先日の台風19号が来る前、道に大きながまがえるがいた。
近くに沢があるので、こういうのもいるのかと。
ゲコゲコ・・・
比較対象として500円玉を置いてみると、その大きさが分かる。握りこぶしよりでかくて、なんか力強い。
このガマはガマの油とか言って、昔からある血止めの軟膏薬になるイメージですが。体内や皮膚に強い毒を蓄えてるとか言うので、手のひらでじかに触ったりしないほうがいいらしい。
○いつも助かっております
蛙は博識と考えられてきた
八十神を撃退しスサノオに認められた神である大国主神が、出雲で国造りをする時。
小人と蟾蜍(ひきがえる)と案山子(かかし)が、その手助けをしてたという。
・小人は少彦名命(すくなひこな)
・蛙は多邇具久(たにぐく)
・かかしは久延毘古(くえびこ)
この多邇具久は、今でいうかまがえる(ヒキガエル)のことだとか。
蛙は古来より人々に馴染みの動物でした。
蛙とは本来、世の中を知り尽くした動物とかんがえられていました。
それは古今東西、井戸の外側にはどこにでも蛙がいるから。
ところで蛙には、ことわざや有名な俳句なども色々あるようす。
「井の中の蛙大海を知らず」
これは井戸に潜む蛙とは、世界のことを何にも知らないことを例えたことわざです。
しかしこれは逆に言えば「井戸の外の蛙は大海を知る」という意味合いが隠されている感じがします。
「蛙の子は蛙」
そう、その叡智は、蛙の親から子へ代々伝えられていたようです。
誰でも知ってる有名な一句。
「古池や 蛙(かわず)飛びこむ 水の音」
これは古い池に飛び込む蛙が要点でした。蛙は人間も知らない古代のことも知っているということになり、「井の中の蛙大海を知らず」の逆の意味を表すかのよう。
「蛇に睨まれた蛙」
たとえ蛇に睨まれちゃったとしても、その知識は失われないものです。
「蛙が鳴くから帰る」
蛙に従って帰れば間違いはないという。まさに蛙は神の使徒らしく信じられてきた証。
「蛙の面に水」
たとえ嵐だろうと大地震だろうと。蛙はへっちゃらなのです。
蛙の古名と世界言語
蛙を表す日本語例
蛙・かえる(かへる)
蛙・かわず(かはづ)
多邇具久・たにぐく
蟾蜍・ひきがえる
蝦蟇・がまがえる
雨蛙・あまがえる
多邇具久(たにぐく)というのは不思議な響きで、これは「谷にゲコゲコ鳴くから」みたいな意味合いにも感じ取れます。これはあくまで日本国内に限定ですが。
しかし、さらに世界の言語と比較してみると、共通するものが見つかったりしました。
インドネシアのアチェ語では、蛙のことをCangguëk(カンゲック?)と言うとか。これは明らかに多邇具久との共通する発音だったりする。
フィリピンのパンパンゲ語(^o^)のTugak(トゥガック?)にも、なんか共通点が見えました。
蛙
Tugak Tu- -ga-k(パンパンゲ語・フィリピン)
Taniguku Ta-ni-gu-ku(日本古語・多邇具久)
このへんは、たぶん大昔にフィリピン人やインドネシア人とつながりがあった、その名残かと思われました。
縄文人の源流である、東南アジア(スンダランド)からの流れで。
さらに興味深いことに、南米のほうにカエルそっくりな呼び名を持つ民族がいました。
蛙(かえる)
K'ayra K'a-y-ra(ケチュア語・ペルー)
Kaeru Ka-e ru(日本語
カイラなので、カエルの母音が入れ替わった呼び名なんだなと分かったりしますね。
最新の研究ではアメリカ大陸のインディオは縄文人に近い人々だったとか。ということは環太平洋の言葉と人の遺伝子は、縄文人によって繋がってるということに。
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サンレモン(SUN LEMON)
崇められた蛙
あちこちに蛙が崇められてる様子は、神社や仏閣を見ればわかったりします。
蛙の像が置かれていて、特別なご利益が信じられて来たらしいです。
・わかがえる(若)
・よみがえる(蘇)
・むかえる(迎)
・さかえる(栄)
みたいな。
神の使いとして蛙が崇拝され、蛙の多邇具久が大国主に仕えて利益をもたらしたことにも、通じるではないですか。
しかしどうもこれらの言葉は、人の生死や、栄枯盛衰や、老若の要素に関連づいている気がしました。
老いからの若返り、死からの蘇り、あの世からのお迎え、衰退からの繁栄、みたいな感じ。
たぶん蛙という動物が、古代から「あの世につながる存在」と考えられたことが関係しているような気もしました。
あの世につながる蛙と月
そういえば「旧約聖書」でも、蛙の神様がいた。その名はミカエル。蛙と関係するのかどうかは知らないけれど、神の世界に通じる意味では、たにぐくと共通するようでした。
蘇(よみがえる)と言うように蛙は死者の蘇生、黄泉(よみ)の世界にも通じるようです。そういえば蛙は「かへる」で「ヘル(HELL・じごく)」的な音を有するし。名は体を表す的な、運命的な解釈も出てきてしまいますが。
かえる→かへる(古語)kaheru→kahel→ka-hell
そうすると多邇具久(たにぐく)というのも、地獄の谷(ごく)、地獄の獄(ぐく)の音を持っているとすれば、やっぱり黄泉=地獄を渡ってきていたのかと。
そうなると「かわず」は「三途の川」の「川途(かわず)」なのだろうかと。死ぬ時に「あの世へ帰る」と表現するのも、あの世に蛙がついてまわっているようです。
そもそも黄泉というのは泉なので、蛙が住むにはいい場所だったかもしれませんし。すると黄泉の蛙が蘇る(黄泉がえる)なんて言うダジャレを利かせたくなるのが人情だったりするし。
英名のフロッグというのも水をためた施設「フロ=風呂」を含むので、日本語的なニュアンスが入ってるもんだなと感じたりするのですが。
蛙 かへる ka-hell(hell=地獄≒黄泉)
蛙 かわず 川途→三途の川
多邇具久 たにぐく 谷獄→地獄谷
で、この想像があながち間違ってないんじゃないかと。
というのは、道教の蟾蜍の神話を見て分かったりします。
蟾蜍(センジョ)とは コトバンク
デジタル大辞泉の解説
せん‐じょ【×蟾×蜍】
1 ヒキガエルのこと。
2 《西王母(せいおうぼ)の秘薬を盗んだ姮娥(こうが)が月に逃げてヒキガエルになったという「後漢書」の伝説から》月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと。
世界大百科事典内の蟾蜍の言及
【嫦娥】より…《淮南子(えなんじ)》覧冥訓に,羿(げい)が不死の薬を西王母に求めたところ,嫦娥がこれを窃(ぬす)んで月に奔(はし)ったことがみえ,そこでは嫦娥は羿の妻と解されている。月に奔った嫦娥は月中の蟾蜍(せんじよ)(がま)となり,月の精となった。そのことは《楚辞》天問にも歌われていて兎となったとされ,晋の傅玄(ふげん)の〈擬天問〉には,兎が薬を擣(つ)く話となっている
ひきがえる(蟾蜍)が薬をとって逃げた先は、月だったとか。この月というのが、黄泉(地獄)に関係するというのは日本神話から見えたりします。
前回の記事でも書いてましたが。
イザナギがどうにかこうにか鬼妻イザナミの支配する黄泉から地上に帰還した時。筑築の日向の橘の小戸の阿波岐原(ちくしのひむかのたちばなのおどのあわきはら)で穢れた身体の禊ぎ(みそぎ)をしました。
この時に右目を洗うと月読命(つくよみ)が生まれたとあります。黄泉(地獄)のエキスを元にして生まれたのが、日本の月の神なのであります。
同時に黄泉のエキスを元に、左目から天照大神(あまてらす)、鼻から素戔嗚命(すさのお)が生まれたのであります。
「月は黄泉(地獄)と繋がっている」とは、日本の古代人が伝えていた話だったのですよ。
だから「月読=月黄泉」なんすよ。
そういえばシュメールの冥界の神、イナンナは、月神の娘と伝えられているとか。
ということは日本神話で冥界(黄泉・地獄)から帰ったイザナギが月神を生み出したことと、なんか明快に繋がりを感じ取れる話です。
NASAがぱったりと月面着陸をやめちゃったのも、月面で地獄の一端を見たからなのかもしれませんが。
蛙が鳴くから帰るというのは、黄泉に帰る意味合いがあるのですかね。
そういう意味で多邇具久という出雲の蛙神が、黄泉のことすら熟知していてもおかしくなかったですね。
まぁ、黄泉につながる出雲の支配者、大国主神の使者の蛙なのだから、何ら不思議はない感じです。
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