たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

ユーラシア の検索結果:

2022年改訂版 日本語の数詞「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお・・・」得体の知れない何か

…神にあると思った件 ユーラシア大陸東部の粛慎(挹婁)は縄文人と同じ民族だった? 倭の銅鏡から導き出した古代エジプト風味 美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる 天皇家は確かに騎馬民族系だった・・・下巻の内容 日本語は夫余語か 日本古来の神宝は、煙と雲と奇跡を起こす 倭国の本拠地の変遷(推定) 正座は日本固有文化じゃなかった 日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ 最近の記事を並べてみましたが、こうしたユーラシア…

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏 2022年改訂版

…)紀元前3世紀から、ユーラシア大陸の匈奴の南~南西に、月氏がありました。 月氏は現在の中国の敦煌のあたりに拠点を構え、当初は匈奴を圧迫する力を持っていました。 月氏はイラン系コーカソイド(白人種)が起源であると言われていますが、アジアに来たので、民族的にはモンゴロイドと入り混じっていました。 つまり月氏は、中東→タリム盆地→敦煌と、西から東へはるばる移ってきていたのでした。 (2)匈奴の圧迫を受けて、月氏のうち大月氏の勢力がキルギスへと移住すると、隣にいた烏孫は月氏の後をおい…

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(1)」 匈奴は来た

…狼を始祖とする民族はユーラシア大陸全体に広く分布する」 3「犬戎(中国西北の異民族)は黄帝の子孫の雌雄の白犬で、赤髭、白い肌、 黄金の目だという。犬戎の身体的特徴は白人系だった」 4「狗奴国はその国名からして明らかに犬祖伝説を背負っていた」 5「倭国には国の名に奴のつく国が奴国、狗奴国以外に、弥奴国、姐奴国、蘇奴国、華奴蘇奴国、鬼奴国、烏奴国と六ヶ国もある。この奴は私は匈奴の奴からきていると思う」 まぁこんなところ。 小林氏の言うように、「奴(な・ぬ)」が匈奴系地名だったとす…

ウズベク語と日本語は似てるというド素人研究

…トロネシア語族より、ユーラシア遠方の言語のほうが日本語に近いと思いますが。 以前にまとめた記事 ・日本語は夫余語か ・日本語のまじない(majinai)と、英語のmagicの語源は同じ? ・トルコ語と日本語は似てるとか 日本の歴史は日本人が思い込んでいるような、「大陸民族の影響は微々たる程度」では無いと感じるのは、気のせいではないです。 もっと根源的、主要なところが、紀元前~飛鳥・奈良時代にかけて、ユーラシア大陸奥地から、日本列島に渡って来ているはずです。 人気ブログランキン…

ユーラシア大陸東部の粛慎(挹婁)は縄文人と同じ民族だった?

… 粛慎があったのは、ユーラシア大陸の日本海に面した土地。 現在はロシアのプリモルスキー(沿海州)、中国の黒竜江省の付近。ウスリー川とアムール川が流れ、ハンカ湖のある平野部と、その周囲の森林に覆われた山岳地帯を本拠としたようです。 紀元前1世紀頃の粛慎の位置(ウィキペディアより) 初登場は、中国最古の王朝「夏」(実在か未確定)より以前の、三皇五帝の舜の時代のことだそう。 これは黄河文明だとか長江文明の時代で、紀元前14,000年~紀元前2,000年ころのことだという。本当ならば…

埼玉県東部=ちょっと凄目のパワースポット説

…北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に位置する大地溝帯。新潟、長野、群馬、埼玉、東京、山梨、静岡の付近の地下深くにあります。日本人はあまり意識しませんが、このフォッサマグナに沿って、白根山、浅間山、富士山、箱根山といった大火山が南北に列を成し、越後山地と関東山地が隆起しているのです。 一方で中央構造線は九州から関東まで、日本列島を東西に貫く大断層で、一部は活断層だそうな。この中央構造線に沿って、四国の吉野川、和歌山の吉野川、長野の天竜川、関東の利根川など大きな川が流れ…

美豆良(みずら)の正体はユーラシア大陸の奥地に見つかる

…うのは、実は紀元前のユーラシア大陸に存在していました。 これはユーラシアのみずら状髪型の図 美豆良の謎から解く日本人のルーツを参照してください。 みずら状髪型の年代を追っていくと、最も古いのは中央アジアのアーリア人であると見られました。紀元前1500年頃のみずら状髪型の人形が見つかってます。 ユダヤ人(古代イスラエル人)のペイオトというみずら状の髪型について調べたところ、旧約聖書のモーセ五書のレビ記に、ペイオトの髪型が登場しています。モーセは紀元前13世紀頃の人物であるとされ…

天皇家は確かに騎馬民族系だった・・・下巻の内容

…グーグルマップ上で、ユーラシア大陸の地名を全検索した結果、導かれたものです。 中国の東北部の満州地域に、特に「やまと」という地名が集中している様子を見ることができます。 この地域は、古代の扶余・高句麗を中心とした、騎馬民族系住民の居住地となります。 「やまと」は、古くは天皇と大和民族が居住し、天皇の首都が置かれた地域でなければ、ありえない地名であるのですが。 こうした地名が、とくに扶余に集中していた事実が判明しています。 さらに記紀の中には、「天皇家が扶余・高句麗から日本列島…

日本語は夫余語か

…系言語を用いた国は、ユーラシア大陸東部の東夷族のなかに多くあって、夫余、高句麗、濊、東沃沮、庫莫奚、契丹、室韋、豆莫婁といった諸国が、同一言語だったと、中国の記録から読み取れます。 しかしウィキペディアの高句麗語)を見ると、どうしても日本語と高句麗語(夫余語)はそっくりでした。 以上の東夷諸国に倭が含まれるようなのです。だから、倭が「魏志東夷伝」に含まれてたのか~と関心してしまうわけなのですけど。 で、上記のリンクの表から日本語と高句麗語だけを抜き出し簡素化したのが以下の表。…

日本の野菜は殆ど外国原産だったんですよ 2022年改訂版

…とんどの野菜は、昔、ユーラシア大陸や南米大陸から伝来した外来種だとか。 最近国内では特定外来生物駆除に躍起になっているし、アメリカや豪州では、船舶のバラスト水に乗って日本のワカメが伝来して問題視してるという。増えるワカメちゃん現象だ。 しかし古代から人間や自然の働きによって、動植物は一箇所から世界に散らばった結果、現在の自然界の植物相が出来ているのでした。 そして各種野菜の原産地、それに伝来年代を調べると、その野菜が大陸のどんな民族と一緒に来ているか、ある程度見えてくる気がす…

日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった 2022年改訂版

…前から3世紀頃まで、ユーラシア大陸のモンゴル平原を中心とした地域で繁栄した、遊牧騎馬民族国家でした。匈奴は2世紀から5世紀にかけて衰退の一途を辿りましたが。 北匈奴は西へ向かって、欧州を荒らしまわるフン族になり、これによって5世紀のゲルマン民族の大移動が起きたのでした。 南匈奴は後漢に寄り添って生き延びたものの、やがては群雄割拠の中国大陸の諸勢力に飲み込まれ、一見しては消失してしまうのでした。 5世紀に中央アジアで白匈奴(エフタル)が出現しますが、歴史上で6世紀頃には、中国大…

美豆良(みずら)の謎から解く日本人のルーツ

…の一つだとか。 日ユ同祖論はスタート地点のイスラエルと、ゴール地点の日本だけに注目してしまう傾向にあると思われるので、こうした中継地点について、もっと研究して欲しいです。 髪型が一致しただけで、倭人のルーツがユーラシアの遠方の民族と言い切るのはどうか? たぶん日本のプロ・アマの古代史研究者はみんなそう思いますが、遺伝子と古代の髪型という2つの要素が合っている、少なくとも日本とチベットで確認できるという点は無視できないんではと素人ながら思います。 おわり。 人気ブログランキング

古代の諸国の君主号と、倭の大王に良く似た君主号を持つ国 2022年改訂版

…きます。 「日本民族ユーラシア諸民族起源説」 日本人の起源はどこにあるのか。 その点について魏志倭人伝では、倭人の出自は中国の呉であり、文化的には儋耳・朱崖(海南島)に近いとあり、やはり南越人、呉人が元であると指摘があります。 このあたりは魏志倭人伝にもあるし、別に反論する人はあまり居なそうです。 また西域・中央アジア・中東などシルクロードの諸民族が日本人の起源であると提唱しているのが久慈さんで、著書に「シルクロード渡来人が建国した日本」があります。 故・江上波夫さんの騎馬民…

檀君神話と匈奴1

…類婚のメッカなると、ユーラシア北方になるようです。 モンゴルやシベリアの民族の持っている、雑食系大型哺乳類とヒトとの異類婚伝承が、何処に端を発しているか。 というと騎馬遊牧民族である、「匈奴系騎馬民族」なのではないかと思うのですが。 そうするとシベリアの部族が「人種は違うにしても、テュルク系の言語的・文化的な特徴を持っている」のは、かつて匈奴の傘下にあったからということになるんだと思います。 匈奴とは元はテュルク系または西アジアのコーカソイドに近かったのではないかと思われます…

保食神(大宜都比売)はユーラシア大陸の神1

…小豆」、日本書紀では「稲・麦・粟・稗・豆」とされてきました。 記・紀の成立した8世紀序盤の時点では、五穀は日本に成立していました。 保食神(大宜都比売)とは、奈良時代以前から存在した、原始的食文化と第一次産業・第二次産業を象徴している、日本固有の神であると、外見だけ見れば確かにそう思えます。 しかし実はこの保食神、日本の神様ではなく、ユーラシア大陸で生まれ、記・紀完成の直前に日本に導入され完成した渡来神なのです。 次回はその理由を説明します。 2に続く。 人気ブログランキング

景行天皇と日本武尊は4世紀の人物であるし、日本書紀には4世紀のお馬さんが登場しました1

…の古墳や遺跡からは、ユーラシア大陸の騎馬民族の用いた馬具や装飾品と同一、もしくはよく似たものが出土する ・倭人の埋葬方式、殉死と埴輪は、騎馬民族の風習と同一、もしくはよく似ている ・天皇家の行事や風習が騎馬民族のものと同一、もしくはよく似ている ・日本の神話はユーラシア大陸諸民族の神話と似ているものがある ・天皇家は扶余系の騎馬民族の王家であり、崇神天皇は任那から海を超えて九州へ上陸した天皇である ・応神天皇は神武東征のモデルとなった、畿内への東征を果たした天皇である 内容は…

ユーラシア大陸から東漸した大和民族

…てより、大和民族とはユーラシア大陸の奥地の天皇氏に始まり、天皇を中心として民族の融合と東漸、首都の東遷を繰り返し、大陸から数百年の年月をかけて徐々に日本列島へと移住した、天皇氏族と付き従う氏族の集合体であると考えてきました。 でも天皇が大陸にいたと言っても、日本の天皇氏と豪族が、渡来人だったとか外国人だったという意味ではないんです。 ヤマトという民族集合体は、元々ユーラシア大陸にあり、国と民族ごとそっくり大陸を転々と移動してきた、「移動式国家」だったと考えているのです。 です…

中国東北部・倭人に関わる重要な地名

…が出来たなら?広大なユーラシア大陸の極めて狭い範囲に、意義深い同一地名が集中している地域があったとすれば、それは偶然の一致を越えた繋がりのほうを考えてみるべきだと思います。 これまでに、ユーラシア大陸の地名の全検索を幾度か繰り返し行なってきました。全検索というのは、地図上の隅から隅まで、人口数十人のほんの小さな村、大字、小字、と言われるような極小の範囲まで、知りうる限りの全部の地名を、縦横に検索していくという途方も無い手法です。時間と余剰エネルギーがないと出来ないし、フラスト…

淤能碁呂島、天御柱、八尋殿1(旧約聖書と、古事記の記述の奇妙な符合点について)2022年改訂版

…おります 日本神話とユーラシア個人的に日本神話とは、古代ユーラシア大陸各地に居住した諸国家・諸民族・諸氏部族らの神話と伝承が形を変え、日本列島の先住縄文人の伝承と混ざり合っているのであると考えていました。 それでシルクロードを通じて東西の文化交流が重ねられることで、西側の叡智はいつしか日本列島へたどり着き、聖書の記述が記紀に含まれてしまったとしても、決しておかしくはないと思ってました。 当然、それを事実であると示すためには、核心的ないくつかの納得するに十分な論拠、確証が必要不…

古代皇族の殉死と埴輪のこと。2

…から3世紀にかけて、ユーラシア大陸の西から東まで数珠つなぎに隣接し合う騎馬民族や遊牧民族同士が、互いの影響を与え合い、またときには征服や融合を繰り返しながら、その民俗文化風習の流れは徐々に緩やかに、東アジアの最果ての日本列島まで到達したんだとおもわれるのです。日本列島の数万基もある数多の古墳からは、未だに殉死の証拠となるような、大勢の遺体の埋められた古墳は見つかっていないようなので、日本書紀の殉死の記述が完全に正しいかどうかは、今後の出現期古墳の新たな調査結果にかかっています…

古代皇族の殉死と埴輪のこと。1

…きと提言したということならば、話は合いそうです。ところでこの殉死という恐ろしい風習。実は倭国独自の風習ではありませんでした。江上波夫氏の著書「騎馬民族国家」のなかに詳しいのですが、これは騎馬民族的風習で、つまり北東アジアでいうと高句麗や扶余の王が亡くなった際に行われるものだそうです。 それで、その殉死はさらに、北東アジアで始まったものでもなく、日本からユーラシア大陸を遙か西に7000kmも横断した先の、東ヨーロッパ、黒海北岸域のスキタイが起源であるということでした。2に続く。