ネットの情報を見ていると縄文海進についての話題も色々出てくるのですが、低学歴なりに気になりました。
通説では縄文海進は地球が温暖な時期、いまより海水面が平均2~4m程度、あるいは5mほども上昇していたという話。
その海進は弥生時代以降も続いていて、平安時代ですら今より1~2m高く、茨城や千葉の霞ヶ浦は太平洋と繋がって香取海になってたりしました。
一方でググってみると、
縄文海進は+50~60mで、今より海抜は60m高かったとか書いているブログやサイトが普通にあったりします。
60mっていうと、関東平野は北関東まで含めて完全に水没してます。ノアの方舟が必要なレベルです。
その差は10倍以上。
縄文海進
・通説 2~4m、5m
・50m~60m説
こんな大差がつくのは、どっちかがオカシイとしか言えないっす。通説を出しているのは自治体とか、論文かいてる学者みたいな人々っす。
片や60m説を出しているのはアマチュア研究者の方々っす。本まで出ちゃっているので本当なのではないかと悩まされたりもします。
果たしてどっちが正しいのだろうかと、気になってきたので調べました。
調査方法
調査の手順は、とても簡単なのです。
1・海沿いの縄文遺跡の有名所を、グーグルマップで検索。
2・その縄文遺跡の標高を、地理院地図で確認する。
3・幾つか繰り返す
GPSをつかった標高アプリでもわかりますが、地理院地図の標高はかなり正確です。2~4m説の人、60m説の人、双方とも不満はないのではと考えられます。
地理院地図はカーソルをあわせるだけで標高が表示される仕組みなので、研究にはもってこいです。
これが地理院地図のマップです。画面はじっこに標高がでます。ちょっと使う程度なら著作権には問題ないらしい。
では結果。
縄文時代の海沿いの遺跡の標高例
佐賀 菜畑遺跡 標高7.5m
佐賀 東名遺跡 標高4.5m
大阪 池上曽根遺跡 標高9.7m
大阪 森之宮遺跡 標高7.3m
愛知 吉胡貝塚 標高5~17m
愛知 大曲輪貝塚 標高6m
東京 大森貝塚 標高12.9m
東京 伊興遺跡 標高3.8m
東京 中里貝塚 標高5.7m
埼玉 大戸貝塚 標高13.8m
埼玉 城山貝塚 標高8.3m
千葉 余山貝塚 標高6.3m
青森 三内丸山遺跡 標高15m
というわけで縄文遺跡の有名所も含め、かなり標高の低い海のそばに、住居が作られていました。低い処では標高3m台の場所から、縄文遺跡があったりします。
フロードマップの活用
これは地理院地図で確認すればわかりますが、さらに海水面の高さを想定できる、「Flood Maps」を使うとわかりやすくなります。
+50mまで海抜を上げた場合
フロードマップで縄文海進の+50m説を再現すると、縄文時代前期~末期までの縄文遺跡は、全て海中に没してしまうレベルです。
そもそも東京23区の平野部のうち、隅田川より東の「川の手」は0メートル地帯も含み標高は1~2m程度しかない低地帯なんですよね。山手線が通っている高台の「山の手」でも、標高5~20m台しかない。
その上で、東京の標高3~15mまでの低地帯にも、前期~晩期までの縄文遺跡が見られるのだから、縄文海進が+50mとか+60mだったという話は、明らかに無理のある印象でした。
ではフロードマップを、海抜+5mにしてみるとどうか。
という感じで、海水面の高さは当時の海岸線に沿ったものになりました。無理なく無駄なく、スッポリとハマっている感じがしました。
「縄文海進が+50mじゃ、縄文時代に竪穴式住居や貝塚、つくれないじゃん」
というわけで、50mとかいう説は、自分の中では消えました。
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