たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

酒船石は「サカ匈奴石」な証拠

 

酒船石。

飛鳥時代にできたとか。あるいはそれ以前か?という。

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ネットの写真や測量図など元に写しとってみました。

画像 : 遺跡【酒船石】奇妙なデザインに隠された謎 - NAVER まとめ

第五回定例会 両槻宮をめぐる諸問題

このへんから。

これ、いろんな説があるんですが、生命の樹だとか、上にあるサイトだと笹船石だとかいう人がいます。ホントの所は、今のところ分かってないのです。

 

○いつも助かっております

 

 

 

はっきり言うと「サカ匈奴石」

 

それで、実際のところは、想像力によって見てきたように言いますけど、

はっきり言うと「サカ匈奴石」でしたが・・・。

 

酒船石の要点をまとめると、

・サカはサカ(塞)のことで、船というのは匈奴(huna)に通じる発音

・酒船石は東西南北にピッタリ合わせられてるとか

・奈良は大陸のシルクロードの終着地

・サカフナと言ってる以上は、サカと匈奴が主役

 

つまりこれは、「ユーラシア大陸の地図」なんだろうということで。

 

いつの間にか匈奴を「きょうど」としか読まなくなってしまった日本人は、すっかり酒船石の意味がわかんなくなっていたと言えます。 

いつ頃の地図かというのは、サカフナと言ってサカと匈奴を主役にしている以上は、サカと匈奴の全盛期のころじゃないと、おかしいということになり。

つまり紀元前から西暦2世紀頃までの地図なんじゃないかと・・・。

 

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これはひとつの案です。国名は、違ってるかもしれません。

サカの部分がメソポタミアティグリス川・ユーフラテス川の平地の地形にも見えるんですけど。

するともう一つの案はこれ。

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サカは元々スキタイであり、スキタイというのが中東のメソポタミアの北部あたりから東へ向かって、サカになってるわけなので。

サカは東の匈奴に入り込んだわけなので。

 

サカフナ石と言ってる以上は、サカと匈奴が主役であるとしたら、左端の先端の水たまりがサカで、一番大きいのが匈奴

東西軸が正確であるし、右端の水たまりは右側に分岐を作ってませんね。つまり右端が極東を表すなら、倭でしかありえませんね。

ということは酒船石とは、大陸から日本列島への民族の移動を表すものではないかと。いうことなのですが。

 

飛鳥といえば盂蘭盆会ですが、これ、古代イランのゾロアスター拝火教が起源なんですけど。サカはゾロアスターの民族だったわけなので。

盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」(ullambana)の音写語で、古くは「烏藍婆拏」(『玄応音義』)、「烏藍婆那」と音写された[1][2]。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味である。

近年、古代イランの言葉(アヴェスター語)で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている[2]サンスクリットという言語がアヴェスター語と同じく印欧語族インド・イラン語派に属するという事から考えると、可能性は比較的高い。

盂蘭盆 - Wikipedia

 

日本人は、わーいお盆だお~盆だ~とかいって、毎年交通渋滞起こして事故ってますけど、古代イランのゾロアスターの信仰がお盆だってことなので。スピードの出しすぎには十分注意してください。

お盆とは盂蘭盆で、古代イラン語で、霊魂という意味だそうなので、そうするとお盆の意味が霊魂なのかとしっくりくるではないですか。

 

日本では、この「盂蘭盆会」を「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。

推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日と7月15日にを設けるとあり、また斉明天皇3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、同5年7月15日(659年8月8日)には京内諸寺で『盂蘭盆経』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇天平5年(733年)7月には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。

盂蘭盆 - Wikipedia

昔のイラン人も頑張りました。

そうすると酒船石で示されたようなみたいな民族の流れがあって然るべきではないですか。否定する必要性は本来無いんですけど、遺伝子がーとか、遠すぎるーとか騎馬民族来てるわけないだろーという決めつけてしまった理屈を優先させて、否定するんですよね。嘆かわしい。

まあ中国内陸部の夜空を写しとった天文図が、キトラ古墳の天井壁画であるではないですか。つまり大陸の地図もあっておかしくなかったわけで。

奈良だけ、日本だけで考えてはいけないのではないかと・・・。

 

 酒船石というのは、大和民族の先祖の一翼をになう、サカ人・匈奴人の目線で民族移動の地図を造ったものだったというわけなのでした。

使用方法としては、この酒船石を大陸の雛形として機能させてたわけで、水を流して先祖の土地に水に乗せた思いを届かせて、供養したんでせう。水は世界に繋がってるわけなので。それでこそ、飛鳥の土地で天皇大和民族による、古代イランのゾロアスター教盂蘭盆会が行われた意味を成しているように思われました。

 

で、飛鳥の酒船石遺跡には亀形石造物と湧水施設っていうのもあるのですが、これも同じことなんですよね。亀形石造物と湧水施設のほうが、実は烏孫に深く関係してました。

続く。

 

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