たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

烏孫 の検索結果:

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2

…大和国(奈良県)が、烏孫に当てはめられている」と仮定すると、烏孫に対応する大和の石神神宮に布都御魂剣、大陸の関東に対応する日本列島の関東の鹿島神宮に布都御魂剣、2か所に置かれて繋がりを示してるということになるのです。 想像なんですけども「布都(fu-tu)」というのは本来、烏孫と高句麗を結びつける「匈奴(fun-t」のことなのではないかと。 孝元天皇の先代の孝霊天皇が太瓊(フトニ)=扶余・匈奴(フンナ・フンド)の名を持っているだけに、孝元天皇の御子に匈奴の名(布都)がついて…

古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 1

…の国家で族長のような役割だったかもしれませんが、最終的に日本に到達して天皇となっているので、移動中の世継ぎも天皇に数えられているんだと思われます。 ここまでは天皇家は「北から南」という移動経路でしたが、古代天皇諡号の情報は、これに留まりません。記紀では基本的には「西から東」であることが指摘されているんではないかと考えました。彼ら天皇家の移動集団が、東夷諸国を自在に移動できたのは、東夷の王族も天皇家も、共に烏孫の昆莫の子孫だったからと考えるのですが。 続く 人気ブログランキング

日本の別名からもわかる「日本の前衛国家は烏孫」

…、最近このブログでは烏孫が日本の起源であり、神武天皇は烏孫にいた、という話を頻繁にしてますが、これは本来電子書籍か出版社からの出版という形にする予定でした。でも当面の間は実現しそうにないのでブログで書き溜め、烏孫起源ホームページ(仮)にまとめようと思ってるところです。 これは多分いまの自分にとって、必要なことなのですよ。なんか巨大な何かに急かされているという気さえする。 ○いつも助かっております 天皇と大和民族が烏孫から来ているとする仮説 仮説としては1990年代の、加治木義…

【2022年修正版】古代の君主号を見ることで分かる天皇と大和民族のルーツ

…ie コモリ コモ 烏孫 昆莫 kuenmie クンミ クミ 周辺諸国に比べ、似通っている事がわかる。 これが上記の倭と烏孫の王族、そして契丹も含め、同じルーツを持つことの証拠の1つになる。 今後もかつては烏孫が日本の根幹だったこと、中東との密接な繋がりがあったことを、少しづつ明らかにしますので。 暇な時に、烏孫起源説のサイトを制作しています。ホームページビルダー使ってます。この画像は烏孫起源説のサイトに使う予定の画像。 まぁ今の日本人は、古代のことについて、まだ分かってない…

日本神話には大陸の出来事が習合されてる・・・(一問一答方式)

…0 それはさておき、烏孫起源説もマイナーな仮説ですね どんな世界でも、マイナーから這い上がっていくものではないですか。日月神示でも言ってるではないですか。「動かん富士の仕組、開けて渦巻く鳴門ぢゃ」。このブログでしつこく言ってきたように、烏孫とは神武天皇が本来居た場所です。日本の前衛的国家なのであり、烏孫は「ウズ=渦」なのであり、日本の冥土=鳴門なのですよ。日本=富士の仕組みを解き明かす鍵を握っている存在なのです。今後、烏孫起源説が無視できなくなるかもしれませんよ。 でもマイナ…

むかしむかしあるところに大国主命が3人以上いました~烏孫と出雲に居た大国主命~

…アジアにありました。烏孫、月氏、サカ、匈奴、バクトリア、などが日本のご先祖の国で、天皇家と日本民族の先祖も、元々あちらにいました。その後に烏孫から日本列島へ移住してきて、先住民、縄文系の人々と融合したと、そう考えられます。 ともかく大国主命が中央アジアにいたことを証明するひとつが、幸魂と奇魂なのではないかという想像なのですが。なぜかというと、 ・幸魂=サキ=Sa-Ki=サカ ・奇魂=クシ=Ku-Si=月氏 とすればです。 中央アジアにあった民族が、大国主の出雲の建国に関係して…

聖徳太子は中央アジアから来た・・・西突厥の王族だった?

…庫吉は、「阿史那氏は烏孫の後衛」であると考えていたとか。 つまり烏孫の後衛の西突厥の達頭が、日本へやってきて聖徳太子(厩戸皇子)になったと、いうことがこれらの著書から導き出されました。 そして栗本慎一郎氏は、天皇は烏孫があったセミレチアから来ていると言っていますし、もっと遡るとメソポタミアに遡りうると指摘していますが。 天皇と大和民族の先祖は、中央アジアの付近から来ているという認識の学者の著書はいくつもあるのでした。古代の天皇や聖徳太子が中央アジアから来たと主張していると、そ…

2022年改訂版 日本語の数詞「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお・・・」得体の知れない何か

…陸の奥地に見つかる 天皇家は確かに騎馬民族系だった・・・下巻の内容 日本語は夫余語か 日本古来の神宝は、煙と雲と奇跡を起こす 倭国の本拠地の変遷(推定) 正座は日本固有文化じゃなかった 日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 最近の記事を並べてみましたが、こうしたユーラシア大陸に大和民族の根源が存在しているという過去の記事と、合わせて考えると、日本語の数詞の起源が大陸という発想はあってしかるべきでした。。 人気ブログランキング

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏 2022年改訂版

…移住すると、隣にいた烏孫は月氏の後をおいかけてキルギスの土地へ入りました。 大月氏は烏孫に攻められて嫌がって、さらに西のバクトリアの地へ向かい安住の地としました。これが大月氏。一方で敦煌の付近に残ったものが小月氏。 これ以降、烏孫はいまのキルギスの土地に本拠を構えるようになりました。 (3)烏孫の土地には、4世紀以降から、「弓月国」という名が現れます。これは日ユ同祖論ではユダヤ人の国であり、これが仲哀天皇、応神天皇の時に来日した秦氏であると言います。 実際むかしの書物「日本書…

蜂子皇子から知る、蘇我氏=サカ人仮説(1)

…アジアのセミレチア(烏孫)から草原のシルクロードを通って倭へ入ってきた天皇家。中央アジアのサカが渡来し蘇我氏となった。クルガンと古墳の相似。彼らが作った中央アジア的な飛鳥の遺跡・・・中央アジアと日本で共通する聖方位の宮殿・・・。 天皇家と日本民族(の一部)は、中央アジアから来たのではないかと思わせる文物が残っていますが、普通に見ただけではちょっと分かりにくいのです。しかしそうした示唆があらゆるところに散在しています。その一つを明らかとします。 ○いつも助かっております 蜂子皇…

倭国の本拠地の変遷(推定)2022年改訂版

…、個人的には、根幹は烏孫と思うのですが。ということは、、まあ、そのへんはいずれ。 まとめておこう あちこち脇道に逸れて長くなって、何を言わんとするか目的を忘れてましたが、以上の倭国の情報を、時系列に並べてみると、 (A)・紀元前1世紀以前、(武帝が朝鮮を滅ぼす以前)、倭は100余国あり、燕に属す (B)・紀元前1世紀(武帝が朝鮮を滅ぼした後)、倭は30許国になった (C)・西暦57年当時の、倭国の最南端は福岡の奴国(委奴国)、本拠は朝鮮半島南部 (D)・西暦160~180年代…

日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった 2022年改訂版

…そり完成(下旬)4・烏孫起源論の第一報こっそり電子書籍化(下旬)まぁ、闇の組織の陰謀によって、負のオーラに包まれた人生だったので、その反動を利用して、今後もこれでもかと、キンドルで電子書籍化してしまいます。妨害されても馬鹿にされても、とにかく俺にはこの道しかありませんのでね。 (2022年追記。目標を立てても思いどおりに行かないものと、つくづく・・・) ○いつも助かっております 蝦夷の正体が匈奴だったかも 日本武尊(やまとたけるのみこと)の頃、東日本に居たと記録のある蝦夷の正…

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

…す 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 実は烏孫と日本の歴史は、似たところがある とかなんとか言ってると、トンデモ仮説扱いされてしまうところです。 しかし、これについてまじめに研究した本が既にあるのです。栗本氏の本「シルクロードの経済人類学」。 この本では、天皇と大和民族の烏孫起源を述べてますが、具体的に日本神話のどの神や人物が日本に関係するか、述べられてたかどうか、ど忘れして記憶にな…

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

…す 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 1の続き 実は「烏孫に天皇と大和民族のルーツがあるんだぞ」という研究は既にあって、著書がでております。 栗本氏の『シルクロードの経済人類学』だとか、加治木氏の『真説日本誕生・建国前夜の巨大連邦発見』にあるのでチェックしてみてください。 他に「烏孫だぞ」を主張してる作家は見付けて無いんですが、日本人の中央アジア起源説といったもの自体は、明治の昔から…

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

…す 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 前略・・・ 烏孫起源論は、出版社からぜひ本になってほしいと希望を持っているので、賛同されるかた、推薦お願いいたします(汗)。 天皇と大和民族の烏孫起源論を、ほんのちょっとだけ、紹介します。 2013年に一度、某出版社に見て頂いたのですが、いったんお蔵入りとなっていました。 下の図は、九州と近畿の地名の一致を表したものです。この発端は安本美典氏の著…

美豆良(みずら)の謎から解く日本人のルーツ

…あたりは高車、突厥、烏孫、エフタルなどが入り乱れてた地域だったので、断定はできませんですね・・・。右は日本の人形塚古墳と島田一号墳からみつかった倭人の埴輪。完全に一致? (画像引用サイト ハニワな日、Glich news) 次は古代のチベット人のご先祖様。 これは520年代の中国梁朝の頃に描かれた「蕭繹職貢図」の、鄧至(とうし)の使節を描いたもので、ウィキペディアから引用した画像です。 鄧至は羌族だからチベット人のご先祖の一種ということにもなりそうですが。見事な美豆良が見えま…

古代の諸国の君主号と、倭の大王に良く似た君主号を持つ国 2022年改訂版

…されます。 「天皇族烏孫起源説」 これは調べたことがある人は、あまりいないのではないかと思います。いずれまとめますが、さわり程度だけお話ます。 烏孫は紀元前に中央アジアにあった遊牧騎馬民族国家でした。超大国の匈奴に従属していた西域の小国でしたが、前漢の時代にはやがて強大な力を持ち、中国とも深く交流していました。 文化的には匈奴と同じようなものだったようですが、人種は全く異なり、イラン系の白色人種だったようです。烏孫があった土地は現在のキルギス・カザフスタン・中国の新疆ウイグル…