たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

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最近も日ユ同祖論を否定する傾向が高いようですね。

個人的には何でもいいですが、今後も日ユ同祖論支持の方向で行きたいと思います。

 

前回の記事

天武天皇がどれだけ秦の始皇帝を手本としたか分かる話

 

 

耶蘇

 

例の犯人はヤスでした。

しかしむかしの日本では、キリスト教といえば耶蘇教なんて言われてました。

この耶蘇というのは「Jesus」の音写だったりしたのですが。

Jesus→耶蘇→ヤソ→YAS→YES→イエス」だったりしました。要するにイエス(jesus)に漢字を当てて耶蘇としたのです。

 

 

世界大百科事典内の耶蘇の言及

耶蘇会日本通信】より …1598年ポルトガルのエボラで出版された《日本シナ両国を旅行せる耶蘇会のパードレおよびイルマンなどがインドおよびヨーロッパの同会会員に贈った1549年より1580年に至る書簡》,いわゆる《カルタス・ド・ジャポンCartas do Japão》の日本訳の書名。耶蘇会(イエズス会)の耶蘇はJesusの近代中国音訳語〈耶蘇〉を音読みしたもの。

耶蘇(ヤソ)とは - コトバンク

 

これは中国が清となった近代、イエズス会が中国に入ったときに、イエスという音を漢字にあてはめて耶蘇としたことに由来します。

日本でも江戸時代の頃、キリスト教は長らく耶蘇教と呼ばれていたとか。

蘇は現代中国語のピンインでsuなので、耶蘇はyasuですかね。日本語の呉音で「蘇=ス」、漢音で「蘇=ソ」というわけで。

すると、むかしの中国人が耳にしたJesusは、「ヤソ・ヤス」に近い発音だったと見られます。これ、どこの地域の発音なんだろうかと。気になりました。

 

 

ヘブライ語のJesusはヤシュだった

 

ヘブライ語でJesusの発音を調べてみると、こうでした。 

Jesus の発音: Jesus の 英語, ポルトガル語, スウェーデン語, ラテン語, ヘブライ語, タガログ語, ドイツ語, スペイン語, 北サーミ語, アフリカーンス語 の発音

ヘブライ語「Jesus=ヤシュ」

に聞こえてしまうんですよ、しってましたか。

つまり、驚くほどに、耶蘇(ヤソ)っぽい。

 

ということは、中国の清朝に入ってた宣教師は、ユダヤ人だった可能性が高いです。

なにしろ欧州人は、Jesusをイエススやジーザスと呼んでたっぽいからです。

 

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ちなみにこの絵は昨日てきとうに描いてた絵です。ほんとはイラストをもっと描きたいですが、時間がないので無理な感じがします。

 

 

耶蘇の意味

 

ここで興味深いのは、漢字の意味も整合させてることでした。

キリスト教のことはイエスの偉人伝を読んだ以外は詳しくシリマセンが、イエスのことを御父とか御子だとか表現していたりするのです。

そんでもってイエスと言えば「最後の晩餐のあとにとっ捕まって磔の刑となり、一度槍で貫かれて死んだのだけど、生前に予言した通りに棺の中でこっそりと甦った」とかいう話が伝わってたりしますね。

 

耶蘇の「耶」は、「父」という意味

耶蘇の「蘇」は、「よみがえる」こと

 

だからむかしの中国人は、イエスに「耶蘇」の字を当てたというわけだったりしました。

 

 

八色とイエス

 

そんでもって本題となる、「八色の姓(やくさのかばね)」ですが。

耶蘇とはまるで関係ない話のようですが、実はこれ、関係してました。

何しろ、八色を別の読み方にすると、ヤショクで、夜食?いいえ、「ヤショ」だった。

あるいは、八色はヤシキで「ヤシ」が入っていたんですね。

なんかヤショとかヤシとか、「耶蘇」に似てる。つまり、イエスに通じるものがあるんだなと。

 

 あと「旧約聖書」のあっちの世界では神のことを「ヤー」と呼んだりします。

八を「ヤー」と呼ぶのは日本語ですが。

日本では神様と関係する物や土地には、やたらと「ヤ」がついたりします。八百万神、八重垣、八千矛、八幡神八咫烏、八咫の鏡、八岐大蛇、八十神、ヤマ(山岳)、ヤマト(大和)。

 

あと「旧約聖書」では神の名をエルとか言って、エロヒムとも呼ばれてますが。これがどうもラリルレロで当てはめて、エラ、エリ、エル、エレ、エロという神様の五段活用が当てはまっていたりしますね。

で、騎馬民族のほうでは、エルからイリ、イルみたいなほうに転訛していたわけなのです。そのイリ、イルに一字を当てはめるとしたら、「色」もありだったりしたのかなと。

 そうするとこうなるのです。

八(ヤ) = yah=神

色(イロ)= iro=ir=el=神

 八色と並べると、意図的に「神神」となるように、八色の2字を選び出しているのではないかと。

 

それは前回の記事でも記したとおり、秦の始皇帝が神であり、自らを始皇帝の生き写しとし、道教の神を信奉しまくった天武天皇が、秦と神にやたら こだわったことに関係するのではないかと。

そうすると空海の作と言われる「いろは」歌が、なんで「色は匂へど散りぬるを」で色から始まっているのか、そしていろは歌を7文字7列に並べると隅っこに「イヱス」が出現し、一番下に「トカナクテシス(咎(とが)なくて死す)」が現れてくるのかとか、色々と関連を調べたくなってくるのですが・・・。

 

ところで、油性ペンの八色を思いついたので貼っときます。

 

 

ゼブラ 油性ペン マッキー 極細 8色 MCF-8C

 

 

八色の姓烏孫と西域諸国

 

さて、前回の記事のとおり、真人が秦人に掛けている言葉なのは、個人的には確実視するのです。それは天武天皇が秦の始皇帝道教の信奉者だったから。

 

もうひとつ、真人のあとに来る朝臣が、強烈な示唆を含むことがわかるのですが。

それは、朝臣と呼ばれている姓。

これがどうも、「烏孫」を元にしている言葉であるのではないかと。

何故かと言うと、真人が秦人ならば、国名を列記していておかしくないなと考えたからです。それは秦より西側の西域諸国が殆どを占める感じがしました。

 

真人・・・しんじん・・・秦人

朝臣・・・あそん・・・烏孫(うそん)

 これだけ見ると、もう確実視出来る感じがするのですが。この2つの国は時代は100年違っていますが、月氏の土地に隣り合うという位置関係でよく似ていました。

一説に秦の始皇帝月氏から出ているとされるし、月氏自体はコーカソイド系でイランとか地中海方面が出自だと言われます。

烏孫のほうは、西から月氏の土地に入り込んで常に隣り合う位置関係を示しました。個人的に烏孫古代イスラエル系だったと考えていたところなので、月氏と隣り合っていたのも必然に感じました。

それでほかの八色の姓についても、西域を中心に当てはめられる感じがしました。

つまり天武天皇八色の姓とは、秦系と西域系を優先する身分制度だったのではないかと、考えてしまいます。

 

朝臣(あそん)以下の、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲木(いなき)。

これらを八色と同様に、本来の読みとは違った読み方をすれば、

 

真人・・・シンジン・・・秦人

朝臣・・・アソン・・・烏孫(西域)

宿禰・・・スクネ・・・ソグド・サカ(西域)ソグドはユダヤ

宿禰・・・ヤドネ・・・ユダヤ(中東)ユダヤからソグドが出た

忌寸・・・キズ・・・危須・亀茲(西域)亀茲から聖徳太子が来た

忌寸・・・インキ・・・焉耆(西域)

道師 ・・・ドジ・・・タジク(西域)万里の波(長城)を超えた田道間守

臣・・・元々倭にあった(倭人

連・・・元々倭にあった(倭人

稲置・・・イナ国・・・委奴国(倭人

 

というふうに、秦・西域・日本の身分の高い人々を、「一番昔まで遡った先祖の出身ごと」区分けしたのが八色の姓」かもしれないなと。

この区分けが合っているかは分からないですが。天武天皇は筆者と同様に、「天皇大和民族烏孫起源・西域起源」を信じていた可能性がある予感。

中国史書を見る限り倭国の中枢はユーラシア各地からの帰化人だらけ

 

 

八色の姓と 西域をつなぐ景教

 

で、ここに八色(ヤシュ・・・Jesus)が関わってきます。それは彼ら西域人や西域出身倭人が、5世紀のネストリウス派景教)か、それ以前の原始キリスト教を信仰に入れていたからではないかと。

3世紀以前、歴史的に倭国にはキリスト教は入ってないとされますが。

しかし「魏志倭人伝」では「持衰(じさい)」という人柱の風習で、吉凶を占ったとかいう話がありました。これがどうもジーザスではないかと、そんな解釈をしている人もいました。

天比登都柱から見えてくる倭国の人柱文化

 

日本書紀」では聖徳太子の項目に、明らかにキリストの死と復活を記したようなヶ所が登場してたりします。

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日本の古墳を掘ってみたら「双魚佩(そうぎょはい)」という謎の飾りが出たりします。これは2匹の魚がくっついていて、上になんかパンみたいなものが乗っかっているやつ。

2匹の魚っていうのは、実は中東や西洋では、イエスそのものを表すシンボルだったりするのですが。日本の歴史学者の人は、これはキリスト教の遺物だとかは言わないで、大陸系の護符だとか言っているようです。

 

つまり天武天皇のいた7世紀はもちろん、聖徳太子のいた6世紀はもちろん、卑弥呼のい・た3世紀には、既に原始キリスト教騎馬民族遊牧民の移動に伴い、倭人のなかにまで入り込んでいたのではないかと。

一方の西域の東トルキスタンのほうは、5世紀頃にはもう西域ではキリスト教が支配的な勢いだったといいます。

しかしじつはキリストの死の直後の1~2世紀の段階で、原始キリスト教騎馬民族の流れに乗って、西域まで入っていたんではないかと考えられました。

 

こうしてなんで「八色の姓」が、キリストを表す八色と、西域諸国の名前という、異なるキーワードで繋がっているのか、真相が見えてきたわけですが。と言っても、これも想像に過ぎないんですけどね。

 

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