たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

<訂正>崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与(2012)の訂正か所

拝啓

2018年の戌年を迎えていかがお過ごしですか。

2012年に「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」が日本文学館から出版されました。 

しかし後に、訂正すべきところがかなり出てきました。当時の自分の知識のなさが原因でした。

 

そこで2013年以降の発売分には、訂正の紙を挟み込んでいるのです。初期の発売の頃のものでは、訂正文は存在しませんでした。 

以下に最近に挟み込んでいる訂正の用紙と、同じものを掲載します。

敬具

 

2018年1月11日

たっちゃんの古代史とか研究室 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ○いつも助かっております

 

 

崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与』著書内の訂正・補足箇所

 

2012年11月に本書を発表した後、間違った記述と認識が、本文内より幾つか見つかりました。この書面をもちまして訂正・補足いたします。

 

まえがき(P11)
倭人の道具は主に木で出来た簡素な、飾り気の少ない道具を好んでいたように見えますし」について補足。もちろん、弥生時代中期以降には、銅製品、鉄製品が多く使われていました。

まえがき(P11)
「大陸に比べれば鉄器を使用し始めた年代は、やや遅れていました」について補足。倭人が鉄器を本格的に使い始めたのは、特に弥生時代後期以降のことでしたが、鉄器の歴史・物量共に中国には及ばないと思ったのでこう書きました。

第二章(P38)
倭人の斑布と黥面文身の謎」は当時に思いついた発想でしたが、縄文人の遺物から「まだら模様」の縄文土偶や面は確認される数が少なく、発想が軽率だったように思います。

第二章(P48)
銅鏡が方位磁針、羅針盤としての役割を果たすとの仮説は、加治木義博著『真説日本誕生 建国前夜の巨大連邦発見』で述べられていたと、本作発表後に知りました。

第二章(P51)
殉死の風習についてはスキタイより遡り、紀元前2600年頃のシュメール王朝の「ウル王墓」でも確認されているとのことです。

第二章(P53)
執筆した時点で、炭素14年代測定について、知識が不足していました。現在炭素系遺物の存在時期の特定は、短い時期に限定できるとのことです。

第二章・第三章の複数箇所
本書内に何か所か登場する「アカルヒメ」の正しい漢字表記は「阿加流比売」でした。

第三章の複数箇所
「異族」とあるところは、正しくは「異俗」でした。これが「魏の人」を表す、との解釈は変わりません。

終章(P172)
続日本紀』の情報が不足し、間違っていました。補足すると、高句麗は扶余から派生した国であり、「旧唐書」によると、渤海国王は高句麗の別種と記録があります。高句麗と扶余は同じ文化・信仰・言語・神話を保持する関係でした。その高句麗を受け継ぐ渤海王が、日本を、同じところから枝分かれした国と言っているのです。

 

f:id:kl117cr233:20180110161044j:plain当初はこの紙が無かったですが、数年前から挟んであります。

 

 

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