今週のお題「行ってみたい時代」
近い将来、戦争が始まったら、どうしますかね。生きるなら、食料の備蓄はしとかないとですね。
US Navy Considers Sailing Near Disputed Islands In South China Sea
国際的には認めらない「中国の領海」内に米軍の艦艇を航行させる作戦
○いつも助かっております
崇神天皇の頃はいつだったか
もう自分的には3世紀の卑弥呼の時代ということで、合ってるんですけどね。
拙著より。
崇神天皇の時代は、卑弥呼の時代と重なるんですが、つまり2世紀末から3世紀ということに。
この記事も参考。
垂仁天皇の時代が3世紀末~4世紀前半だったことを証明する方法
もう少し分かることはないか?と思って回想と想像を巡らす。いつもの習慣。
崇神天皇六十五年秋七月、任那国が蘇那曷叱智を遣わして朝貢してきた。任那は筑紫を去ること二千余里。北のかた海を隔てて鶏林(新羅)の西南にある。
蘇那曷叱智、変な名前。
蘇は日本でむかし造られたチーズのこと。蘇 - Wikipedia
蘇我氏が蘇を用いた。チーズとは遊牧民の食べ物。なんで昔の人は、蘇我氏の蘇を用いてチーズを表しているか?という謎は、蘇我氏の出自を想像するに十分な気がしますけどね。蘇我氏は蘇の文化圏から来ている、ということで。そうすると蘇我氏が西アジアのサカ人だとしておかしくないことに。
蘇の草冠を除いた「魚禾」は魚と禾。禾はいね科の植物「粟」。縁がないものを並べ立て、関係ないことを表す文字だとか。魚はサカに通じる。
蘇は「よみがえる」というから「黄泉」に関係するのかも。
「曷叱」は「月氏」のことか。馬韓に月支国あり。これは月氏が東へやってきた証左。
蘇我氏はサカ氏だともいうから、すると蘇那曷叱智はサカと月氏の合わせ技か。
そういえば出雲の大国主のところにやってきた幸魂奇魂が、幸(サキ=サカ)と奇(クシ=月氏)という連想をできたのと似てる。
なんで倭人にサカ人が関係してるのかはこちらの記事。
須佐之男の佐之を入れ替えると、須蘇那男。
蘇那・・・佐野尊。神武天皇。佐野曷叱智。
そういえば「新撰姓氏録」に神武天皇の兄「稲飯命」は新羅王の祖であると書いてますね。稲飯命 - Wikipedia
あ。蘇の古訓に「イヌエ」とあるのはイネのことか。倭というのも女が粟を持った形。
そういえば、崇神天皇は「御間城入彦五十瓊殖」で、「御間城=任那」「五十瓊殖=イニエ(イニウェ)」。で蘇那曷叱智は「任那」の「蘇(イニエ)」なので。
御間城(任那)入彦 五十瓊殖(イニエ) 五十瓊(委奴)
任那 蘇(イヌエ) イヌ(委奴)
どちらも任那、委奴(倭)の名を持ってるという。崇神天皇と蘇那曷叱智とは、かなり近い血縁関係の王族でせう。
参考は毎度おなじみ「学研漢和大字典」。
というふうに、
倭の崇神天皇と任那の王族であろう蘇那曷叱智の名前は、関連付けがされてましたね。これは間違いなさそう。
そういえば崇神天皇の諡号「御間城入彦五十瓊殖」には「入(いり」が入ってますでしょ。
これ、当時の扶余王の名前とも関連付けがされてると見られますね。
3世紀の扶余王には依慮王(いろ)、依羅王(いら)がいましたのでね。たしか扶余王が倭へ渡ったという記録もあったけどなんだったか。
扶余、任那、倭の同時期の王の名前は関連づいている。ここ重要ポイントです。
で、蘇那曷叱智
この人の名前は、おそらく当時の新羅王の名前とも関連付けがされてるはず。なにしろ新羅王は倭人が先祖に入ってるので。
3世紀の新羅王に、「奈解尼師今(なかいにしきん/ネヘイサグム)」あり。新羅の第十代王。・・・おや。崇神天皇が第十代とされて、奈解尼師今も第十代なんですね。
で、奈解尼師今は「昔氏」(ソク氏)だとか。即死・・・
ここではっとしますがね。ソク氏っていうのは「塞(サカ)氏」なんじゃないかと。
蘇那曷叱智もサカに関連づいてましたね。
で、蘇那曷叱智の名前と、昔氏の奈解尼師今の名を「日本の漢字の発音」で比較してみますね。
任那 蘇(so) 那曷(naka) 叱(匕) 智
新羅 昔(sok) 奈解(nakai) 尼(匕) 師今
こういうことだったんじゃないかと。関連付けてますよね。
要するに蘇那曷叱智の時代は、奈解尼師今の在位した3世紀初頭のことであり、
これがすなはち崇神天皇の在位年代と重なってるということなんですよね。
たぶん。それともここに取り上げた全部の要素は、偶然合ってるだけですかね。
今回も適当に考えてみました。
おわり。
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