これはほとんど知られざる、日ユ同祖論のおはなし。
○いつも助かっております
意富比
先日アイヌの日ユ同祖論についての記事を書いたら、胆振について興味深いコメントいただいたので、それについて。
上古に見られる意富比(おおひ)神社の名が、どうも胆振と同様にヘブライ(イブリー)からきているのではないかという説。
要するに、
ヘブライ・イブリー → 意富比(いぶひ)→いふひ→おほひ →おおひ
こんな感じでまとまってきました。アイヌの方では胆振として残り、大八洲(日本)のほうでは意富比の名で残った可能性はあるかと。
ちなみに「意(い)」と読むのは古代中国から伝わる音読みで、「お」と読むのは古代日本の古訓でした。「おおひ(おほひ)」という神社名に、「いぶひ」と読めるように意富比の漢字を当てているのが確実です。
意富比の名を冠するのは船橋市の意富比神社で、景行天皇の頃の創建だとか。景行天皇陵は4世紀後半の築造なので、古墳時代前期頃の創建なのかと。千葉でもなかなか歴史が長いようでした。
・・・ところで現時点の祭神と、上古の本来の祭神が入れ替わるというのは、古来よりの神社でよくある話です。しかも祭神は入れ変わって古い祭神は不明となってしまったとしても、神社の名に元の祭神名を残す傾向もあります。
いま意富比神社は天照大神を祭神としてましたが、本来は「意富比神」を祀っていたから、この名が残ってる可能性もあるんではという気がしました。なにしろ日本神話には「意富」がつく神様がちゃんといるからです。
さて意富比神社の名の由来については、ウィキペディアを見るとこんなふうにあります。
社名の由来
社名となっている「意富比」の由来については諸説ある。主なものを以下に示す。
・大火あるいは大炊の意で食物神とする説。
・夕日を真正面に受ける高台にあることなどから夕日とみる説
・古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説
・大日の意で、この地方の農民がもとから信仰してきたお天道様(太陽神)とする説[1]
やっぱりというか、日ユ同祖論の話は出てないようでした。
この意富比が胆振と同じでヘブライやイブリーを指すものだという根拠は少ないですが、ただ意富の名を持つ神から、ヘブライ繋がりのヒントは得られます。
意富の神
太安万侶(おおのやすまろ)編纂の「古事記」などを見れば、意富の名を持つ神や人物は散見できます。ところで太安万侶という人物自体も、この件に繋がりが見えていました。
古代の有力豪族である意富氏の氏神とする説
のことです。ここにある意富氏というのが、太安万侶の太氏と同じ「おほ(おお)氏」のことでした。
そして意富の神や人物を見ればこんな感じです。
・意富斗能地神・大斗乃弁神(おおとのじのかみ・おおとのべのかみ)
・意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)
・意富伊我都神(おおいがつのかみ)
・意富多多泥古(おおたたねこ)
・意富夜麻登久邇阿札比売(おおやまとくにあれひめ)
・意富比垝(おおひこ)
・意富杼王(おおどのみこ)
・意富安万侶(おおのやすまろ)
これらは本来ヘブライ加牟豆美命だったり、ヘブライ多多泥古だったりすると、面白いことになってきますが。しかし根拠が希薄だとか言われてしまいますね。
神世七代と呼ばれる八百万の神の中でも原初中の最初の神がいましたが、その中に意富斗能地神・大斗乃弁神が含まれていました。
この2柱については、以前にこんな記事かいてました。
トンデモですが、神世七代にはアトランティスの記憶が入っているのかもしれないと、言う話でした。同時にヘブライの記憶も、あわせ持っているかもしれないなと。
何しろ話の筋が、アトランティスと、「旧約聖書」のエデンの園と、日本神話の神世七代の関わった淤能碁呂島の3者は似ているのだから。
・アトランティス アトラス神 蛇(ゴルゴン) 柱 火山
前回の記事より。
するとヘブライ人の「 旧約聖書」と日本神話の意富斗能地神の繋がりが出てくるわけです。
意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)については、イザナギが黄泉醜女に投げつけた桃の神格化です。黄泉の出来事についても、以前こんな解釈してました。
・イザナギ神話に旧約聖書の「十の災い」が入ってるとかいう日ユ同祖論
すると意富はイブリーだけじゃなく、「旧約聖書」に登場する原初の人間「イブ」を意図してるのかと言う感じもしました。
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奇妙な灯台繋がり
ちなみに意富比神社が創建された当時、海水面は4メートルほども高く、関東の内陸の奥深くまで海域は広がりを見せていました。
いま東京湾と呼ばれる海域は内海とか呼ばれ、太平洋に近い海域は走水と呼ばれてました。いまは学術的に古東京湾とか江戸湾とも呼ぶらしいです。
明治の頃には今と変わらぬ海水面の高さでしたが、東京湾の埋め立てはされてなかったので、意富比神社のすぐ間近に海があったらしいです。境内には明治のころに灯明台という名の灯台が建設されました。これがどうも奇妙なことに、ヘブライ人とも繋がりがあるようです。
古代のヘブライ人はミスルと呼ばれた古代エジプトに居住した時代が長かったのです。このエジプトのアレクサンドリアという港町には、世界の七不思議に数えられていたファロス島の大灯台が建っていました。
この2か所の灯台の特徴を比較すると、以下の通りです。
完成:紀元前288~246頃 高さ134m 3層
船橋「意富比神社の灯明台」
完成:1880年 高さ約12m 3層
運命的な繋がりが、あったとか無かったとか。俺が取り上げた時点で両者は繋がってしまいましたが。
まァ想像でしかない話でした。
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