たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

「通りゃんせ」発祥の地、埼玉川越・三芳野神社

通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの 細道じゃ

天神さまの 細道じゃ

ちっと通して 下しゃんせ

御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つの お祝いに

お札を納めに まいります

行きはよいよい 帰りはこわい

こわいながらも

通りゃんせ 通りゃんせ

 

○いつも助かっております

 

 

川越にある三芳野神社

 

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三芳野神社 - Wikipedia

 

最近、童話「通りゃんせ」は熱田神宮の参道のことだという、新説を提唱しているブログをチラッと見た。このサイト。これについて単純に疑問に思ったので、通りゃんせについて調べてみました。とにかく本当のことを知りたかったので。

 

検索すると、通りゃんせの発祥地がどこなのか、すぐにわかった。検索結果

ウィキペディアにも書いてあった。埼玉県川越市三芳野神社ウィキペディア)というところ。

 

ウィキペディア三芳野神社のページには、こうあった。

三芳野神社は、埼玉県川越市郭町の神社。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。

 

童歌「とおりゃんせ」は当社の参道が舞台といわれる。 当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれた。 城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。 しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手門(現在の川越市立第一小学校の正門付近[2])より入り、田郭門を通り、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する細道をとおってお参りしなければならなかった。 反対に、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。 そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と川越城内の子女の間で唄われるようになり、それが城下に流れ、武士や僧侶、町人たちによって江戸へ運ばれ、やがて全国へ広まって行ったものである。 なお、参道は江戸時代より若干変化している。

三芳野神社 - Wikipedia

 

伝承地は三芳野神社であるが、川越城が発祥地と言って過言では無いということのようでした。そして誕生の経緯は、川越城内の子女が歌い始めたことであるとか。

で、別の検索結果で「りゃんせ」は東北方言という結果も出た。ということは、おそらく、通りゃんせを生み出した川越城の子女らは、東北から幕府へ奉公しに来たのかという感じがする。

 

で、川越の観光と地域情報web カワゴエール三芳野神社のページによると、

通りゃんせ発祥の地という石碑が立ってるらしい。

 

まぁ、「行きは良い良い、帰りは怖い」というのは、俺にあてはまるんですよね。

俺も、原発も、政治も経済も、たいていのことは最初は張り切って、意気揚々として、良い感じでスタートするんですけどね。

 今の世の中全体で、「行きは良い良い、帰りは怖い」になってる気がしますけどね。怖いながらも、通りゃんせ、遠りゃんせ。

 

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