天照大神について。
俺が幼稚園のときに大人気だったらしく、お茶の間の良い子数百万人がテレビにかじりつき、そのまま微動だにせず時が流れたという伝説のサンバルカン。
太陽戦隊でなぜかイーグル・シャーク・パンサー。
両作ともにヘドリアン女王が出てくるので、続きという設定らしいです。
それにしても何で太陽で赤青黄の三色なのかって調べると、陸海空だからみたいな答えがでてきた。スーパー戦隊シリーズって、自衛隊っぽいのだろうか。それとも新興宗教関係だろうか。
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○いつも助かっております
天照大神のいた神世はいつの時代か
人によれば、天照大神の正体や、実在の年代は異なります。
(縄文時代はおおむね1万5千年前~2300年頃)
天照大神はキリストだとか
(キリストの時代は紀元前4年~紀元後30年頃)
(卑弥呼の時代は2世紀末~248年)
いずれもそう主張して、他の仮説を跳ね飛ばしている傾向があるとか。
しかし神世の天照大神についての記述には、なんかおかしい「別々の時代の混成」みたいな感じで書いてあるんですよ。そこを読まないと、天照大神の全貌には近づけませんでした。
天照大神は養蚕の神
「日本書紀」のほう、読むとこうありました。
(月夜見尊が保食神(うけもちのかみ)を殺し、天照大神が激怒した後)
「保食神は本当に死んでいた。ところがその頭に牛馬が生まれ、額の上に粟が生まれ、眉の上に蚕が生まれ・・・」
日本書紀(上)全現代語訳p32
「天照大神は口の中に蚕の繭を含んで糸を抽(ひ)くことができた。これからはじめて養蚕ができるようになった」
日本書紀(上)全現代語訳p34
天照大神が日本に養蚕をもたらしたと言う話。
養蚕の起源は弥生時代後期の徐福の民にある
中国における養蚕
歴史
養蚕の起源は中国大陸にあり、浙江省の遺跡から紀元前2750年頃(推定)の平絹片、絹帯、絹縄などが出土している[2]。殷時代や周時代の遺跡からも絹製品は発見されていることから継続的に養蚕が行われていたものと考えられている[2]。
中国では養蚕技術の国外への持ち出しは固く禁じられており[2]、特に秦による中国統一(紀元前221年)以後は統制が強くなったと考えられている[3]。また、2週間足らずで孵化してしまう種(卵)の運搬や餌となる桑の調達などの問題もあり、長い間、養蚕技術は中国大陸の外へ出ることはなかった[2]。朝鮮半島(楽浪郡)へ伝播したのは前漢の頃(紀元前108年頃)とされ、同じ中国でも南部の雲南省には後漢の頃に伝わった[2]。中国からヨーロッパへの伝来は紀元後の6世紀頃とされる[2]。
分布
日本における養蚕
歴史
日本へは弥生時代に中国大陸から伝わったとされる[4]。秦による中国統一(紀元前221年)によって統制が厳しくなったことから、蚕種はそれ以前の時代に船で運ばれたと考えられており、日本が桑の生育に適していたこともあってかなり早い時期に伝来した[3]。養蚕の伝播経路については諸説ある。朝鮮半島への養蚕技術の伝播との比較などから、中国大陸(江南地方)から日本列島(北部九州)へ直接伝わったとする説[5]などがある。
福岡県の有田遺跡(紀元前200年頃)からは平絹が出土しているが、当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている[2]。記紀には仲哀天皇の4年に養蚕の記録がある[2]。
195年には百済から蚕種が、283年には秦氏が養蚕と絹織物の技術を伝えるなど、暫時、養蚕技術の導入が行われた。奈良時代には全国的(東北地方や北海道など、大和朝廷の支配領域外の地域を除く)に養蚕が行われるようになり、租庸調の税制の庸や調として、絹製品が税として集められた。
縄文時代からは、蚕の絹は見つかってないのですね。せいぜい弥生時代中期あたりで出土例があるくらい。しかも中国は養蚕技術を外に持ち出してないという。
日本へは弥生時代に中国大陸から伝わったとされる[4]。秦による中国統一(紀元前221年)によって統制が厳しくなったことから、蚕種はそれ以前の時代に船で運ばれたと考えられており、日本が桑の生育に適していたこともあってかなり早い時期に伝来した
弥生時代に入ってきた養蚕技術は、徐福の民がもたらしたような感じですね。
つまり以下の
「天照大神は口の中に蚕の繭を含んで糸を抽(ひ)くことができた。これからはじめて養蚕ができるようになった」
日本書紀(上)全現代語訳p34
この天照大神をあらわす特徴のなかに、徐福が倭人に養蚕をもたらした出来事が、入り込んでいるんですね。天照大神が養蚕を始めたとある記述、ここは紀元前3世紀あたりのことではないかと。
保食神から蚕が生まれたとの下りは、養蚕が中国で誕生した場面を書いてるようです。
だから純粋に、天照大神が縄文時代の神さまだとか、キリストだとか、卑弥呼だと言えない、理由わかりますね。
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卑弥呼の「呼」が「ヨフ」で徐福(ヨフ)なことの説明がつく
以前にこんな記事書いてました。
卑弥呼は、自分の特徴を後世に残すため、自分で卑弥呼という名前を選んでいるのです。
「卑」でしゃもじの形にして、しゃもじ=前方後円墳を取り入れたのが自分であるとアピっていました。
「弥」は「彌」で「璽」なので公用印をあらわし、金印の授与者なことを示していました。
「呼」は謎でしたが、どうや邪馬台国の時代から天照大神の化身的な存在だったのかこの人でした。
そうならば、徐福が倭人にもたらした養蚕と、天照大神がもたらした養蚕という情報、両方を兼ね備える必要があったので、「呼」の一字によって徐福(ヨフ)を現していておかしくなかったです。
他にも時代を特定する要素は幾つか。
天照大神の時代に馬の登場
「保食神は本当に死んでいた。ところがその頭に牛馬が生まれ、額の上に粟が生まれ、眉の上に蚕が生まれ・・・」
日本書紀(上)全現代語訳p32
(天の岩戸神話の直前)
素盞鳴尊が斑駒(馬)を生剥ぎにして、部屋の中に投げ入れた」
日本書紀(上)全現代語訳p34
日本列島で馬の登場は、考古学的には4世紀の古墳時代からだとか。
つまり天照大神が縄文時代という話はここでも整合できないし、卑弥呼の3世紀前半の時代でも怪しくなる。
もし馬の話のところは「大陸」の出来事だとすれば、馬が出てきてもおかしくないですが。
天照大神とミトラが似てるのは紀元前18世紀のインド神話の影響
インドにミトラと言う太陽神がいました。イランではミスラ、アフラマズダとも同一視され、仏教のマイトレーヤ=弥勒菩薩と同じ神でもあります。
以前こんな記事書いてました。
『リグ・ヴェーダ』(梵: ऋग्वेद ṛgveda, 英: Rigveda)は、古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語(英語: Vedic Sanskrit)で書かれている。全10巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。
呼称
「リグ」は「讃歌」、「ヴェーダ」は「知識」を意味している[1]。
中国語の密教経典の翻訳では「梨倶吠陀」と表記され、日本語文献でも用いられた事がある。[2]
歴史
古代以来長らく口承され、のち文字の発達と共に編纂・文書化された数多くあるヴェーダ聖典群のうちのひとつで、最も古いといわれている。伝統的なヒンドゥー教の立場ではリシ(聖者・聖仙)たちによって感得されたものとされる。中央アジアの遊牧民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含む。
紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された[3]。
ミトラ 太陽神 契約の神 - mi - tra
天照大神 太陽神 契約の神 a - ma - tera - su
こんな風に特徴も名前も一致してるのは、偶然じゃなかったです。
しかしミトラが本来男神なのに、天照大神は女神。これは自身を天照大神の生まれ変わりとした可能性のある卑弥呼が、本来の性別を入れ替えている可能性があります。
天照大神が素盞鳴尊との契約を結んだ場面が、大きく記述されているのは、ミトラの存在を反映してのことでした。そうするとインド神話のヴァルナがスサノオに対応しているようです。
ミトラは紀元前18世紀にはすでに地球上に存在した、ということは卑弥呼とは大きくかけ離れていますね。
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記紀の「神世」というのは、太古の大陸の出来事、日本列島の出来事、両方のいろいろな時代を重ね合わせて1つに見せている。とにかく複雑なものに仕上がっています。
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