残していたのですよ。 おそら弥生時代、卑弥呼と邪馬台国が倭を支配した頃に、日本語が作り変えられているでしょう。いつしか日本人は、この叡智を忘れ去ってしまったんですよ、俺の世界初の仮説ですが。 これいまからずっと前、30歳…

「古事記」大国主の物語のなかに仏教の八大地獄があるのか

…らく1世紀から4世紀までの間に、元々あった大国主の神話のなかに、仏教の八大地獄が取り入れられていることになるかもですが。その理由は関連記事で。 個人的には日本神話はユーラシア神話の寄せ集めで、日本列島では4世紀以降に一緒くたにまとめられたと見ているわけなのですが。真相はどうなのか。 関連記事 ・神武天皇紀になぜか仏陀と仏教の教えが登場する意味とは ・美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる ・中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話 人気ブログランキング

(日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた

…の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 日本と古代イスラエル・ユダの地域の王号が、リンクしてる話。 古代の君主号を見ることで分かる天皇と大和民族のルーツ ヤタガラスはユダガラスだった話 八咫烏は古代エジプトの「ホルス神」で「ユダガラス」だった? ユーラシア大陸東征の出来事が、日本列島に当てはめられて神武東征と呼ばれてるっていう話。 ユーラシア の検索結果 - たっちゃんの古代史とか まあこんな感じ。自分の中では。 人気ブログランキング

日本列島雛形論は4種類あると発想できたわけですが

…日本列島雛形論。 ・ユーラシア大陸=本州 ・アフリカ大陸=九州 ・アメリカ大陸=北海道 ・オーストラリア大陸=四国 今では多くの人が、同じように口にしてます。おそらく日本列島雛形論は出口王仁三郎が言い始めたことでしたが、卑弥呼の時代から同様の発想は、すでにあったのではないかと。 グーグル画像検索すると、いまではこんなに・・・ 日本列島雛形論 - Google 検索 2・ユーラシア大陸全体の古代国家・民族が日本列島に投影されてる これは 2001うそ発見の億のウソ道 こちらのサ…

卑弥呼は男装して出歩いてた・・・複数の記録に分断された卑弥呼

…きないので、ブログで先に書いてしまいました。。 ちなみに天の岩屋神話は、これもまた日本固有神話ではない様子で、ユーラシア大陸各地に天の岩屋神話同様の神話が伝わってるとか。ということは、日本神話の中にユーラシアの要素が入っていておかしくないことに。 これについては次回。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ついでに今日のイラスト。 なにも資料見ないで、下書き、ペン画、色つけで2時間かけた。 まぁこんなものではないかと。色つけは手抜きで。 人気ブログランキング

倭のヤーヌス

…なヤーヌスの顔だけが伝わったのか、という話ですが、たしか古代ローマのガラス玉が見つかっていたこともありましたし。日本語の中にギリシャ語っぽい言葉も紛れ込んでいるようですし。 倭人は単純な東アジア人文化圏だ」という固定観念は捨てたほうがいいかと。当ブログでもたびたび突っ込んでいるように、「実際古代日本の中からはユーラシア大陸文化の要素がいろいろ見つかってくるわけですし。 ブログ内でギリシャ関係の記事はこちら ギリシャ の検索結果 - たっちゃんの古代史とか 人気ブログランキング

なぜ日本語のデブ系語彙がヨーロッパ語と共通するのか

…る でも当ブログではユーラシア大陸の諸民族の言語が日本に入ってるらしいことを、逐一紹介してきました。 それでやっぱりデブも大陸から入り込んだんではないか・・・入り込んだ外来語なのではないかと思い、グーグル翻訳こんにゃくで調べてみました。 肥満をグーグル翻訳 西欧 ・英語 Obesty ・ドイツ語 Fettleibigkeit ・ラテン語 Obesitas ・ポルトガル語 Obesidade 東欧 ・ハンガリー語 elhízottság ・クロアチア語 gojaznost ・ル…

天照大神にはテュルク系の「雌狼伝説」の一面が含まれていた可能性をさらに探ってみる

…れたという神話自体はユーラシア大陸にあり、大陸由来の神話が取り入れられているものと考えることができます。 天照大神 大神=おほかみ 月読命 命=みこと 素戔嗚命 命=みこと 天照大神だけがなぜか大神なのですね。これ、実際のところ「天照命(あまてらすのみこと)」でも良かったはずなのに、なぜか天照だけは「おほかみ」と呼びたかったらしいです。 この点で「おほかみ」という「音」を重視していたんではないかという想像がつきますが。つまりこれは狼の関連を残すために。 天照大神の別名に「大日…

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

…ア。 この移動経路をユーラシア大陸に当てはめると、ぴったりと歴史的な国家・民族名、そして国家の形までもがあてはまるという仕組みでした。 これを基礎として踏まえてたわけでした。過去記事参照。 あらためて 日本の伊勢湾のあたりを考えてみることにした。2016年は伊勢サミットが行われることだし。 伊勢というのは言わずと知れて、伊勢神宮と呼ばれる日本人が昔から信仰してきた天照大神を祀る内宮、豊受大神を祀る外宮のある聖なる土地。 伊勢神宮の内宮は崇神天皇のころに移設場所の調査が行われは…

当ブログの人気記事ランキングの調査

…F0、G0 (7) ユーラシア大陸東部の粛慎(挹婁)は縄文人と同じ民族だった? 2015-01-19 HS9、HB0、F0、G0 (11) 史記の三神山(蓬莱山、方丈山、瀛洲山)は日本にあるのか。富士山の名の由来は方丈山だった? 2015-05-15 HS8、HB0、F1、G0 (11) 前方後円墳矢印説は完成している・第2回「仲姫命陵」 2014-11-10 HS8、HB0、F29、G0 (11) 「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た 2015-0…

神武東征は紀元前666年に出発し紀元前660年に完了したことになってるのは何故か

…に「塩土翁(塩椎神)=シオの土地の爺さん」がいて、「日本列島はユーラシアの雛形」になってることや、古代の日向国と大和国の地形からも見えてくるわけなのですが。 倭人の土器の線刻画から解ける日ユ同祖論 つまり想像すると、神武天皇の日本列島東征=大陸東征だったと。 神武天皇は畿内まで向かったが、関東までは達していないんです。このことは、 神武天皇は古代イスラエルから中央アジアまで向かったが、東アジアまでは到達してないことを意味してるのですよ。 過去記事を参照。 人気ブログランキング

天照大神は古代オリエントの太陽神の習合だったってことで

…ようになってました。ユーラシアに広まった太陽神の名前を比較してみると、 ミトラ M I T R A ミスラ M I S R A マイトレーヤ M I T R E ya ミトラス M I T R AS 天照大神 aM a Te R Asu 日本の天照大神は、もとはミトラだったことがわかる。 「あまてらす」は「アミトラス」だった。んでは。すると古代ローマの「ミトラス」は完全に一致。 ミスラ - Wikipedia ミトラは「太陽の神であり契約の神」って言われます。「日本書紀」で天…

日本の北に渦が3つ 何かの示唆?

…=渦が写ってるだけ。ユーラシア大陸には渦はないんですね。 この渦はユーラシア大陸から、北太平洋まで動いていったと。それが3つの渦だと、そう考えますよね。 でも実は、tenki.jpでみると、 この低気圧の渦は、南から北へ、北上してたんです。 左側の低気圧は、ヤフーやtenki.jpの気象衛星画像を見ても、渦を作ってない。 つまり本来は右側の渦だけのはずなのに、「3つの渦をねつ造してる」んですよ・・・ 世界中の企業は、広告など写真や文章で「何かを示唆する」傾向があるので、これも…

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

…上層部の指導者層にはユーラシア諸民族が多く、要するに倭人自体が単一民族ではなかったと思うんですが。そのへんは「日本書紀」を読んでもなんとなくわかってきますが。 一般に日本は「東アジアのちょっとだけ影響受けただけ」なんて言うのですが、実際はぜんぜん違ったんではないかと。 雅楽、猿楽、仏教、機織り、呉服、納豆、醤油、数々の野菜。いまでは日本的なものの代名詞になってる物、あらゆるものが古代のユーラシア奥地からきてるわけで。 物だけが海を超えて来たわけ、ないので・・・。 20世紀以降…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった4 境界線が語る日ユ同祖論と神武東征の真相 

…られてる」。 これがユーラシア大陸の雛形として機能してるんですね~。ユーラシア大陸における神武天皇と大和民族の移動経路みたいな。 これをあらわすために、倭人は日本列島に世界地図を当てはめた、と。 でも1つオカシイことがあり・・・ 「本当の日本雛形論」だと、イスラエルが日向国。 日本は関東の千葉県の総国(ふさ)と、安房(あわ)。 扶桑は日本の別名なので、日本列島の総(fusa)=アジアで言うところの扶桑(fuso) 安房(awa)=大和(owa)。 関東は東アジア 近畿は中央ア…

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった3 境界線で日ユ同祖論が事実だと証明できるかも

…天皇と大和民族というのはアチラのほうにいた集団が、ユーラシア大陸を横断してコチラに渡ってきていると。 神武東征の出発地点は、明らかに古代イスラエルが当てはめられているでせう。 そして従来は日本古来の倭人だとか言われてきた人々、とくに記紀の記録中で、「神武東征に付き従ってきた人」は、アチラ関係かもです。 ということで日ユ同祖論が進展してきました。 ちなみに神武天皇出発地にあたる日向国も、古代イスラエル・ユダ連合王国の形をしています。次回はこのへんについて。 人気ブログランキング

日本の境界線は適当に引かれたんじゃなかった。その1

…令制時代の境界線は、ユーラシア大陸の古代国家や民族分布に合わせて引いてあるという「気がしていた」わけなのです。それで 関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 みたいなことが関係してると思うのですが・・・。 不思議なのは飛騨と甲斐の関係 世界中に上空から見て分かる「地上絵」があるらしいです。 これは古代から「ナスカの地上絵」だとか、ブラジルの「アクレの地上絵」だとか。最近みた動画によると、南アフリカに「フェルヌークパンの地上絵」とかあるらし…

中国の奥地にもあった邪馬台

…にもあるのか。すでにユーラシア大陸全土の地名検索は行っていて、「やまと」の名に近い地名はいくつか見つけています。その点は電子書籍にも書いてましたが。 この四川省のあたりは、古代にどんな国や民族がいたかというと、羌族、南夷と呼ばれた氐、滇、夜郎、靡莫。のちに、蜀、チベットなど。 ちなみに氐、滇、夜郎、靡莫は、「漢書」によると「これらはみな頭髪を椎(つち)型に結いっていた」とか。両側に結ったならば、日本の「みずら」と似た感じでした。 槌 - Wikipedia 滇は倭と同じく蛇型…