たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

日本武尊の時代の東日本の蝦夷は匈奴だった

最近は2つの意味で、星新一の短編小説に、はまってますけど。

今年の予定は、

1・出版社から出版できるかどうか。果報は寝て待て。お願いします。

2・電子書籍の下巻をばっちり完成(7月頃)

3・100円電子書籍をひっそり完成(下旬)

4・烏孫起源論の第一報こっそり電子書籍化(下旬)

まぁ、闇の組織の陰謀によって、負のオーラに包まれた人生だったので、その反動を利用して、今後もこれでもかと、キンドル電子書籍化してしまいます。

妨害されても馬鹿にされても、とにかく俺にはこの道しかありませんのでね。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)の頃、東日本に居たと記録のある蝦夷の正体は、匈奴だったかもしれないという話。

日本武尊というのは、4世紀前半の景行天皇の御宇に実在したと思うのですが、この根拠は発表する予定の拙著にかきますのでね。

 

匈奴というのは、紀元前7世紀以前から3世紀頃まで、ユーラシア大陸のモンゴル平原を中心とした地域で繁栄した、遊牧騎馬民族国家でしたけど。

匈奴は2世紀から5世紀にかけて衰退の一途を辿りましたが。

北匈奴は西へ向かって、欧州を荒らしまわるフン族になり、これによって5世紀のゲルマン民族の大移動が起きたのでした。

南匈奴後漢に寄り添って生き延びたものの、やがては群雄割拠の中国大陸の諸勢力に飲み込まれ、一見しては消失してしまうのでした。

5世紀に中央アジアで白匈奴(エフタル)が出現しますが、歴史上で6世紀頃には、中国大陸から匈奴の名は消えてしまう、これは歴史の定説です。

と思いきや、実は匈奴は日本列島の蝦夷の中に入り込んでいた、としたら、匈奴の郷土が新たに判明したということになり、にわかに匈奴まつりが始まってしまいます。

 

東日本の蝦夷は中国史書「宋書」では「毛人」とあって、通説的には縄文人の末裔だとか、アイヌ人のことだとかで、別名を毛野氏と言いますた。

毛野氏というのは群馬、栃木、埼玉付近の豪族で、崇神天皇の皇子である豊城入彦命が始祖と「日本書紀」にいわれるのですが、これは天皇蝦夷を支配下に置いたことを表しているようです。

私見としては、日本武尊の頃の蝦夷とは、縄文人の末裔、縄文人の末裔としてのアイヌ、の両者を中心とした勢力と思ってたのですが、つい先日、考えが変わりました。

特に東日本の「中部地方~関東地方」までの蝦夷と、「東北地方~北海道」までの蝦夷はちょっと違ったかもしれない。

しかも中部地方~関東地方の蝦夷には匈奴が入ってた、と思うわけなのですが、その解説をします。

 

日本書紀の記録から

蝦夷生活様式と風貌、それに気質を調べますと、どう見ても匈奴です。本当にありがとうございました。

ではその根拠が記してある、『日本書紀』(宇治谷孟・訳)を見てみよう。

日本武尊の東征に際し、景行天皇は次のように仰せになった。

「いま東国に暴れる神が多く、また蝦夷が全て背いて、人民を苦しめている」

「かの東夷は性凶暴で、陵辱も恥じず、村に長なく、各境界を犯し争い、山には邪神、野には姦鬼がいて、往来もふさがれ、多くの人が苦しめられている。その東夷の中でも、蝦夷は特に手強い。男女親子の中の区別もなく、冬は穴に住寝、夏は木に棲む。毛皮を着て、血を飲み、兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走ることは獣のようであるという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びている。あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔の時をねらって作物をかすめ取る。攻めれば草にかくれて、追えば山に入る。それで一度も王化に従ったことがない」

このあと蝦夷は、東征した日本武尊によってフルボッコにされてしまいます。

 

この一文の中で、東日本の蝦夷匈奴であるとの仮説に、最も信憑性が感じられるのが「血を飲む」という情報です。

血を飲むといえば、吸血鬼ドラキュラ伯爵というのはよく知られてますが、この人は実在の人物じゃなくて、作家、ブラム・ストーカーによる1897年発表の小説「ドラキュラ」内の、架空キャラなのですね。ヴラド3世という実在の人がいまして、その人のニックネームがドラキュラだったので、その名前だけ拝借して、吸血鬼ドラキュラを小説に生み出したということだそうです。モデルのヴラドさんが、血をたしなむ方だったわけではないのです。

でもドラキュラの舞台がルーマニア、というのはなにか根拠になったものがあるんじゃないかと思いましたが。

実はルーマニア地方は、紀元5世紀頃、スキタイという騎馬民族の居住地だったのですけど、このスキタイは、血を飲む風習を持ってた民族なのですよ。

この血を飲む伝統を忠実に踏襲してきたのがドラキュラという設定が、あったのかなかったのか、と妄想してみたりするのですが・・・。

つまりスキタイ・サカと同じ風習を持っていた匈奴は、この血を飲む文化も踏襲していたとしておかしくないということになりそうです。実際匈奴にはスキタイ・サカ出身の人々も、入り込んでいたでせう。

ウィキペディアの髑髏杯のページを見ると、こうあります。

紀元前8世紀~紀元前3世紀にかけて現在のウクライナに割拠した遊牧民族スキタイの習俗に「頭蓋骨は近親者か最も憎い敵に限り、髑髏を眉の下で切り牛の生皮を貼って杯として用いる」とあり、これが最も古い髑髏杯の記録だと思われる。

プリニウスは『博物誌』に、ドニエプル川の北方部族が髑髏杯を用いる事や、夜間に泉から汲んだ水を髑髏に入れて患者に飲ませるという癲癇の治療法を記している。

イッセドネス人は親の葬儀で喜びを表し、集まって祝祭を催す。そして故人の遺体を引き裂いて家畜の胎児の挽き肉と混ぜ合わせ、宴に来た人々にふるまい、食べつくす。頭蓋骨は磨き上げて黄金を巻き、杯に使う。これらの行為はイッセドネス人における最大の親孝行であるという。

紀元前2世紀、モンゴル高原に割拠した遊牧国家匈奴の老上単于は、隣国(敦煌付近)である月氏の王を討ち取り、その頭蓋骨を盃にした。以後、この髑髏杯は代々受け継がれ大事な時に使用された。

516年、高車王の弥俄突(在位:508年 - 516年)は柔然可汗の醜奴(在位:508年 - 520年)と戦い敗北した。醜奴はその両脚を駑馬の上に繋いでこれを殺し、その頭蓋骨に漆を塗って盃とした。

・・・わかりますたね。

匈奴はスキタイ同様に髑髏杯を作って酒を飲んだ。スキタイ出身の郷土人なら、血を飲んだかもしれませぬね。

そういえば日本の戦国武将の織田信長も、髑髏杯を作ってたとか言います。まあ信長は第六天魔王だから、髑髏杯くらいは朝飯前だったとか?ウィキペディア髑髏杯に詳しくありますので。

あと掛川城に、髑髏杯が展示されてます。こちらのサイトで見れるので。

 

ともかく東国の蝦夷の「人の血を飲む風習」が本当ならば、東国の蝦夷とは、ユーラシア大陸騎馬民族出身者だった、もしくは一部のそうした騎馬民族出身者が景行天皇にも知られてたと考えられることになります。

もう一つ気になる一文がありまして、

「攻めれば草にかくれて、追えば山に入る」ですが、実はこれと同じような表現が「漢書匈奴伝第六十四」にあるのですね。こうあります、

「有利と見れば進み、不利と見れば退いて、遁走するを恥と思わなかった」

「毛皮を着て」の部分も、匈奴伝に同様にあるし、

「男女親子の中の区別もなく」のところは、匈奴が老人を敬わず、目上に対しても敬語を用いず、レビラト婚制度(兄弟が死ぬと、妻は残った兄弟の妻となる)という、匈奴の風習を記したものと思えます。

 

 

匈奴(きょうど)・狗奴国(くなこく)・毛野国(けのこく)

東日本に匈奴が住んでたその理由は、地名にも見られます。

邪馬台国卑弥呼に抵抗した狗奴国がどこにあったか、知ってますか。

九州の熊曾、球磨郡?そういう説もありますが。

違います。

実は狗奴国の位置は『後漢書』が正しいと思われます。

後漢書』にはこうある。

「女王国の東千里、海を渡ったところに狗奴国あり」 

女王国の本拠地は、九州だったと言って、個人的には間違ってないと考えますけど。

その理由は、女王卑弥呼の名前自体に日向(ひむか)が含まれるという意見は尤もであるでせう。

国史書の「魏志」の記録を読み解くと、女王の都・邪馬台国は、武器で守護された土地ということが書いてあります。これに符合するのは、武器大量出土地の北部九州というわけなのですよ。

残念なことに近畿地方では遺跡から武器がほとんど出土しないので、邪馬台国畿内説は当たっていないでせう。

九州の東の海を超えた土地といえば、本州か四国ということになります。

つまり本州の近畿地方より以東は、ほとんど狗奴国の範疇にあったのではないかと考えてます。

その理由を説明すると、

 

北陸道は「くぬが道」と読むの知ってましたか。「日本書紀」にあります。くぬがの「くぬ」は、狗奴(くな)がなまったものだとすれば、北陸道は狗奴国の範囲だったことになります。 

関東地方の毛野(けの)も、狗奴の転訛でせう。上野国(こうずけのくに)は群馬県のことで、下野国(しもつけのくに)というのは栃木県のことで、両者は「けの」を含んでます。

京都市の久何神社(久我神社)も、静岡県袋井市の久努国造の久努も、滋賀県長浜市の波久奴神社もやはり狗奴の名の名残であろうと思われます。神社の名前に、狗奴国が反映されてたのです。

関東地方を北から東へ流れる鬼怒川というのも、実は狗奴川のことなんじゃないかと思います。こうして狗奴に一致する大きな地名が多いのは、偶然とは言いがたいほど多くあるのでした。

 

 

崇神天皇に抵抗した武埴安彦=狗奴国王卑弥弓呼

ブログの右側で宣伝してる2つの拙著に度々書いてましたが、武埴安彦というのは、狗奴国王、卑弥弓呼と同一人物なのです。

名前からも分かります。

埴安彦 Ha-Ni-安-Hi-Ko

卑弥弓呼Hi-Mi- -Ku-Ko

卑弥弓呼は、卑弥安弓呼だったんじゃないかと思います。

で、この埴安彦の名前にも匈奴が見え隠れしてます。

埴 Ha-Ni

匈奴Hu-Na (Ku-Na)

狗奴Ku-Na

匈奴は地域・時代・民族により呼称が異なり、フン、フナとかいいましたので、武埴安彦はなにか匈奴と関係あるのかもしれません。

ところで、こういうフンとかフナとか言うと、歴史的名称でさえも、汚いものを連想してかけあわせる人がいたりするのですが、そういう悪魔の悪戯的な陵辱は、この場面ではまったく必要ありませんので、お願いいたしますね。

そういえば古事記によれば、武埴安彦(建波迩夜湏毗古)の父は孝元天皇なのですが、母親の名前も波迩夜湏毗売で、波迩がやはり匈奴を表していて、この女性が匈奴人だったのかもしれんです。もちろん推定ですが。

 

 

・狗奴(くな)国は鐘(かね)国

銅鐸というのは近畿地方を中心として日本列島に分布し、九州のほうでは出土例が少なくなってます。つまり私の言う狗奴国の位置と、銅鐸出土地の中枢は、重なっているのですね。

そしておそらく銅鐸というのは、倭の時代にあっては「かね」と呼ばれていたかもしれませんよ。

そうすると、

狗奴国 Ku-Na-国

鐘国  Ka-Ne-国

ということになり、狗奴の発音と鐘の発音をかけあわせているでせう。

つまり狗奴国は、銅鐸(鐘)を大量に用いた、カネ国だったのだと。

 銅鐸分布図

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考古学GISデータベースより

 

・前方後方墳は匈奴の墓形態だった?

前方後方墳というのがありまして、四角と台形がくっついたものです。これは東日本を中心として特に多く分布しています。

日本最古級の前方後方墳はどこにあるのかと言うと、静岡県沼津市の辻畑古墳(3世紀前半)です。道路建設予定地の上にあって、貴重な最古の前方後方墳なのに、消失寸前だったんですけど。今はどうなってるんですかね。

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グーグルマップにて確認

 

京都府にも同時期の神郷亀塚古墳だとか、岡山県岡山市のの都月坂古墳、愛知県一宮市の西上免古墳(消失?)など出現期の前方後方墳があります。

 実はこの前方後方墳は、日本固有の形態ではなかったのですね。韓国にも北朝鮮にも無く、ではどこに原型があったかというと、

モンゴルに、ノイン・ウラ遺跡というのがあり、匈奴の積石墓(ノヨン・オール24号墳)があるのですが、これが誰が見てもまるっきり前方後方墳の形状をしてると分かるのです。

こちらのサイトにあるのですが、

匈奴人の墓はどう見ても前方後方墳です、ほんとうに・・・。

前方後方墳が東日本に集中しているのは、やはり匈奴系人種の墓地だからと考えると、ここまでに記してきた「東日本の蝦夷匈奴」という仮説も現実味を帯びてくるでせう。

 

・ズボンは騎馬民族由来

ツイッターで呟いてるかたがいたので、思いつきましたけど。

そもそも日本神話の中で、伊邪那岐命は袴(はかま)をはいてるのですね。いわゆるズボンですけど。

ズボンの起源は騎馬民族なので、要するに伊邪那岐命がズボンをはいてるのは、先祖が馬に乗ってた騎馬民族だからで通じてしまいますけど。

 

 

以上のように、倭人の支配階級が騎馬民族だった、匈奴が東日本の蝦夷だった、という証拠のいくつか、取り上げました。まだ見つけたものがありますけど、それはいずれどこかで。

個人的には、日本古代史については、現在まかり通っている定説のほうがおかしいと感じる日々です。誰も気にしないような些細な情報でも、頭に取り込んで比較検証をすることで、真実に近づけると思われます。

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出現期の前方後円墳マスタープランとは

日本列島の前方後円墳は数多くあるなかで、出現期のものは前方後円墳の起こりを知る上では特に重要度がたかいです。

出現期の前方後円墳をリストアップすると次の通りになります。たぶん合ってる。

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出現期の纏向型(帆立貝形)と呼ばれるものは奈良県に集中し、ほか東は千葉県、西は兵庫県、宮崎県など散見できます。

 

千葉県市原市の神門4号は、残念なことに宅地開発のために消滅している。

神門5号は宅地開発で一度破壊されたが、最古級の重要性が考慮されたのか、殊勝なことに盛り土が復元された。ほか神門3号は3世紀中葉の前方後円墳だったが、これも残念無念と消滅している。

奈良県天理市のヒエ塚古墳は、どんな経緯があったのか、まんなかに道路が作られて東西に分断されている。

ホケノ山古墳は豊鍬入姫命の御陵と伝わる。崇神天皇の時代の古墳で、最も古い段階の前方後円墳と言われる。

山戸4号は丘の上の藪の中にある。

徳島県鳴門市の萩原1号・2号は、徳島県鳴門市の前方後円状の積石塚。1号は道路建設により消滅している。一昔前は遺跡より道路が重要という認識が蔓延ってたとか。そういえば静岡県で見つかった日本最古の前方後方墳、辻畑古墳も幹線道路の建設予定地の真ん中に見つかって、破壊されてしまうかもしれない瀬戸際だとか。辻畑古墳の重要性は既に知られてるので、道路建設は回避される可能性も残っていると思われますけど。偉そうなこと言いますが、道路のほうが大切だとか言って永久に消滅させるより、ご先祖様のたいせつな遺跡として観光資源として未来永劫残していくべきでせう。

西都市の西都原81号は最近になって出現期のものと判明したので話題になってました。

 

以上の出現期前方後円墳は、卑弥呼の時代に造られました。で、これらを図上に現すとこうなる。

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やはり何か、卑弥呼の時代、当初の前方後円墳マスタープラン(基本計画)のようなものがあって、左右対称的な形で建設されたのかもしれんです。

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日本神話に秘められた宇宙構造論

日本神話のひとつの物語は、明確にひとつの出来事を描いているのではなかった。

それはあたかも神武天皇の父である鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の中に、51人が集合されているという「上記(うえつふみ)の記録のように。

おそらく私見としては神武天皇も、複数の人物の習合であると見ています。

 

日本神話の物語自体も、複数の物語が習合されている場合があると思われます。

もっとも始まりの物語から、すでに習合は見られます。

 

それは天地開闢高天原の誕生、国生みの物語。

一般的には、地上に神様の住まう高天原と、青人草(人)の住む日本列島をつくった物語が、古事記日本書紀天地開闢~国生みの物語の部分と言われます。

しかし記紀神話に、もし宇宙誕生の物語が提示されているとすれば、まさかという話になりますけど。

 

まず宇宙誕生モデルとして知られる、インフレーション宇宙論のモデル

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KODAMA FORESTより

無から始まった宇宙は、一挙にインフレーション(膨張)し、高温状態から徐々に温度を下げ、宇宙の物質が寄り集まって、太陽を含む無数の恒星や惑星をつくり、それらからなる銀河をつくった。

また、宇宙はひとつだけでなく、無数に存在するという仮説が、日本人学者に提唱された。

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KODAMA FORESTより

簡単に言うと、

「未知の母宇宙があって、そこから子宇宙(人間のいる宇宙)が飛び出した」のだとか。

この「インフレーション宇宙論」のモデルが、じつは、8世紀編纂の古事記日本書紀では既に提唱されてたとしたら?

 

「神代正語常磐草(かみよのまさごとときわぐさ)」という江戸後期の書物がありまして、この書物は細田冨延(1783-1828)が古事記の名場面を、全て絵図でわかりやすく解説しているもので、「古事記と日本の神々」(吉田邦博・著、学研) にも幾つか挿入されてる。

この本にこんな絵がある。

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この団子3兄弟みたいな絵は、神代の世界観を表したもので、一般認識としては、

上から高天原(神界)、葦原中国(人間界)、黄泉(闇の世界)。

日本に限定した世界観と言われてます。

 

でもこの古事記の世界観は、複数のできごとを一つにまとめいているのだから、この絵図には、宇宙創生の秘密が封印してあると見られます。その証拠は「日本書紀」からも読み取れます。

日本書紀」の冒頭にこうある。

古(いにしえ)に天地(あめつち)未(いま)だわかれず、陰陽(めを)わかれざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟涬(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。

渾沌とした中から、鶏卵のようなきざしが見えてきたと。これはまさに宇宙の誕生を表しているように見える。

 

古事記」で、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)が登場するときの絵がこれ。

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これは母宇宙(高天原三神)の場所から、子宇宙(宇摩志阿斯訶備比古遅神)が飛び出し、インフレーションする様子を描いていると捉えることができる。

 

そして

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この絵は、上から、

母宇宙(天之御中主ら高天原三神の宇宙)

子宇宙(宇摩志阿斯訶備比古遅神で表された、人間が認識してる宇宙)

孫宇宙(人間が認識する宇宙から、さらに子宇宙が飛び出しているのかもしれない)

 

というふうな解釈が可能ということです。

こうしてみると、インフレーション宇宙論古事記宇宙論が、見事に合致してるようでないですか。だからインフレーション宇宙論が正解なのではないかと思いますけど。

 

さらにもう一枚を見ると、別の疑問が浮かんで来ますた。

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これは、高天原イザナギイザナミが、天の浮橋に立って淤能碁呂島を造った場面。

こうしてみると、高天原の神々は、母宇宙から子宇宙(我々の宇宙)へやってきて、地球をつくったような印象を受けてしまうわけですけど。

まぁ、こう言うとゼカリア・シッチンのシュメール神話の解釈で、「シュメールの神様(アヌンナキ)が地球を造り、文明の惑星ニビルの住人が地球へ降臨した」というふうな、日本神話でいうところの天地開闢から天孫降臨までに至る神話に、よく似たようなものを思い出しますが。

ま神様が天からやってくる、とかいうと、宇宙人なのか、という話になるわけですが。

こうして静かに集中して記事を書いてたら、家の前で男子中学生が「キャー」と奇声を発して去っていったので、憂鬱な世界は続きそう。

 

おわり。

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天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

 

実は烏孫と日本の歴史は、似たところがある、とかなんとか言ってると、トンデモ仮説扱いされてしまうところです。

しかし、これについてまじめに研究した本が既にあるのです。

栗本氏の本「シルクロードの経済人類学」。

この本では、天皇と大和民族の烏孫起源を述べてますが、具体的に日本神話のどの神や人物が日本に関係するか、述べられてたかどうか、ど忘れして記憶になかったので、本を読み返しました。

すると烏孫のあったセミレチア(キルギス付近)が、天皇氏族や蘇我氏を始めとする、一部の日本人の故郷であると書いてありました。

そこから2~4世紀頃の日本列島に、正方位や弥勒信仰と共に、天皇蘇我氏の一族が移動してきて、日本を統治した、そんなような内容でした。ともかく烏孫について研究した数少ない日本語の書物なのでした。

 

ということで、ここでは烏孫と日本の起きた出来事の設定は、とても似ているところが多いという点を指摘しておきます。特に神武天皇の記録について、「漢書」「史記列伝」の烏孫に似た設定が見られるので。

勿論これは私見としてなので、思い込みや決め付けといえばそうかもしれないのでご注意を。

既にまとめたものの中から、少しばかり、かいつまんで見ていきます。

 

国の位置

烏孫の前身の国(烏孫の王昆莫の父の国)は、匈奴の西にあった

神武天皇は日本列島の西(日向の高千穂)にいた

烏孫のあった場所は、秦氏の出身地という弓月国の場所。弓月国自体、烏孫の後裔)

 

神と呼ばれた王

烏孫の昆弥(王)は匈奴単于により、神と呼ばれた。

神武天皇は神のつく天皇であり、和風諡号も「神日本磐余彦(神倭伊波礼毘古)」。

 

王号

倭の王号は大王(オオキミ・オホキミ・キミ)

烏孫は昆弥(発音はクンミで短縮すればキミに迩い)

 

動物に助けられる王

烏孫の昆莫は子供の頃、鳥と狼に助けられた(これは騎馬民族の神話)。

神武天皇は鳥(八咫烏・金鵄)に助けられた。神武伝説に狼は登場しないが、天照大神に助けられており、大神(おおかみ)が狼を示唆する。

 

大移動

烏孫の昆莫は月氏の本拠のあった敦煌付近から、天山山脈の北方へ大移動した。

神武天皇は九州の日向から奈良盆地へ大移動した。

 

息子が王位を奪うために反乱

・昆莫の息子、大禄は王位を奪うため反乱を起こした。

神武天皇の子、タギシミミは皇位を奪うため反乱を起こした。

 

理解できましたか。要するに神武東征伝説には、烏孫の昆莫の物語が組み込まれているのだと。これほどに国王の事績同士が似通う例は、倭の近隣諸国の王と比較してみても、まず見当たらないです。

日本の初代天皇神武天皇は、中央アジア烏孫の昆莫と同一人物だった・・・

まぁほんとなら、天皇陛下も世の中の偉い人もびっくりですけど。

 

で、ここに「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け」

Amazon.co.jp: 日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上) (地名と神武シリーズ) eBook: 多伎元達也: Kindleストア

が関係してくるわけなのですが(電子書籍なかなか売れませんな)。

 

ここに述べたものは私見であるし、ごく一部分の一致を持ちだしたにすぎないので、日本の歴史に烏孫が組み込まれていることや、昆莫と神武天皇が同一人物という、決定的な回答ではないでせう。

勿論、神武天皇が架空の存在としたり、日本列島に実在したと考えることは、人それぞれの自由な発想でせう。日本古来の伝承を大切にする人は、この烏孫起源は頭ごなしに、気に入らないものかもしれない。

 

・・・でもなんか似てる。

この烏孫史と日本史の奇妙な一致が、偶然や無関係とは言いがたい決定打は、闇の組織に殺されずに来年も生きてれば、完全な形で披露できるかもしれんです。

 

おわり

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倭迹迹日百襲媛大市墓(箸墓古墳)について

倭迹迹日百襲媛大市墓(やまとととひももそひめおおいちぼ)というのが、箸墓古墳の別名ですが。

この古墳卑弥呼の墓とか言われるが、個人的にはそう思わない。

壱与の墓と思うんですが。この理由は、うまくいけば近いうちに発表されるであろう、拙著に書いてますので。(電子書籍じゃないし、自費出版でもない)

 

箸墓というのは、日本書紀に登場する、倭迹迹日百襲媛命の伝説に纏わる。

食器の箸というのであるが、そういう意味だけじゃない。というのは直感的なものなんですけど。

 

たぶん土師(はじ)氏(古墳建造専門集団)が関係するんではないか。

土師のつくった墓、という意味で箸墓だったのではないか。

そこに倭迹迹日百襲媛命の伝説が付け加えられたかもしれない。

 

それか、ペルシャ式(ジグラット)ということかもしれない。

ペルシャは古代中国(漢)では波斯(はし)と言ったので。

古代の倭は、どうも中東、地中海地方系と繋がっている気がするんですが。

それは烏孫を経由してということだと思うんですが、具体的な根拠はおいおい分かることに。仔細はまた今度に。

 

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天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

 天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

 

1の続き。

 

実は「烏孫天皇と大和民族のルーツがあるんだぞ」という研究は既にあって、著書がでております。

栗本氏の『シルクロードの経済人類学』だとか、加治木氏の『真説日本誕生・建国前夜の巨大連邦発見』にあるのでチェックしてみてください。

他に「烏孫だぞ」を主張してる作家は見付けて無いんですが、日本人の中央アジア起源説といったもの自体は、明治の昔からありました。

 

烏孫中央アジアキルギス、中国の新疆ウイグル自治区西部、天山山脈の付近にあった、騎馬民族の大国でした。中国の『漢書』『史記列伝』に記録が残ってました。彼らは紀元前の段階で地中海付近から中央アジアへ移住してきたコーカソイドで、加治木氏の著書によればギリシャ系だったとか。匈奴に服属した時代を経て、日本と交易した前漢とも交易してました。前漢人は、倭とも烏孫とも交流してたのでした。

 

で、Anthrocivitas.netという掲示板に、烏孫人の遺伝子を調べたものがあった。中国人が調べたみたいで、漢字で解説が入ってる。母親から子に受け継がれるミトコンドリアDNAというのを調べたものらしい。これ

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左上から、

匈奴匈奴鮮卑鮮卑烏孫

現代中国人、現代蒙古、シベリアンツングース、コリヤーク、エスキモー。

上の図にある烏孫の水色は、漢字で「白人成分」と書いてあるので、烏孫が白色人種だったのは明らからしい。

 

日本人は一般論としてはモンゴロイドなので、普通に見れば、烏孫と全然人種が違うわけで、寝言も大概にしろといわれてしまいそうです。日本人と烏孫人の関連をみいだすことは不可能なように見えます。

しかし烏孫の歴史を調べると、全く違った事実が見えてきます。

烏孫の王族は、最初の王・昆莫より以降、積極的に漢の王族と婚姻関係を結んでいました。4代も交配すると白人の容姿はアジア人的な容姿へと変貌していたでせう。つまり烏孫の庶民は白人の外見だったけど、烏孫の王族はアジア人的な外見に変容していたわけです。

庶民のほうでも漢人との婚姻が進んでいたのが間違いなく、現在の中央アジア人の外見が、白人とアジア人種の中間的、しいていうなら日本人にもよく見られる顔が多いというのは、烏孫の頃からの混血が継承されてきたからと見られました。

 

父親から受け継がれるY染色体ハプロタイプについては、烏孫のデータが見つからなかったのですが、現代日本人と、中央アジアウズベキスタン人の男系Y染色体に含まれる「YAP+因子」というのを表したものがこれ

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日本人の半数近くが、Y染色体を調べるとYAP+だとか。上図の緑色の部分。

日本と中央アジアの間の、中国・韓国付近には、日本人特有のYAPの遺伝子を持ってる人が極めて少ないらしいです。だから「日本人に遺伝子学的に最も近いのは韓国人だ」という人がいたならば、それは話半分に聞いておいたほうがよさそうです。

そして烏孫があったウズベキスタンも、YAP+の民族であるらしいです、チベットも含めて、中央アジア日本人と共通しているということで。

ところで日本のY染色体のD系、YAP因子は、一般論として「縄文人の遺伝子」と呼ばれるらしいです。中央アジア人・チベット人の、D系、YAP因子は縄文人ではないということで、低学歴なのでよくわかりませぬが、どういう経緯と経路で、一致しているのでせうか。

 

  3に続く

 

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天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし1

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし2

天皇と大和民族の烏孫起源論のあらまし3 まとめ

 

前略・・・

 

烏孫起源論は、出版社からぜひ本になってほしいと希望を持っているので、賛同されるかた、推薦お願いいたします(汗)。

 

天皇と大和民族の烏孫起源論を、ほんのちょっとだけ、紹介します。

2013年に一度、某出版社に見て頂いたのですが、いったんお蔵入りとなっていました。

 下の図は、九州と近畿の地名の一致を表したものです。この発端は安本美典氏の著書『天照大御神卑弥呼である』にあります。同書では、北部九州と奈良盆地の地名がよく似ていることが表されています。この発想を拡大解釈し、郡名の一致を比較したものが下図になります。

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九州と近畿全体で、地名がなんとなく似た位置に、同じような名前として配置されていることが理解できます。

この図は『日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上)』という、売れない本にのっています。

「九州と近畿の古地名は、同じである」これを前提として、日本列島全体の地名が連鎖構造になっていると説いています。

そして地名が「西から東」へ東遷している根拠を並べて解説してます。つまりこれら一致する地名は「九州→近畿」という変遷を辿った証明をしてます。

 

まだ発売前ですが「下巻」の内容を言ってしまいますが、「下巻」では、

「神武東征が九州地方(島嶼部含む)にあてはめられていた」

ことを証明するものです。

 

つまり神武東征さえも、西にあったものが、東に移されているのです。「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け 上・下」はこのことの完全証明を果たす本で、売れてません。

 

で、いずれ何らかの形で発表する予定の『天皇と大和民族の烏孫起源論』は、以上の知識を前提として話が進みますので、『日本の地名の~』が先に世に出る必要がありました。

私は同書内で、九州、近畿、関東などにある、九州と同様の古い地名群を「九州系地名」と呼び表しました。これを覚えておいて下さい。

 

話は変わって・・・

 

漢書』(ちくま学芸文庫)とか、『史記列伝』(岩波文庫)を読んだことありますか。

漢書』7巻の「匈奴伝」、8巻の「西域伝」、

史記列伝』5巻の「大苑列伝」、

このあたりに西域(現在の新疆ウイグル自治区付近にあった諸国)の話がまとまっており、ここに烏孫の歴史が登場します。

実はこれらの書物に記録された烏孫の出来事は、

「日本の『古事記』『日本書紀』(記紀)の内容に、とても似ている、または瓜二つ」であったとすれば、どうしますか。

 

日本の歴史の中に、烏孫が封印されている。日本の歴史は実は烏孫の歴史だった・・・

とかいうことになると、日本の歴史がひっくり返るような、大変なことになってしまうのです。

烏孫騎馬民族国家でした。そこで江上波夫著『騎馬民族国家』の重要性が台頭してくることになります。

年月をかけ、つぶさに慎重に調べ上げ、検証を重ねてきました。

 

2につづく。

 

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記紀神話・第1番目の島・淡路島と、天草諸島の地名が一致する件

 

日本列島の真ん中に浮かぶ淡路島と、九州の西に浮かぶ天草諸島

 

淡路島と言えば、

古事記日本書紀で、第一番目の島となってるところは良く知られてますね。存在感が抜群。

 

一方で天草諸島は、一見すると記紀には全く登場しませんね。

 

しかし地名移植の叡智を元にすると、天草諸島がたいへん重要な位置を占めるかもしれないと判明してきました・・・。

 

淡路島と天草諸島は、誰も知らない相関関係にあった。

天草諸島に、淡路島の記憶が封印されていた」という、可能性が見えてきたのです。f:id:kl117cr233:20140224024803j:plain

地名の対比

天草諸島   淡路島

大矢野島   野島

五色島    五色・五色浜

栖本(すもと) 洲本(すもと)

維和島    岩屋

松島     松帆

神代     神代

安房(あわ)  淡路

これは現段階で分かっている、名前と位置が一致する地名です。

 

古事記日本書紀など、日本古代史の謎に興味のあるかた、それに淡路島と 天草諸島にお住まいの方は、必見です・・・。

 

・・・なんでじゃ。どうして一致するのじゃ。

 

すべての理由は、この一書に。詳しくは、

日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上)」[Kindle版]

の第5章で。

アマゾンの販売ページ→http://p.tl/3rLC

 

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電子書籍でました

 

 

電子書籍、完成します。アマゾンの電子書籍キンドルのKDPで。

2014年の2月20日発売なのか。

もう捨て身というか、俺の生身の外殻や、精神の外郭部が傷つこうが、どうでも良い感じがしてました。見ず知らずの人に、いろいろ死ぬほど悪評流されても、「出版するぞ」だけを生き甲斐にして生きてこれたのですが・・・。それによって精神、霊魂の根幹・中庸の保護が強化されたといえますか。

 

タイトルと表紙は

「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上)

地名の封印を解放の巻(kindle版)」

リンクは下の方にあります。

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これは「上巻」なので、「下巻」も出ます。下巻はまだ原稿がほとんどできてないので、下手すると今年の後半・・・。。

表紙何度も描き直して苦労しました。プロじゃないんでイラストのクオリティは期待しないでください。

 

目次は次のようになっています。

まえがき

第1章 日本の地名の歴史
1 中国史書に見る日本列島最古の地名
・中国史書に見る日本の地名の始まり「倭」
・2番目に古い地名の記録は「委奴国」
・3番目は「倭面上国」
・中国史書の更なる倭の古地名
2 古事記日本書紀に見る最古の地名
・日本の史書に見る日本の地名の始まり
・淡路島の歴史
倭人の地名の命名方法とは
アイヌ地名は縄文人の地名か
日本書紀に見られる地名の命名記録

第2章 九州の地名を近畿に移植した倭人
1 九州と近畿で似通う地名と邪馬台国東遷説
・九州と近畿の地名の一致
・郡名の一致に限って見る
・神話の神と地名は「高天原=九州」から東へ移動する基本法
2 九州系地名が西から東へ移転したことを証明する文献記録
・天の香具山の移植
・新天地への地名移植は古代から世界各地に見られた
大倭豊秋津島の名は、邪馬台国時代以前には無かった?
・九州から本州に倭が移植された後、九州から倭が消された

第3章 日本列島の地名の連鎖構造
1 中国・四国地方の地名は中部地方に投影されている
・九州地名=近畿地名ならば、中国・四国地方の地名=中部地方に対応
・中国・四国地方中部地方の一致
2 関東には九州地名(近畿地名含む)が投影されていた
 ・関東の九州系地名の実態
・「なか郡」は真ん中だから、なか郡ではなかった
・相模の語源は佐嘉郡・小阪(烏瑳箇)
・関東の地名移植は崇神天皇四道将軍(3世紀)から
日本武尊の東征記録に、地名移植の行動が表れていた
・神社と主祭神の移植の例
・関東地方は何故九州系地名の土地なのか
3 東北地方の南部は、中国・四国地名である
4 東北地方の北部は九州系地名だった
・日本の中央じゃないのに「日本中央の碑」の謎が氷解
・ひっくり返すと答えが出た
5 北海道は九州系地名、津軽海峡付近は中国・四国系地名だった
・日高見国
・後方羊蹄(後志)は筑紫の別名「白日別」の移植だった
・石狩・札幌も九州系地名だった
・北海道と九州・近畿の比較
津軽海峡の付近は中国・四国系地名
6 九州の西は中国・四国系地名となる
・九州の西側と近畿の西側は一致している
琉球は九州系地名か

第4章 都道府県名の由来の新解釈
1 東北地方と北海道
2 関東地方
3 中部地方
4 近畿地方と周辺
5 中国・四国地方
6 九州地方と沖縄
7 現在の都道府県名は何時の時代から存在したか
都道府県名の多くは奈良時代以前からあった
・日本最古の都道府県名

第5章 日本列島の山岳の二重構造と「淡路島の東遷」の判明
1 日本列島の山岳の二重構造から繙く淡路島の秘密
・西日本の山岳と近畿以東の山岳を比較調査する
2 淡路島は天草諸島からの移植だった!?
・淡路島は九州の天草諸島に対応する
・四国の阿波国天草諸島からの移植だった
・九州自体が淡路島の前身か

あとがき
著者紹介

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内容紹介

日本列島の地名と神話には、従来は知り得なかった、驚異的な秘密が封印されていた。伊邪那岐命による国生みの舞台でさえも、定説的な舞台が別の場所から現在地へ再構築されている可能性が見えてきた。地名のタブーを解くことで、日本建国の祖と呼ばれる神武天皇の東征の、信じがたい真の姿が浮き彫りとなる。

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ちょっと中身を見てみます。解像度低めですが。

 

まえがき一部

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というような感じで、自分をさらけだしています。

卑弥呼さまのイラストも描いています。

以下は第5章の比較図。

 f:id:kl117cr233:20140220130703j:plain

日本列島には、西側と東側に、同じ山岳ラインがあったのです。

九州には、笠置山─御笠山─大三輪山耳納山─釈迦岳─笠置山

近畿には、笠置山三笠山三輪山─耳成山─釈迦ヶ岳─笠置山

という山岳ラインがあることを始めとして。

こんな内容で、日本列島の地名の連鎖構造と、邪馬台国の東遷、そして数々の封印された秘密が浮き彫りとなって証明を続けていきます。

 

7万字程度になって、絵と図版が多いです。

紙の本にすると、アマゾンの販売ページによると116ページ分とか・・・。 

 

 アマゾンの販売ページに移動

 

じゃ死なない程度にがんばって、下巻の作成に入ります。

(このページは随時更新します)

 

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日本の地名の秘密3

いままで、2月中に発表する予定の電子書籍の内容を、かいつまんで小出しにしてきました。もう少し具体的なところを、嘲笑されながら一部公開します。

すると、古代に日本列島に封印された秘密が、どれほど途轍もないものだったのか、猫でも分かるようになるので。

 

既に述べましたが、日本の地名の由来というのは、従来型の地名の由来は意味不明で、明らかに後世に適当に後付けされたたものばかりで、ご先達の皆々様方には誠に申し訳ございませんが、今、通説、常識とされる地名の由来は、殆どデタラメ、そう思います。

実際の地名の由来はこうです。東北地方を例に出します。

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右側が東北地方の、よく知られた県名をあらわしたもの。

左側は中国地方を中心とした地域図。律令制時代の旧国名(一部郡名を含む)を描いています。

ちなみに中国地方の県名と旧国名

山口県長門国周防国

広島県安芸国備後国

島根県石見国出雲国

岡山県備中国備前国美作国

鳥取県伯耆国因幡国

兵庫県但馬国播磨国

という感じ。

図の左右を比較するとわかりますが、東北地方の県名の由来は、中国地方の旧国名にあったということです。

青森は周防に対応し、

秋田は安芸を由来とし、

山形(出羽国)は山縣郡と出雲国を由来とし、

岩手は石見国を由来とし、

宮城は吉備を由来とし、

福島は福井を由来としたので、

東北地方と四国地方周辺の地名が、ありえないレベルで一致してた。

これが本当の日本の地名の由来だったんですが、こういうのを今まで馬鹿みたいに研究してきたんですが。

発表予定の電子書籍では、データが膨大になってますが、今まで調べた日本の地名の由来について、真相を全てあますところなく記しています。

 

ところで、俺は大人になっても罵声を浴びせられたりして、イジメられていますが、そういうのも世の中の手の届かないところで仕組まれた運命の一部だと思うようでもあり、俺がなんやかんやと弱点を作って失敗を重ねたり、大勢からイジメと迫害を受けることと、古代史の封印解きは、関係があるかもしれないようでもあり。

要するに、開かずの扉を開こうとすると、鬼がわんさか出てくることになるのが、決まってたということなのか。

もしそれが合ってるとすれば、知ってる人は教えて欲しいのですけど、俺の役割はおぎゃーと生まれたその時から、未知の扉を開けること、だったかどうか・・・。

 

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