日本列島の別名である葦原の中つ国について、あまり知られてない情報があったので、少し述べておきます。
○いつも助かっております
古事記と日本の神々
ダメ人間の見本市として、恥を晒して過ごしてきました。15年ほど前、近所の子供に「何もできない人」「まるでダメ男」などと呼ばれたことを覚えていますが、ここ数年はちょっと変わったかもしれませんが・・・。
ところで今年の6月は自分自身で、「全てを変える月」として位置づけて行動を始めました。4泊5日の旅行、必要機器の購入、男としての仕事をこなすなど。今まで敬遠していたことを色々進めてみました。
仕事面では、現在の少量の仕事に加えて、別の仕事も模索します。勿論在宅ワークで。今までの仕事はちょっと自分に向いてなくて、疲れ果てて収入が伸ばせず大変だったんですが。今後は苦労を減らしていく方向にします。そして7~8月頃までに、移住も完了してればいいなということで。
葦原の中つ国について、あまり知られない情報。学研の「古事記と日本の神々」(吉田邦博著)という、古事記についての情報が充実している本があるのです。
この本のP79にこんな絵図があります。
これは、葦原中国の様子を描いたものだとか。「神代正語常磐草」という書物にある絵図だとか。☓印になっている黒い部分は海で、その周囲の白い部分が陸地という。なんか変ですね。
「神代正語常磐草」といえば、2014年の記事に「日本神話に秘められた宇宙構造論」でも登場してましたが。
葦原の中つ国というのは日本列島の筈なのですが、これはなにか日本列島ではないみたいな地形が描かれている様子。これだけだと、葦原の中つ国の様子が逆によく分からなくなってしまいます。
行基図
というのは知られてますが。
この行基図は奈良時代の西暦805年以前の段階で、行基によって完成していますた。
古事記が完成を見たのは712年のこと。古事記が完成した頃、すでに日本全国の律令国名と国境線は完成していたので、おそらく古事記の時代にも、知識人の間では行基図のような地図の概念は存在してたと見られます。
「神代正語常磐草」の葦原の中つ国の絵図と、行基図を照らしあわせてみてください。
行基図の中に、「神代正語常磐草」の葦原の中つ国の絵図が当てはまる場所が、全く無いではありませぬか。これがもっともおかしく感じられるところです。
なぞとき
しかしこの学研の本には、もう一つ似た絵が掲載されていて、それが謎を解くヒントになりました。P45の絵図がこちら。
こちらのほうがわかりやすく、漢字の解説が入っています。どうやら海の四方の4つの陸地のうち、一つだけが日の本(日本)である様子。
その他の3つの陸地は「外玉」と呼ばれていました。要するにこの葦原の中つ国の絵図は、「日本列島+日本列島以外の倭人居住地」を示している可能性が見えてきました。
するとこんな感じなのかも。
下側の外玉は中国大陸(弥生人の故地の一つ、呉人・越人が居た場所)
こう考えるとしっくり来るような気がします。
日本列島の倭人居住地と、倭人が居住したアジアの地域3つの外玉の全て含めて、葦原の中つ国という解釈がされていたようです。
これが事実ならば、「日本神話と大和民族は日本列島だけの存在」という旧来の考え方を、改めていくべきなのは当然の話です。
そして下側の外玉(中国大陸)の果てに黄泉が繋がっているのは、イザナギ・イザナミの神話の根源が大陸の果てにあることを表しているかのようです。
過去記事を探ってみれば、その舞台がどこなのかは自ずと判明することになりますが。
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