天照大神はミトラス
19世紀の段階で、天照大神はミトラスと同一の神であると解釈した外国人がいたとか。
中国で活動していたイギリスの宣教師ジョセフ・エドキンス(Joseph Edkins, 中国名:艾约瑟, 1823 – 1905)は、「Amaterasu」(アマテラス)と「Mithras」(ミトラス)は、「A-M-A-T-E-R-A-S-U」と「M-I-T-O-R-A-S-U」という、同一の子音(M・T・R・S)から成る名称であると言い、神道とミトラス教を関係付けようとした。
以前に以下の記事をかいた時は知らなかったんだが、この人は同じ結論に行き着いてたらしい。
○いつも助かっております
おおかみ
前回の記事
神武天皇を救ったのは狼だったのか。狼の語源は大神で元はWolfだったのか。
の続き。
前回は天照大神の大神って、「狼」なんじゃないの?という観点で話すすめましたが。
天照大神に「狼=おほかみ」の要素が含まれていた理由、ほかにもあった。
天照大神は月読命、素盞鳴命と合わせて「三貴子(みはしらのうずのみこ)」といって、この三者はいずれも黄泉の国から帰ってアワキハラで禊ぎ祓いをした伊弉諾尊の右目、左目、鼻から生まれてるんですが。
右目、左目、鼻から生まれたという神話自体はユーラシア大陸にあり、大陸由来の神話が取り入れられているものと考えることができます。
天照大神 大神=おほかみ
月読命 命=みこと
素戔嗚命 命=みこと
天照大神だけがなぜか大神なのですね。これ、実際のところ「天照命(あまてらすのみこと)」でも良かったはずなのに、なぜか天照だけは「おほかみ」と呼びたかったらしいです。
この点で「おほかみ」という「音」を重視していたんではないかという想像がつきますが。つまりこれは狼の関連を残すために。
天照大神の別名に「大日孁貴神」とあって、これは「おほひるめのむち」でやはり「おほ」が「おほかみ=Wolf=おほ神」であるから「大」が付いているのではないだろうか。
あと気になってるのは、前回も書いた、テュルク系民族の「突厥」の起源についての伝説。「隋書」ではこんなふうにある。
突厥の先祖は平涼の雑胡で、姓は阿史那氏。後魏(北魏)の太武帝が沮渠氏を滅ぼしたため、阿史那は五百家をもって茹茹(柔然)に走り、代々金山に住んで鉄工に従事した。その金山の形状が兜鍪のようであり、俗に兜鍪を突厥と呼ぶため、突厥を号とした。或いは云う、その先祖は西海の北に国があったが、隣国に滅ぼされ、老若男女尽く殺された。一児のみは殺すのに忍びず、足の筋と腕を切断して大沢の中に棄てた。一頭の牝狼がいて、毎日そこで肉を与え、この男児に食べさせたので、死なずに済んだ。その後、男児は狼と交わりを遂げ、狼は身篭った。隣国の人間は再び人に命じて男児を殺させると、その側に雌狼が居た。派遣された者は殺そうとしたが、雌狼は神によって、忽然として海東へ至り、山上に止まった。その山は高昌の西北に在り、下ると洞穴があった。雌狼が中に入ると、方200余里の草の茂る平坦地に出た。その後、雌狼は10の男子を生み、その中の一姓が阿史那氏で、最も賢く、君長となった、故に牙門には狼頭の飾りを設け、本源を忘れていないことを示す。
この雌狼はアセナというとか。
たしか栗本慎一郎氏は著書「シルクロードの経済人類学で、「阿史那の先祖は烏孫」と言ってるから、烏孫→アセナ→阿史那という流れになってると見られ。
んで、突厥の先祖である雌狼アセナが、天照大神と同一の存在だと仮定してみると、
・狼(おほかみ) 大神(おほかみ)
・雌 女神
・西から東へ向かった 西の瑞籬宮から東の斎宮(伊勢)へ移った
・男児は雌狼に救われた 神武天皇は天照大神に救われた(東征中)
・雌狼は洞窟へ入った 天照大神は天の岩屋(洞窟)へ入った
・雌狼は洞窟から出た 天照大神は天の岩屋(洞窟)から出た
・阿史那氏は金山で鉄工 天照大神が天の岩屋から出る時、鏡作部が八咫鏡を制作
・阿史那氏はアルタイ 天照大神の子孫の天皇家の大和(奈良)には金剛山が
・突厥の神はテングリ 天照大神が天の岩屋から出る時に使った榊は天香山産
ハンテングリ山は聖域 神武天皇が神聖視した天香山=テング山を示唆?
ハン・テングリ山というのはテュルク系民族が神聖視してた天山山脈のなかにある、標高6995(7010)メートルの山。
というふうに突厥の先祖の雌狼と、天照大神の間には、ちょっとした相似が幾つか見られるということになってたんですよ。
つまりテュルク系の神話・伝説が天皇家の中に入ってるという可能性が出てくるわけなのでした。これは完全に無視することはできないことではないかと。
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