たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(2)耳成山編

(1)関東の天香具山編 2014年12月28日 

(2)関東の耳成山

(3)関東の畝傍山

(4)関東の大和三山の結論

 

○いつも助かっております

 

 

 

耳成山と書いて、「みみなし山」

 

耳なしと言えば、「耳なし芳一」が思い起こされますけど。

小泉八雲の『怪談』にもあるとか。

耳なし芳一の話

阿弥陀寺に、平家物語の弾き語りが得意な、芳一という琵琶法師がいました。ある日芳一の元に、武士の怨霊が現れ、平家の怨霊(鬼火)が集まった墓場に法一を連れて行って、弾き語りをさせるようになりました。それを知った寺の和尚は、このままでは芳一が怨霊に殺されると案じて、芳一を平家の怨霊から引き離そうとしますが、和尚は大事な法要があるし、芳一が怨霊を連れて歩きまわっても困ります。そこで芳一の全身にお経を書いて、芳一の姿が怨霊の目には見えないようにしました。和尚は芳一に、怨霊に話しかけられても答えないようにと念を押して出かけていきました。さて1人になった芳一のところに、いつものように怨霊がやってきましたが、芳一の姿が見えません。しかしお経を書き忘れた耳だけは、怨霊の目にも見えていました。怨霊は芳一の耳を引きちぎって去って行きました。芳一は怨霊に開放され、この話が世間に広まって「耳なし芳一」と呼ばれるようになります。琵琶の腕前も上達して、芳一は何不自由なく暮らしたのでした。めでたしめでたし。

 

この昔話に登場する山口県下関市の旧阿弥陀寺は、現在は赤間神宮となっています。

境内に芳一堂というお堂があって、耳なし芳一が祀られているとか。詳しくは耳なし芳一でどうぞ。 

 

意地悪な方々は、俺にとっては平家の怨霊みたいなものであります。怨念がおんねん。魂がけたたましい。耳なし芳一のように姿が見えなくなって、良い結果になりたいであります。

今年は深い訳で、明けましておめでとうが言えません。

 

あ、新年2015年早々の、1月1日深夜01:11。男子学生が自宅前で「ギャー」と吠えた。近隣の高校生でせう。深夜の「ギャーミッション」で、お小遣いはいくら貰えるのか。

暴走族も県道2号付近で元日暴走してる。房総半島のことを書いたので暴走してるのか。全国で神社の放火が相次ぐ。日本の魂の破壊が進んでいる。魂がけたまましい。

ところで、過去の国会中継の動画を見ていると、政治家は、嫌(イヤ)なことを聞くと耳(イヤー)を触るみたいなんですが・・・。そうした隠語とかサブリミナルメッセージといったものが多用される日本。

 

さて前回までの、関東の三輪山、関東の天香具山(あめのかぐやま)の記事に次いで、関東地方に大和三山耳成山を見つけて参ります。 

まず耳成山とは、耳と成を含んでいるので、当然ながら耳と成の付く山を探してみる。すると関東地方には僅かに存在すると判明。まずは

 

・耳二ッ山

群馬県の南部、関東山地の横たわる藤岡市上日野にある山。標高650メートル。耳二ッ山の山域は、ゴルフ場になっているようです。

すぐ近くには野々宮神社あり。この神社を調べると、同じ名の神社が埼玉県日高市にあります。どうやら日高市の野々宮神社の総本社は、京都市右京区嵯峨野の野宮神社であるとか。嵯峨野の野宮神社の創建は大同四(809年)。

祭神はいずれも天照大神なので、耳二ッ山の野々宮神社も天照大神を祭っていると考えられました。

耳二ッ山の野々宮神社の創建は809年以降ということになるから、関東の大和三山の創設との関係はなさ気。候補地としては若干弱々しい感じ。

ところでこのブログは12月の、かなり前から非公開で編集しています。大晦日の31日の深夜に、ヤフーのトップページの写真を見たところ、有名人が写っている背景に「ニッ」という字が写っていました。ニッポン放送の「ニッ」だったようです。このブログのアップロードは新年が開けた1月1日です。。

 

成田山

成田山新勝寺の山域が、関東地方における耳成山候補地と考えると、ちょっと奇妙かもしれません。しかしこれには明確な理由があります。ところで、

初詣スポットの人出ランキング・ベスト10を見ると、

1位 明治神宮(東京)316万人
2位 成田山新勝寺(千葉)305万人
3位 川崎大師平間寺(神奈川)302万人
4位 浅草寺(東京)283万人
5位 鶴岡八幡宮(神奈川)250万人
6位 住吉大社(大阪)236万人
7位 熱田神宮(愛知)230万人
8位 武蔵一宮氷川神社(埼玉)215万人
9位 太宰府天満宮(福岡)200万人
10位 生田神社(兵庫)152万人

 埼玉県東部=ちょっと凄目のパワースポット説 

上記の記事で紹介した初詣の人出ランキングです。今年も賑わってる様子が想像できます。

千葉県の人口は全国の都道府県で6番目と、確かに多いですけど、千葉県より人口が多い東京都、神奈川県、埼玉県、大阪府、愛知県の初詣スポットを差し置いて、日本で2番めに参拝客が多いということは。

途轍もないご利益のあるお寺と認識されているようです。(出展:都道府県の人口一覧

 

 

この成田山が果たして耳成山だったかどうか調査

 

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国土地理院地図を使用。


成田山新勝寺は、標高40メートルほどの小高い山の上に建てられています。

成田山」の山域は、弥生時代奈良時代にかけて、元々なんと呼ばれた山なのか不明。
成田という地名のある土地は、平安時代より以前には、下総(しもつけ)国、埴生(はぶ)郡に所属していました。これは『和名類聚抄』によります。


940年(天慶3年)承平天慶の乱平将門の乱)が平定されると、現在の成田の土地に新勝寺が創建されます。これは『成田村安養寺縁起』によります。このあたりはウィキペディアから引用しています。

成田村安養寺の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘があります。これは西暦1408年のこと。

つまり平安時代の頃には、現在の成田市の付近は「成田」と呼ばれていたようです。しかし成田山だったかは不明。江戸時代になると、下総国下埴生郡に成田村の名がみえる。

 

成田山新勝寺の境内東方に隣接して、保目(ほめ)神社があります。祭神は不詳なのですが、「保目」は恐らく応神天皇諡号誉田別命(ほむたわけのみこと)」の「ほむ(誉)」かもしれないですけど。そうすると祭神は応神天皇ですが、正解かどうか。

そして「目」は「耳」に通じています。耳鼻科というくらいだから、目と耳は兄弟のようなものです。

そういえば、俺があちこちの耳鼻科に行っても、マトモに患部の特定もされないのですよね。なんでなのか。


大阪府寝屋川市には成田山大阪別院明王院があります。大阪の成田山の創建は1934年(昭和9年)と新しいものですが、大阪の成田山は「目と耳にご利益がある」というのです。

ほんとかどうか。本家の成田山は耳に関係していないので不思議なことですが、なにか見えなかったものが、見えてきた気がしませぬか。

もしかすると千葉県の成田山は、元々「目と耳に関係していた」のではないか。だから成田山の近くに保目神社があり、大阪の成田山は目と耳にご利益があるのだと。すなわち成田山とは、耳成山に関係があると言えば、確かにそのように思われてくるようです。

奈良の耳成山には耳成山口神社があり、主祭神高皇産霊尊高御産巣日神とも書き、産むは生むであるから、この千葉の地域が埴生郡であることと関係があるかもしれない。

この成田山が、元々は奈良の耳成山に対応させた、関東の耳成山だったから、成田山の名が残っているのであるとの可能性。

これは流山市の三輪野山、香取市香取神宮成田市成田山三者を結びつけて線を描くと、よりはっきり理解できます。

この辺りは(4)で明らかとします。

 

候補地の位置関係は以下のとおり。

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グーグルマップの地形図を使用。

 

(3)畝傍山に続く。

 

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