なんか工事もいったんやめて、ライターを再開してるのですが。
まるっきり理不尽な「トゥルーマン・ショー」で、バカみたいな人生だとつくづく感じる。この世界が、いろんな形になって粘着質に絡みついてくるので。
それにしても、隣のおばさんが連日朝から晩まで叩く叩く。くだらない覗き嫌がらせに夢中で異常につきまとって嘲笑して、うちじゃない音にも一々叩き返したり。どうすんのこれ。
○いつも助かっております
桃の語源
たわわ、たわわと実る桃。実は桃は、日本原産じゃなかったです。中国の北西、東トルキスタン(新疆、タリム)のほうに発祥するとか。
縄文時代前期に小型の桃が入り、後に弥生時代の卑弥呼の頃、栽培品種が入ってきたらしい。
欧州でピーチと言うのは、ペルシャが最初に中国の桃を栽培したからと。
・・・という上記までは、ウィキペディアで見ました。
日本語の桃(momo)はなんか不思議響きですが、語源については諸説あるようで、定説としては以下のものが示されていました。
“もも”の語源には諸説あり、「真実(まみ)」より転じたとする説、実の色から「燃実(もえみ)」より転じたとする説、多くの実をつけることから「百(もも)」とする説などがある。
・真実
・燃実
・百
なんか、これら全部、的外れな印象。
なぜなら、本来の桃の語源というのは、日本神話のあの話に関係するような気がしたから。
日本神話の桃
このももという不思議な響きの本当の語源は、日本神話のなかに見つかります。
イザナギが黄泉の国から帰還するとき、黄泉大神こと妻イザナミが解き放った、雷神と、黄泉醜女(よもつしこめ)というゾンビ軍団。こいつらに襲撃されました。
そのときにイザナギが黄泉の大地に実ったもの投げつけと黄泉醜女を退け、命を救ったのでした。
この桃は活躍を称えられて「意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)」と名付けられました。
『古事記』では黄泉の国の条に登場する。伊邪那岐命が、亡き妻の伊邪那美命を連れ戻そうと、死者の国である黄泉の国に赴くが、失敗して予母都色許売や8柱の雷神、黄泉軍に追われる。地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の実を3個取って投げつけると、雷神と黄泉軍は撤退していった。
この功績により桃の実は、伊邪那岐命から「意富加牟豆美命」の神名を授けられる。そして、「お前が私を助けたように、葦原の中国(地上世界)のあらゆる生ある人々が、苦しみに落ち、悲しみ悩む時に助けてやってくれ。」と命じられた。
日本書紀
『日本書紀』では神産みの第九の一書に登場する。『古事記』と同様に、イザナギ命は黄泉の国で8柱の雷公に追われる。その時、道端に桃の樹があり、その樹の下に隠れて桃の実を採って投げつけると、雷公は退走していった。これが、桃を用いて鬼を避ける由縁であると記されている。
この、桃で邪気を払うという思想、明らかに中国の道教の影響が入ってるのですが。
意富加牟豆美命は、事実上は桃というか戦士だったよう。
ここに桃がモモと呼ばれるヒントがありました。
桃と守護
要するに桃は、日本神話では「イザナギの守護神」としての役割があったわけでした。
ここで、意富加牟豆美命、桃、守護という3つの要素に、なんか接点が見えてきました。
意富加牟豆美命を分解すると、
・意富=大(おほ)
・加牟=神(かむ)
・豆美=実(み)、摘(つみ)
・の命=みこと(貴人の尊敬語)
となり、「大いなる神の実」あるいは「大神(イザナギ)が摘んだ実」の意味がでてくるんですよ。
ここの「豆」「豆実」が、どうやら「桃」に対応しているのだと気がつきました。
豆=mame
桃=momo
と子音が一致しますが、これが偶然ではなかったです。
豆は2つに割れるものと、古今東西で相場は決まってますが、桃の実も左右に割れてる尻的な外観です。
桃の「兆」は「きざし」であり、予言や占いに関係します。桃の解字では「二つに割れる様子」とあって、これも豆に共通してるところでした。
また、「兆」とは逃げる意味があり、イザナギが黄泉から逃げる様子とよくマッチする漢字でした。
ここに意富加牟豆美命と桃に共通する「守護=守り」の意味を含めて音を検討してみれば、
豆=mame
桃=momo
守=mamo
となって、3者の子音と母音の相似という接点が見えてきました。
要するに何故日本語で桃はモモと呼ばれてるのか、そのほんとの語源は「イザナギの黄泉の逃走劇で、守護した桃」にあったのかもしれないなと。
神話をもとにして、日本人は桃をモモと呼んでるんではないかと。
はごろも 甘みあっさり黄桃ダイスカット 1.5kg (5416)
脚の腿(モモ)はイザナギの逃げ足
するともうひとつのモモについても、解釈が想像できました。それは古来より腿(モモ)と呼ばれた、脚のこと。
何故あしをモモと呼ぶのかは不明なことで、なんで桃と一緒なのだろうとずっと不思議に思ってました。
しかし以上の桃の解釈を前提にすると、答えはやっぱりイザナギの逃走にあったのかと。
腿というのは、辞書で引くと
デジタル大辞泉の解説
たい【腿】[漢字項目][音]タイ(呉)(漢) [訓]もも
ももとすねの総称。「下腿・大腿」
大辞林 第三版の解説
つぶし【腿】
① もも。 〔名義抄〕
② ひざ。つぶぶし。 〔日葡〕
③ くるぶし。〔節用集 文明本〕
要するにくるぶし、かかと、ひざ、すねなどの下腿、ひざ、ふとももなどの上腿まで、脚の全部が腿(モモ)なんです。
で、腿は「月編に退(逃)の旁」を持ってる。まるで月から退く(逃走する)かのよう。
桃の実により逃走したイザナギの逃げ足を記念して、脚を腿(モモ)と呼んだとすれば。
腿に「退く=逃げる」意味がでて来るのも納得な感じ。退くはシリが入っていて、ここでも桃に繋がってくるのも偶然じゃないようです。
逃げたイザナギの桃と腿の接点が、これでしっくりとするわけなのでした。
色々発想
・波斯(ペルシャ)は桃
・波斯は箸
・箸墓とは桃墓ということかもしれない
・桃太郎と鬼
・桃の古訓は弁える
・卑弥呼は百襲姫
・百襲姫は桃襲姫
関連記事
・イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論