本が出てから、あちこちの通販サイトをチェックしたんですが、確かに自分が書いて、出版社に出版していただいた本が並んでました。
多くの本が並んでる中に自分の本があって、何故か子供の頃に、描いた絵が廊下に貼られた時のことを思い出しました。
もちろん子供の頃の絵と出版した本は、まったく存在価値も意義も比べ物にならない程なのですけども。
他人ごとのようでもあり、奇妙な感じです。
先週、出版社のほうから連絡をいただきまして、「図書新聞」という新刊紹介の新聞のほうに、拙著の書評が書かれ、新聞は今週発売であるとのことで驚きました。
なんか凄いことになったなと・・・実際の所、自分の本の評価は殆ど聞いて無いに等しいので、先行きどうなるのかと思った矢先の出来事でした。
はっきり言うと、本が完成した時、「もうこれは別に売れなくても良い思い出作りになった」とか、「冥土の土産になった」と達観してたもので
新聞に書評が出ると聞いて、嬉しいという感情より先に「(いろんな意味で)俺みたいなのが、良いんだろうか」という不安な思いと淡い期待が交錯しましたけど。
ともかく有り難く感謝申し上げます。
2年前までは未来には絶望だけしかなくて、死ぬことばかりが頭をよぎってたもので、なんか運命が変わったんだなと思ってるところでs。
○いつも助かっております
崇神天皇=卑弥呼+壱与について、最近新たに気づいたことがあるので、それを合わせて再検証します。
拙著の中では、狗奴国の卑弥弓呼と武埴安彦は同一人物と捉えてるんです。
魏志倭人伝内の、狗奴国と卑弥弓呼に纏わる情報は大変少ないです。
拙著の中では、集中力の欠如と意識の分散により、どうしても執筆時に記紀の内容の見落としがありここ数カ月でその点に、新たに気づくことになったというワケです。。
表を見ると、なんで匈奴が関係するのかと思われると思いますが。
狗奴国は、匈奴を意識した名前ではないかと思ってました。そのワケはいずれ書くとして・・・。
匈奴を基準として、卑弥弓呼、武埴安彦(建波迩安王)の名前を比較しました。すると卑弥弓呼、武埴安彦、どちらも匈奴の名を意図しているような感じになっています。
さらに狗古智卑狗と玖賀耳之御笠、出来事の比較、年代の比較をしてますが。魏志と記紀の内容が、殆ど同一なことは明らかです。
日本書紀の干支は、表の通り、普通に解釈すると合わないのですが魏志と古事記の崇神天皇・卑弥呼の崩御年は、古事記が10年の誤差を見せるだけです。
これが事実ならば、狗奴国は山城国=京都ということになりますが。拙著の中では、この前後の出来事もよく比較してますが、ここでは割愛しました。
ところで、なんで匈奴か?それはいずれわかるかもです。
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