たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

2019年の春散歩で気がついたこと

先日(15日)に久しぶりに散歩した。

心臓の動機が酷くなってたのであんまり無理してないですが。

それでこの世界について、ちょっと気くことがあったりしました。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

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ナイスビューを実感できる数少ないポイント。

 

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樹々のトンネルみたいな感じになる林道。

 

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これまた空の青さと新緑。

 

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空を見上げると樹木の天井。

 

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木は上に伸びるという法則を無視して、ひたすら横に伸びていく樹木の枝々。

 

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道端にはワラビっていうかクサソテツ。太陽系のスパイラルな法則に従って、スパイラルに広がる。これの新芽がブラックホール的に渦を巻いたコゴミで、美味しかったりする。

 

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断崖の上にはこれまた芸術的な樹林。のぼって景色を確かめてみたいのだが・・・。

 

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夕方日が落ちて来たので引き返す。日光も、枝で遮られると直視ができる。何事も直視はしないほうが精神衛生上は良いのかもしれない。

 

と言った感じ。

 

この土地には昔からの寺院があるのに関係して、森のなかには古道も埋もれてる。

それで国土地理院の航空写真によってこの辺りの地図を見ると、戦後の頃までは誰かの土地で、山の上には広範囲に畑が広がってたようだった。いま通っている道は1960年代に作られたらしい。

ただ残念なことに、ここは上から下までゴミだらけ。なんでそんなにゴミを捨てたいのかわからないけど、この道はドコまで行ってもゴミだらけ。

サビた空き缶を見ると、それはもう1980年代頃に流行ってたジュースだったりする。レトロ大好きな人がそんなアンティークなゴミを見れば、拾ってみたくなるかもしれない。林道を歩けば、なんでそんなにゴミを捨てるのかと小一時間考えさせられたりする。

綺麗な写真には写せなかった、汚い風景。綺麗なものには必ず汚い要素が入ってる。

むしろ周囲を穢して意地悪な薄汚い世界にしないと、じょうずに進めない種類の人間が多いのかも知れない。

文化も、言葉遣いも、物質も、通りすがる自然も、人の精神すらも薄汚れた世界なのは、汚して生きやすさを求めた結果なのかもしれない。

この林道もそんな綺麗な風景と一緒に、人の息苦しい世界を表現して俺に見せてくれてるらしい。

 

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近ごろまた、卑弥呼のことも気づいたことがあったりしました。卑弥呼っていうのは、日の巫女とか解釈があるのですが、忌み子に関係している説です。

なんで卑弥呼のことがこんなに気になるのだろ~か。

これはまたいつか。