たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

確かに蛇オタな卑弥呼から導かれる居城の情報

 

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ラー - Wikipedia

 

今回は卑弥呼と蛇の繋がりから見えてくる、卑弥呼の生活や居城の様子についての想像。

 

それにしても、引っ越して1年以上経過したけれど、相変わらずドドーンと爆音が飛んでくる。自衛隊の演習の音というか、旅客機が飛ばす秘密の衝撃波というか・・・。

それで隣のおばさんが、この騒音は俺が叩いて出してる音とか決めつけるような話を聞かせてくる。さらに壁やら床やらを叩き返し、音真似をし、ドアをバーンと閉めまくる。

ここ数日はとくに倦怠感がすごく心臓チクチク。息苦しく、昨日はノックダウンした。猛攻にやられてる俺。

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○いつも助かっております

 

 

 

卑弥呼の蛇

 

卑弥呼の名前には、色んな意味が込められてるのだった。

ひとつには蛇。

蛇は古語では「へみ」。だから卑弥呼は「へみこ=蛇子」だったということです。

 

蛇というのは古来より水の属性をあらわす動物、水の精霊でした。

干支での蛇は「巳(み)」であり、「水(み)」が同じ音なのも、水道の蛇口を蛇の口といって、水と蛇が結びつくのも、偶然じゃなかったです。

人は蛇を嫌っても、常に蛇にお世話にならざるを得ないというわけでした。古代人が決めた宗教的な思想が、脈々と知らず知らずのうちに、21世紀まで受け継がれてました。

 

卑弥呼倭迹迹日百襲姫命の蛇

 

卑弥呼の別名が「日本書紀」での倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめ)であるとかいう仮説は、ずっと根強いです。

ならば、卑弥呼もまた、蛇神との深いつながりをもっていた事になりますよね。

倭迹迹日百襲姫命の「日百」は「ひも」は「紐」ですが、これは「縄(くちなわ)」と同じで、蛇をあらわす言葉でもありました。

卑弥呼倭迹迹日百襲姫命は、「ひみ」「へみ」「ひも」という音で蛇を表していて、名前にも関連が見い出せたわけです。

日本書紀」で、倭迹迹日百襲姫命は、蛇神の大物主と、夫婦になったわけなので。そうならば、卑弥呼自身が、蛇神と婚姻したという話でした。

 

 卑弥呼と太陽と蛇

 

しかも卑弥呼は、太陽神=天照大神とも同一視される人でした。

太陽は水と相反する無関係なもの同士だから、太陽に蛇は無関係と思ってしまうところです。

しかし古代世界では太陽と蛇もまた、一対の関係を持っていました。古代エジプトの太陽神ラーの太陽円盤は、蛇のウロボロスの形で囲まれた姿であったように。

古代エジプトでは、太陽の永続性を、永遠の輪廻の象徴であるウロボロスで示しているのですかね。

 

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ウロボロス - Wikipedia

 

そういえば卑弥呼の名前も、「ひ(日)み(巳・蛇)子」と解釈できてしまいます。こうすると、卑弥呼の名前というのは「太陽と蛇」がワンセットだったとか。

だから卑弥呼の蛇は、お日さまの輪っか、つまりウロボロス型の蛇の目紋だったと考えられます。卑弥呼はまるで、エジプトの古代の思想を受け継ぐ女王かのよう。

そうすると「へみ」という言葉自体も、もともと太陽と蛇が一体化している言葉だったかもです。「日巳」で蛇。

 

卑弥呼と神と蛇

 

そもそも神という言葉も「かみ」なので「み」に関連付けているように考えられます。

神様が蛇だって?とか思われますが、実は伊弉諾と伊弉冊は、中国の蛇神の伏義・女媧や、メソポタミアのニンギシュジッダに対応する神格を持っているのですよ。

伊弉諾と伊弉冊が、天の御柱の回りを回転するのは、蛇神が螺旋をあらわすことに対応していました。イザ凪とイザ波というのも~~~で海水面の蛇を表しているわけなのです。

本来は「翼ある蛇」だった斐陀国は、金印の委奴国と同一の民。のちに匈奴の攣鞮氏が入り込み飛騨になったかも

 

天皇家卑弥呼が蛇に固執したが故に、漢や魏から受けた金印紫綬もまた蛇の形でした。中国の皇帝は、倭の女王は蛇神信仰をしていたと、知ってたわけなのです。

 

そうこう考えを巡らせていると、ふと思ったのです。

卑弥呼はあらゆるところで、蛇神に祈祷し、蛇神で占い、蛇神によって呪詛をかけ、蛇神とエッチなこともした蛇オタだったのだと。それら全てが鬼道の一部で、人々を惑わせたのであると。

それならば、蛇オタな卑弥呼の衣服、家具、雑貨、住居・・・全ては、蛇グッズで満たされていたのではないかと。それは居城も含むのではないかと。

 

 卑弥呼の居城も蛇

 

そういえば、蛇神大物主に関係してみても、やっぱり蛇だらけなのがわかってきますよ。

神大物主神が住まう処は、三輪山。これは別名を御諸山(みもろやま)といってましたが・・・。

三輪山=巳(み)輪山」「御諸山=巳(み)諸山」で、どっちも蛇と水に掛け合わせている言霊「み」を頭文字としました。

 

ということは、卑弥呼の周囲のすべてが、「蛇神に纏わるものでなければいけない」のではないかと。

そう考えると、卑弥呼の居所もまた、蛇をコンセプトにしているものだった可能性が見えてくるのですよね。

 

個人的に卑弥呼と同一視しているのが、崇神天皇でした。崇神天皇とは、卑弥呼が男装した姿だったのではないかと。天照大神が男装していたのだから、当然です。

そういえば、崇神天皇諡号は「御間城(御真木)」であり、やはり頭文字が「み(巳・水)」。

崇神天皇の居城の名は「瑞籬宮(水垣宮)」であり、これも「みず(蛇・水)」を意図しているのですよ。

この諡号と居城の名「み」は、完全に蛇と水を意図したものなのであり、卑弥呼大物主神と、全く同じで、無関係なわけがないのです。

 

それで、はたと気がついたのでしたが、卑弥呼の居城の形状というのも、いうなれば「蛇の目、ウロボロス」でなければならないのだと。

そうすると自ずと可能性は見えてきました。

 

1・卑弥呼の居城は水の「蛇の目」、水の輪っかに囲まれている

2・可能性が高いのはどこかの弥生後期の円形の環濠集落

3・卑弥呼の居城は水と蛇を冠する「瑞籬宮(水垣宮)」

 と、ここまで想像してみました。

では卑弥呼の居城探しは、蛇の目型をしている、環濠集落を中心に見ていけばいいのではないかと。

それでは奈良県桜井市金屋にある、磯城瑞籬宮で決まりではないか、と思ってたのですが、いまの奈良県の瑞籬宮伝承地は、環濠集落遺跡ではないことがわかっています。

じつは卑弥呼がいた、真の瑞籬宮があった場所は、奈良盆地じゃないのです。

 

つづく。

   

 

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