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たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅勤務の自営業。

宇治上神社と宇治神社の本懐

古墳 天皇 方位 神社

京都府宇治市宇治上神社と宇治神社。

これらは現在では歴史的な観光名所としての意味合いだけが先立っていますが。実際に宇治上神社と宇治神社が1500年に渡って携えてきた、本来の役割と意味について解き明かしてみますよ。

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宇治上神社の真意は仁徳天皇陵を指し示すことにあり

 

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国宝の宇治上神社拝殿 宇治上神社 - Wikipedia より

 

宇治上神社

山城国宇治郡

京都府宇治市宇治山田

創建年 不詳(推定5世紀前半~中葉)

祭神

中殿 応神天皇

左殿 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

右殿 仁徳天皇 

 

宇治上神社の本殿・拝殿の、真正面の先を調べてみると、

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大仙陵古墳があった・・・。

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 大仙陵古墳は、むかしから常々、仁徳天皇陵と言い伝えられてきたんですよ。

宇治上神社では、右殿で仁徳天皇を祀っているので、要するに宇治上神社大仙陵古墳を示していておかしくなかったのです。

宇治上神社の創建年は不詳でした。しかし祭神が「父・応神天皇、皇子仁徳天皇菟道稚郎子」の3名ということなのです。おそらく宇治上神社の創建年代は、仁徳天皇の葬られたと見られる大阪府堺市大仙陵古墳が完成したのと同じ頃、5世紀前半~中葉と見られるのですよ。

 

ということは、「神社の社殿の真正面には、信仰対象となるものが置かれている」という考え方は、なんらおかしくないことを、示しているんですよね。

今回の場合は仁徳天皇の御陵が大仙陵古墳であることを、示す意図もあろうと考えられました。

 

それにしても、中殿では応神天皇を祀っているので、応神天皇の御陵である誉田御廟山古墳を指すべきなのだが、そうではなくて、右殿の仁徳天皇を主役にして仁徳天皇陵を示しているというのは、奇妙な感じもするのだけど。

平安時代の頃には、大仙陵古墳応神天皇陵と考えられていたのだろ~か。それとも応神天皇陵より仁徳天皇のほうを信仰対象にする必要があったということなんだろう。または宇治上神社ではそもそも仁徳天皇を祀っていたということなのか。

 

 

宇治神社の正面には応神天皇の難波大隅宮があり

 

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宇治神社 - Wikipedia より

 

宇治神社

 山城国宇治郡

京都府宇治市山田

創建年 不詳(推定5世紀前半~中葉)

祭神 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)

 

宇治上神社の近くに「宇治神社」があるのですが、こちらは宇治上神社とは兄弟みたいな関係。

創建年代などの起源は明らかではない。当社のすぐ近くには宇治上神社があるが、当社とは二社一体の存在であった(「京都府の地名」より」。

宇治神社 - Wikipedia

祭神が応神天皇の皇子である菟道稚郎子命ということで、こちらももしかすると宇治上神社と同じようにアレなんじゃないかと考えられたのですよ。

宇治神社の社殿の中心線をとって調べてみると、なんと応神天皇の難波大隅宮の候補地である、大隅神社を指すようでした。

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宇治神社の本殿正面には、大阪市東淀川区大隅神社があるみたいなのですが。ここ、応神天皇が居住したという難波大隅宮の候補地なんですよね。

つまり菟道稚郎子命が過ごしたことのあるお父ちゃんの宮殿を、宇治神社の方角によって示している、そんな役割を担っている可能性はあるのでは。

 

さらに付け加えると、この宇治神社と宇治上神社は、「2つで1つ」であるところに、大きな意味合いを置かれているようなのです。

 

 

宇治上神社と宇治神社をあわせると・・・

 

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ということで、宇治上神社と宇治神社は、2つで1つの一心同体になっているわけなので、片方づつを分離して調べても、完全な意味は解明できないと思われたんですね。

 

そこでこの2つの神社は、以下の図のように

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結びつけてみる。

宇治上神社の本殿と、宇治神社の本殿を結びつけても、意味がみいだせなかったのですが、宇治上神社の拝殿と宇治神社本殿を結びつけたところ、こんなことに。

 

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線を40.8キロメートル延長した先には、誉田御廟山古墳応神天皇陵)がありました。これによって、おそらく宇治上神社の中殿の応神天皇の御陵が、誉田御廟山古墳応神天皇陵)であることを伝えているんではないかと、考えられるわけですよ。

 

まとめると、

宇治上神社の祭神は、応神天皇(父)、仁徳天皇(皇子)菟道稚郎子命(皇子)

宇治上神社と宇治神社は2社1体である

宇治上神社 祭神=仁徳天皇菟道稚郎子命(兄弟)社殿は仁徳天皇陵を指す

・宇治神社 祭神=菟道稚郎子命応神天皇の皇子)社殿は応神天皇の宮殿を指す

宇治上神社と宇治神社を結びつける 応神天皇陵を指す

この関係は偶然ではあるまい。

 

これについてももう少し調べて、電子書籍「  封印された叡智の回復(仮)」に加えておきますのでヨロピク。

 

ちなみに国宝の宇治上神社本殿は、一説によると現存する神社建築としては最古の建造物で、1060年頃のものとか。拝殿は鎌倉時代前期の建築。(大神神社摂社大直禰子神社内陣を最古とする見方もあり)

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国宝の宇治上神社本殿 宇治上神社 - Wikipedia より

 

神社名と現存する木造建物の建築年代
(社殿に限る)
大神神社摂社大直禰子神社内陣 奈良時代後期(760年頃) 重文 奈良県桜井市
宇治上神社本殿覆屋 平安時代後期(1069年-1184年)国宝 京都府宇治市
・神谷神社本殿 1219年(建保四)国宝 香川県坂出市
石上神宮拝殿 鎌倉時代前期(1185年-1221年)国宝 奈良県天理市
宇治上神社拝殿 鎌倉時代前期(1185年-1221年)国宝 京都府宇治市
・新宮熊野神社長床(拝殿)鎌倉時代前期(1185年-1221年)重文 福島県喜多方市
厳島神社本社本殿・拝殿・幣殿 1241年(仁治二)国宝 広島県廿日市市
厳島神社摂社客神社本殿・拝殿・幣殿 1241年(仁治二)国宝 広島県廿日市市
・泉穴師神社摂社住吉神社本殿 1273年(文永十年)重文 大阪府泉大津市
白山神社拝殿 1277年(健治三)重文 京都府宇治市
・大宝神社境内社追来神社本殿 1283年(弘安六)重文 滋賀県栗東市
・志那神社本殿 1298年(永仁六)重文 滋賀県草津市
石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿 1300年(正安二)国宝 奈良県天理市
・石田神社境内社恵比寿神社本殿 1311年(延慶四)重文 京都府綾部市
・荏柄天神社本殿 1316年(正和五)重文 神奈川県鎌倉市
春日神社本殿 1319年(元応元)重文 滋賀県大津市
・宇太水分神社本殿 1320年(元応二)国宝 奈良県宇陀市

※重文=国の重要文化財
これらは国指定文化財等データベースで公開されてます。

参考

現存最古の神社建築とは

 

神社建築って、何故か消失したり倒壊してしまうものらしい。やっぱり神様を祀っている建物なだけに、憂き目に遭うのがつきものということですか。

 

 
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