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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

バベルの塔のニムロド ぱーと3 実はニムロドは正義のシュメール王だったかも

古典 日ユ同祖論 記紀

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは ぱーと2

 

ネットを見てたら、「トランプ大統領はニムロドを自称してる」とかいう話が出ていました。知らなかったです。ニムロドが、ギリシャ神話ではゼウスやアポロと似たものとされることから?

予期せずニムロドのことを書いてました。まぁ歴史単純な歴史研究ですので。

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Nimrod - Wikipediaより

 

バベルの塔は「崩壊した」として有名ですよね。

でも実は「旧約聖書」の原文では、「バベルの塔の崩壊は描かれていない」んですね。一体どういうことか・・。

そしてノア家の内乱とも言えた、アブラハムとニムロドの敵対ですが、その後のニムロドはどうなったんだろう。

実は正と悪の両面で記録が残されるニムロドの探求で、見えてくるものがあり。

 

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アブラハムとニムロドの生きた時代は紀元前2100年頃?

 

とりあえずニムロドが生きていた時代は何時だったか、調べてみました。

 ニムロドの時代を知るなら、同じ時代のアブラハムの実在年代を調べればいいというわけで。ウィキペディアで年代記を調べてみる。

紀元前2100年代

紀元前2100年頃

・中国最古の王朝である夏を禹が建国した(紀元前2070年説もある)。 河南省偃師市二里頭遺跡を代表とする二里頭文化I期( - 紀元前1700年頃)が夏の初期に相当するとされている。

ウルク王ウトゥ・ヘガルがエンニギの戦いでグティ王ティリガンに勝利。 グティ時代は終わりグティ人はメソポタミアから駆逐され、以後記録からは消滅する。

・現存する最古の法典「ウル・ナンム法典」が編纂される。 ウル第3王朝のウル・ナンム在位中(紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃)の頃とされる。


紀元前2100-2050年頃

・ウル遺跡のジッグラト「エ・テメン・ニグル」が建設された。

 

紀元前2090年代

紀元前2094年頃

・ウル第3王朝の王シュルギが即位( - 紀元前2047年頃)。 この王によりニップルから出土した粘土板文書『シュルギの自賛』が書かれる。

・紀元前2091年 - アブラハム、イサク、ヤコブによる族長時代が始まった。

 

紀元前21世紀 - Wikipedia

というふうに、アブラハムの実在した年代は、紀元前2100年ころということになってるらしい。日本だと縄文時代といったところ。

あ、この記事の1と2の仮説を踏まえると、「日本の記紀神話は、紀元前2100年以前のことまでも記録してる」に等しいわけなのですが。日本列島だけじゃなく、中東のことまでもごっちゃにして。そう考えると記紀神話ってスゴイと思うわけですが・・・。

アブラハムの実在年代としては、別の説では紀元前18~14世紀頃説もあって、確定しないとか。

ちなみに天地創造正教会では紀元前5508年で、ほかの説でもおおむね紀元前6000~紀元前4000年の間ということになってる。

天地創造 - Wikipedia

 

バベルの塔は崩壊していなかったかも

旧約聖書・創世記」のバベルの塔の物語の後半を、今一度見てみる。
主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
 
つまりバベルの塔は、崩壊してはいなかった。民族拡散の原点として描かれてたわけなんですね。
ただ後の時代の伝承によって、崩壊の場面は付け加えられているようです。この点は以下の翻訳文でう。
 
 
ではニムロドはどうなったか
旧約聖書」ではニムロドのその後については、何にも書いてませんが、英語版ウィキペディアには、ニムロドについてこんな膨大な記述があり。

Nimrod - Wikipedia 

これをグーグル翻訳したので、ちょっと読みづらいですが。(ここはすっ飛ばしていいです)

 

伝統と伝説

Kitab al-MagallまたはRolls Book of Rolls(Clementine文献の一部)として知られている初期のアラビア語の作品は、Hadâniûn、Ellasar、Seleucia、Ctesiphon、Rûhîn、Atrapatene、Telalônなどの町をNimrodが建て、 Reuが163歳の時に王として、そしてPelegが50歳のときにNisibis、Raha(Edessa)、Harranを建てて69年間治世を築いたことを明らかにした。さらにNimrodは黒い布と王冠を空に見た。 "彼は織機を作ったササンに頼んで、そのような王冠を作るように命じました。彼は、王冠を着用した最初の王であると言われています。 "この理由から、それについて何も知らなかった人々は、王冠が天から彼に下ったと言った。その後、ニムロッドが火の礼拝と偶像礼拝をどのように確立したのかを記し、ノアの第四の息子であるバニターとの3年間の礼拝を受けました。

Recensionines(R 4.29)、Clementinesの1つの版では、ニムロッドは、ニネベの創始者であるギリシャの歴史家Ctesiasに最初に登場する伝説のアッシリア王のニーナスと同等です。しかし、別のバージョンでは、ホミ(H 9:4-6)、ニムロッドはゾロマスターと同じように作られています。

(中略)

 

しかし、エフレム・ザ・シリア(306-373)は、ニムロッドが正義であり、タワーの建築家に反対しているという矛盾した見解を関連づけている。同様に、Targum Pseudo-Jonathan(日付不確定)は、Nimrodがメソポタミア南部でシナルを離れ、メゾポタミア北部のアッシリアに逃げたというユダヤ人の伝統を述べている。なぜなら、神が4つの都市で彼に報酬を与えたタワーを建設することを拒否したからです。アッスリヤ、バベルのものを取り替える。

Pirke De-Rabbi Eliezer(833頁)は、ニムロッドがアダムとイブの衣服を父親のクッシュから継承したことで、彼は無敵になったというユダヤ人の伝統を語っています。ニムロッドの当事者はその後、ヤペテ族を敗北させて、普遍的な支配権を獲得しました。後で、エサウアブラハムの孫)は、待ち伏せ、斬首され、ニムロッドを奪った。これらの物語は後に16世紀のシーファー・ハヤシャルを含む他の情報源にも現れます。ニャロッドにはマルドンと呼ばれる息子がいて、さらに邪悪であったと付け加えられています。

9世紀のイスラム教徒の歴史家、アル・タバリによる預言者と王の歴史の中で、ニムロッドはバビルに建てられたタワーを持ち、アッラーはそれを破壊し、その後人類の言語、旧シリア語は72言語に混乱します。 13世紀の別のイスラム教徒の歴史家であるアブ・アル・フィダ(Abu al-Fida)も同じ話をしており、アブラハムの祖先であるアブラハム家父は、この例ではヘブライ語を元の舌にしておくことが許可された10世紀のイスラム教徒の歴史家Masudiは、タムを建てたNimrodを、Shemの息子、Aramの子、Mashの息子にして、彼がNabateansを500年以上支配したと付け加えた伝説を述べています。その後、マズディはニムロッドをバビロンの最初の王とし、偉大な運河を掘って60年を支配したと述べています。他の場所でも、彼は占星術を導入し、アブラハムを殺そうとした人として、カナンの息子ニムロッドを言います。

 

アルメニアの伝説では、アルメニア国民の祖先であるHaykは、Van Van近くの戦いでNimrod(時にはBelと同値)を破った。

ハンガリー伝説の「エンチャント・スタッグ」(より一般的にはホワイト・スタッグ(FehérSzarvas)またはシルバー・スタッグ(Silver Stag)として知られています)、ニムロド王(メノルトとも呼ばれ、「ニムロッド・ザ・ジャイアント」または「巨大ニムロドノアの「最も邪悪な」息子、カム(伝説、伝説、いくつかの宗教、そしてカムやカームの名前を持つ人と国の歴史的資料がたくさんあり、圧倒的にその意味は否定的です)は、先祖ハンガリー人の全国と共に、バベルの塔の建設を担う巨人でもあります。その建設は、大洪水の事件の201年後に始まったと思われます(ノアの箱舟の聖書の話を参照)ニムロドはエビラトの地に移り、そこで妻エネは双子の兄弟ハンナーとマジヤールを誕生させました。別名マゴール)。父親と息子は、3人全員が驚異的なハンターだったが、ニムロッドは特に典型的な、有能で伝説的なハンターとアーチャーである。 HunsとMagyarsの歴史的に証明された復活弓と矢は、Nimródに帰属しています。 (SimonKézai、Gesta Hungarorum、1282-85)にあるLászlóKúnの個人裁判所司祭。この伝統はAntal Endrey博士によると、ドイツのものと同様、中世のハンガリー・クロニクル20以上にも見られる。 1979年に出版された記事)。

Nimród、Hunor、Magorの2人の息子がそれぞれ100人の戦士を抱え、Meotis Marshを通ってWhite Stagに続き、彼らは壮大な動物を見失った。ハンナーとマゴールは、アラン人のダル王の二人の娘と、誘拐された仲間たちを見つけました。ハンガリーの伝説ではHunorとMagyar(別名Magor)がそれぞれHunsとMagyars(ハンガリー人)の祖先であった。 Miholjanecの伝説によれば、ハンガリーのスティーブンVは、テンションの前に「Enchediで生まれた偉大なNimrodの孫、Bendeuciの息子、Attila:神の恵みによってHunsの王、Medes、Goths、Dacians、世界の恐怖、神の惨状を訴えています」

ニムロッドは、フリーメーソンの歴史のいくつかの非常に初期のバージョンで、彼は兄弟姉妹の創設者の一人であったと言われています。フリーメーソンの百科事典によると、古い憲法における工芸の伝説は、Nimrodを石工の創設者の一人と呼んでいます。したがって、ヨーク・ミシシッピ州の第1号で、私たちは次のように読んでいます。「あなたがバベルの宮殿を作ったとき、最初にメイソンが大いに尊敬され、ニンロートと呼ばれたバビロンの王はメイソンであり、メイソンを愛していました。しかし、彼は現在の儀式では考えません。

Lemminkäinenの助手としてFinnish Kalevalaで考えている悪魔Nyyrikkiは、いくつかの研究者や言語学者によってNimrodと関連付けられている[11]。

 

悪のニムロッドと正しいアブラハム

 

聖書にはニムロッドとアブラハムの間の会合は言及されていませんが、ユダヤ人とイスラム教の伝統によると、両者の対立が起こったと言われています。いくつかの物語は、善と悪の対立の象徴と見なされる激しい衝突で、そして/または多神教に対する一神教の象徴として、それらを一緒に持っていきます。一方、いくつかのユダヤ人の伝統は、二人の男が会って話し合ったとしか言いません。

K. van der Toornによると、 P. W. van der Horstによると、この伝統はPseudo-Philoの論文で最初に証明されている[12]この物語はタルムードと中世のラビの書物にも見られる。[13]

いくつかのバージョン(Flavius Josephusのように)では、Nimrodは神のものに対する彼の意志を立てる人です。他の人では、彼は自分自身を神と宣言し、その主題によって崇拝されます。時には彼の父親であるセミラミスは、自分の側で女神として崇拝されました。 (Ninusも参照してください。)

星の中の看守はニムロッドと彼の占星術師に、偶像崇拝に終止符を打つアブラハムの差し迫った誕生を伝えます。したがって、ニムロッドはすべての新生児の殺害を命じる。しかし、アブラハムの母親は畑に逃げ出し、秘密裏に誕生する。若い頃、アブラハムは神を認め、彼を礼拝するようになりました。彼はニムロッドと向き合って、彼に偶像礼拝をやめるように顔を合わせると、ニムロッドは彼がステークで燃やすよう命じた。いくつかのバージョンでは、Nimrodは世界で一番大きな焚き火でアブラハムを燃やすために、被験者に木を4年間集めました。しかし、火がついたとき、アブラハムは無傷で歩きます。

いくつかのバージョンでは、ニムロッドはアブラハムに戦いに挑戦します。ニムロッドが巨大な軍隊の頭に現れたとき、アブラハムはニムロッドの軍隊を破壊するガットの軍隊を作ります。いくつかの口座はニートや蚊がニムロッドの脳に入り、彼の心から追い出す(ユダヤ伝統はエルサレムの寺院を破壊するローマ帝のタイタスに割り当てられた神の報復)。

いくつかのバージョンでは、ニムロッドは悔い改め、神を受け入れ、神が拒否する数々の犠牲を提供します(カインのように)。他のバージョンでは、ニムロッドは、アブラハムに譲歩的な贈り物として、いくつかの口座がニムロッドの息子のように描写されている巨大な奴隷エリエザーを与えています。 (聖書はまたエリエゼルをアブラハムのマジョモモと言いますが、彼とニムロッドの間には何の関係もありません)。

 

さらに他のバージョンでは、ニムロッドは神に対する反乱、あるいはそれを再開しています。確かに、メソポタミアを離れてカナンに定着するアブラハムの決定的な行為は、ニムロッドの復讐からの脱出と解釈されることがあります。アブラハムの誕生の前に、多くの世代のタワーの建造物を正式な場所とみなすアカウント(聖書やジュビリーなど)。しかし、他の人たちでは、ニムロッドがアブラハムとの対決で失敗した後で、後の反乱である。さらに他のバージョンでは、Nimrodはタワーが失敗した後も諦めずに、鳥が駆け抜ける馬車で、天国を直接襲撃しようとします。

その物語は、モーセの誕生(殺害を命じられた助産師を持つ無実の乳児を殺す残酷な王)と、火から無傷で現れたシャドラク、メシャク、アベドネゴの功績から、アブラハムの要素に帰属します。したがって、ニムロッドは、2つの典型的な残酷な迫害の王 - ネブカデネザールとファラオの属性を与えられています。いくつかのユダヤ人の伝統はまた、彼の祖父が彼を殺そうとしたポーランド人と一緒に、ヘロドトスによる誕生をしたキュルスと彼を識別しました。

また、Qur'anには、名前で言及されていない王と、預言者Ibrahim(アラブ人、 "Abraham")との間に対立が見られる。イスラム教徒の解説者は、ニムロッドをユダヤ教の資料に基づいて王に任命します。イブラヒムの王との対決では、前者はアッラー(神)が命を与え死を与える者であると主張する。王は死刑判決を受けた2人の人を連れて来る。彼は1つを解放し、他の人を殺す、彼はまた生と死をもたらす点を作ることに貧しい試みとして。イブラヒムは、アッラーが太陽を東から持ち上げることを述べて、彼に反論します。王はそれから困惑し、怒ります。

ニムロッドは、最終的に悔い改めているかどうかにかかわらず、ユダヤ人とイスラム教の伝統に象徴的な悪人、偶像崇拝者と独裁者の象徴であった。現在までのラビの書物では、彼はほとんど常に「ニムロッド・ザ・イヴル」と呼ばれています(ヘブライ語:נמרודהרשע)。

ニムロッドは、Baha'i宗教の主要な神学的研究であるKitáb-i-Íqánを含む、バハイの聖典のいくつかの場所で名前が挙げられています。そこでは、ニムロッドが「夢を夢見て」、彼の執事が天国の新しい星の誕生を意味すると解釈したと言われています。その後、「アブラハムの到来」を宣言する土地にヘルダルが現れたと言われています。バム(バハイ信仰の牧師)の初期の書物の1つにニムロッドも言及されています。神の力の例を挙げて、彼は次のように尋ねる。「過去に、アブラハムはニムロドの力を勝ち抜くために、無慈悲に見えるにもかかわらず、アブラハムに起きたことはありませんか?

アブラハムがニムロッドと対立したという話は、学術論文や宗教論文の枠内にとどまらず、また著名な文化にも影響を与えました。注目すべき例は、カスティーリャ王アルフォンソ王Xの治世の間に明らかに書かれた、ラディーノで最も有名なフォークソングの一つである「クンド・エル・レイ・ニムロッド」(「ニムロッド王」)である。 「ニムロッド王が畑に出たとき/天と星を見たとき/ユダヤ人の四分の一の聖なる光/彼の父アブラハムが生まれようとしていたときの印」歌は残忍なニムロッドと救い主アブラハムの奇跡的な誕生と行為によってもたらされた迫害の詩的な記述を与える。 (完全な原文と英訳はLadino Wikipediaの記事に掲載されています)

 

イスラム語の物語

イスラムの物語によれば、アブラハムはニムロッドと一連の話し合いをしているようです。[19]クルアーンは、「神が王国を授けたので(すなわち、彼は誇りに思っていたので)、アブラハムと主張している人を考えなかったのですか?」[20]アブラハムはこう言います。死を引き起こす。王は答えます、 "私は生命を与え死をもたらす" [20]。彼は一方を解放し、他方を非難する[21]。それでアブラハムは、「確かに、神は東から太陽を上げ、西から持ち上げる」と言いました。[20]これによって王は彼を追い払い、レバントに向かいました。クルアーンではニムロッド氏の名前は明記されていないが、イスラム教徒が「キング」と言及している。ムジャヒッドによれば、「4人が地球、東と西、2人の信者と2人の不信者を支配した.2人の信者はソロモンとダル・カルナインであり、2人の信者はネブカドネザルとニムロッドであった。 "[23]

ミドラシュラバ版のテキスト

次のバージョンのアブラハム対ニムロッドの対立は、ユダヤ人の聖書の主張の主な編集物であるミッドラッシュラバに現れます。これが現れる創世記に関わる部分(第38章、第13章)は、6世紀から現在までに考えられています。

(...)彼は[アブラハム]をニムロッドに渡した。 [Nimrod]は彼に言った:「火を崇拝しなさい!アブラハムは彼に言った:「私は水を崇拝して火を消すか?ニムロッドは彼に言った:水を礼拝する! [アブラハムは]彼に言った:もしそうなら、私は水を運ぶ雲を崇拝するでしょうか? [ニムロッド]は彼に言った:雲を崇拝する! [アブラハムは]彼に言った:もしそうなら、私は雲を散らす風を崇拝するでしょうか? [Nimrod]彼に言った:風を礼拝する! [アブラハムは]彼に言った:そして私たちは風に耐える人間を崇拝するでしょうか?あなたは言葉に言葉を積み重ね、私は火のなかに伏します。私はあなたを捨てて、あなたが弓をあげる者に来て、それからあなたを救いましょう!
 
ハラン[アブラハムの兄弟]がそこに立っていた。彼は[自分自身に]言った。私は何をするだろうか?アブラハムが勝利したら、私は言うでしょう:「私はアブラハムの信者です」とニムロートが勝った場合、「私はニムロッドの信者です」と言うでしょう。アブラハムが炉の中に入って生き残った時、ハランは尋ねられました。「あなたは誰ですか?彼は答えました。「私はアブラハムです!」彼らは彼を連れて炉に投げ入れ、腹が開き、彼は亡くなり、彼の父テラッハを前にしていた。
 
[聖書、創世記11:28は、ハランがテラハを前にしていると述べていますが、詳細は記されていません)。

以上、Nimrod - Wikipedia から要点を抜き出してグーグル翻訳した結果でした。

 

ニムロドは、アブラハム側からすれば悪の存在でした。旧約聖書を中心として語られる場合、ことさらにニムロドを悪人と決めつける傾向にあるわけですが。

ニムロドの側からすれば、ニムロドこそが正義だったんですね。このことは、イラクの近隣の諸民族の伝承としても残っていたようです。いろいろ知らないことが多すぎました。

 

 正義と悪は、立場によって変わるもの。

 

日本人からすれば正しい行いでも、中国人から見れば悪いことだと認識されてしまうみたいな。右翼と左翼の対立みたいな。

 

 

ウィキペディアの英語版からわかったニムロドの特徴

 

 上記のウィキペディア英語版からまとめると、ニムロドはこんなふうな人だった。

 

・ニムロドの系譜は、ノア、ハム、クシュ、ニムロド

・ニムロドはバベルの塔の建設者

・ニムロドは悪い人としても正義の人としても記録されている

・ニムロドは神に認められた王だった

・ニムロドはアブラハムと対立した

・ニムロドは神と対立したのでユダヤ・キリスト教では悪魔と形容される

・ニムロドはシュメールの無数の町を建設し国土を繁栄させた王さま

・ニムロドはシュメール、アッシリアバビロニアなどいずれかの国王

・ニムロドは世界で初めて金の王冠を頭に付けた

・ニムロドは拝火教・ゾロアスター教の開祖

ニムロドはアダムとイブの衣服を父親のクシュから継承した

・ニムロドはハンガリー人の祖先の建国者

・ニムロドは巨人だった

 
バベルの塔の物語を知っていても、バベルの塔の建設者のことは、なんにも知らなかったです。日本人でもキリスト教徒でも、ほんとうのニムロドのことを知っている人は、少ないかもしれないです。
 

 ニムロドの正体は、シュメールからバビロニアの複数の王のイメージを習合されている王さまみたいな感じなのですね。具体的に誰かという疑問については、複数の仮説が合ってどれかというのは決められない感じでした。

だから日本の記紀神話のカグツチと同じですね。カグツチにも複数の別名があり、複数の神や人物を習合している様子が見られるので。日本神話では、イザナギを絶対的な神として描く必要があり、ニムロドが入ってるカグツチを徹底した悪として描く必要があったのかと。

  

 
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